長編監督デビュー作『ヘレディタリー/継承』、続く『ミッドサマー』で世界に衝撃を与え、次世代の映画監督の旗手へと上り詰めたアリ・アスター。昨年末、3時間の力作『ボーはおそれている』を引っ提げて二度目の来日をした。
「前回の来日では、京都でかつてなくおいしいベーグルに出合えました。今回は初めて直島を訪れることが叶い、安藤忠雄さんの天才的な建築を鑑賞しました。日本はなににおいても意匠にあふれ、いつも僕を刺激してくれる国です」
笑みを絶やさず快活に語るアスターだが、生み出す物語は実に強烈。『ボーはおそれている』では抗不安薬が手放せない中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)の心象風景をときに悪夢的に、ときに悲喜劇的に、実写・アニメーション・舞台風の映像を織り交ぜて描き切った。画面からはみ出すようなイマジネーションの洪水に圧倒されるが、本人をひも解いていくと、パワフルな物語とは裏腹のナイーブな一面が次第に顔を見せてくる。ボーと同じように、アスターの心もさまざまな“不安”に常時支配されているのだ。
「映画づくりに付随するものだと、『この映画を果たして撮らせてもらえるのか?』という不安がまずあり、撮影中は毎日やることが多くて、自分にできるだろうかと怖くて仕方なくなります。つくり手の中にはワクワクが止まらない! という人もいますが、残念ながら僕は制作中は常にキャパオーバー状態。完成したらしたで、今度はみんなにどう受け取られるのだろうと新たな不安に襲われて……。特に本作はとてもパーソナルな作品ですから。そもそも自分が不安症でなければこういった物語をつくろうと思わないでしょうし、この症状をみんなに体験してほしい気持ちでつくりました」
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“3時間”惹きつけるため、一貫したトーンを維持する
『ボーはおそれている』のアイデアは、最初期の2011年に発表した短編『ボー(原題)』にまで遡る。そうした意味では彼の人生と並走してきた切実な内容でもあるのだ。「僕が描きたいのは特異なキャラクターや世界であり、それは面白おかしいものなのですが、自分の中にしかない独特の世界でもあると感じています」と語るアスターにとって、映画づくりは自己開示でもあろう。だからといって、「俺を理解しろ!」と叫ぶエゴ全開なものにはしない。自分の個性を存分に盛り込みながらも、他者や社会と接続するための創意工夫=歩み寄りを続けた。
「制御が効いておらず、統一感のない映画に見えないかは懸念していました。本作はさまざまなジャンルの方程式に対するアンチテーゼが展開する作品です。どちらかというとフランツ・カフカやホルヘ・ルイス・ボルヘスの著作、ドン・キホーテ等々、文学的なアプローチであり、映画では類似例がない。そのため、果たしてこの構造が機能するのか心配でしたし、3時間も観客を惹きつけられるのかも不安でした。そこで“ボーの実家への旅”というメインの筋を物語の全体に通すことで、観客にひとつの体験として身を委ねてもらえるように工夫しました」
驚かせるにしろ怖がらせるにしろ、その根底には観る者を惹きつける魅力が必要不可欠。観客に対する愛情が、アスターのクリエイティビティを加速させる。
「なにをやろうとしているかがあまりにも明瞭だと、観る人が新鮮味を感じられませんよね。一方、予測不能を狙いすぎてとっ散らかった映画も多くある。観客が望むのは、わからないながらも安心してつくり手についていける作品ではないでしょうか。このバランスは非常に難しいのですが、僕の場合は一貫したトーンを維持することで観客を引っ張れているのではないか? と感じています」
自分の内面=己が生きた証しを刻み付けつつ、他者とのコミュニケーションツールとして映画をつくってきたアスター。最後に、彼が考える“新しさ”を生み出すコツを教えてもらった。
「すべての本を読み、映画を観ている人は誰一人いないわけで、既出のアイデアと知らずにつくっている可能性はありますが、であればなおさら工夫が大切になる。これは文芸評論家のハロルド・ブルームの言葉ですが『芸術の成否を決めるいちばんの指標は、それが奇妙に感じられるかどうか』だと。僕はまさにそこを狙っていて、本作にそんな瞬間をちりばめられていたらうれしいです」
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WORKS
映画『ボーはおそれている』
不安症の中年男性ボー(ホアキン・フェニックス)が怪死を遂げた母親の葬儀に向かう道中で、奇想天外な事件に遭遇する。現実と妄想が入り混じるオデッセイ・スリラー。2月16日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにて劇場公開。
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映画『ミッドサマー』
妹が両親と無理心中を図ったショックで憔悴し、倦怠期の恋人に依存気味の女子大生。卒論旅行で訪れたスウェーデンの自給自足コミュニティで、恐ろしい光景を目撃する。発売・販売元:TCエンタテインメント。¥5,390
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映画『ヘレディタリー/継承』
母が死んだ日から、娘一家に次々と怪事件が勃発。奇行に走ったり、なにかが見えるようになってしまった孫たち。これはなにかの“呪い”なのか?発売・販売元:カルチュア・パブリッシャーズ/TCエンタテインメント。¥5,170
※この記事はPen 2024年3月号より再編集した記事です。