ケーキは「社会規範」、現金は「市場規範」【はみだす大人の処世術#14】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之
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Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第14回のキーワードは「社会規範と市場規範」。

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中学生の頃、友人の家に遊びに行く際に、母親から1000円札を渡されて「駅前のケーキ屋さんでお土産を買って行きなさい」と言われた。当時の僕はこう考えた。

「大事な休日によその子どもを家に呼ぶということは、相手の家庭にとってなんらかの負担になるに違いない。うちの母親はその迷惑料として僕に1000円分のケーキを買って行くように指示したのだ」

自分で言うのも恥ずかしい話だが、ここから先が中学生の僕の斬新な考え方だ。

「とはいえ、相手の親がどんなケーキを好むのか、僕は知らない。そもそも甘いものが好きかどうかもわからない。迷惑料としてケーキを買う行為が、むしろ別の種類の迷惑になってしまう可能性だってある。そう考えると、1000円でケーキを買うよりも現金をそのまま渡して有意義な使い道を選んでもらったほうがいいに違いない」

僕は遊びに行った際に友人の母親に1000円札をそのまま手渡したが、「もらえません」と笑われた。帰宅すると、一部始終がうちの母親に伝わっていたようで、母もまた笑っていた。僕は「今後気をつけます」と口にしながら、自分の行為のなにが間違っていたのか、よくわからずにいた。

もちろんいまでは当時の小川少年の行為が、どう間違っていたのかわかる。たとえば恋人へのプレゼントに現金を渡す行為も、同じ種類の失礼に当たるだろう。「気持ち」という抽象的な概念を、「金銭」という具体的な数値に置き換える行為自体に、ある種の失礼さが伴っているのだ。僕は行動経済学を勉強することでようやく学んだ。

行動経済学では、この問題を「社会規範」と「市場規範」という言葉に置き換えて説明する。「社会規範」とは道徳や常識などの金銭が絡まない基準のことで、「市場規範」とは金銭でやりとりする基準のことだ。

たとえば街で重い荷物を両手に抱えて困った様子の人に「あそこのビルまで運ぶのを手伝ってもらえませんか」と頼まれたとする。急いでいる場合を除いて、手伝ってあげる人が多いのではないか。それは、ここで挙げている困った人が「社会規範」をもとにして依頼を出しているからだ。僕たちの「社会規範」には、「目の前で困っている人には可能な限り手助けする」という基準がある。損得ではなく、社会に生きる人間として当然の行為をする。

しかし、この困った様子の人が「100円払うので、あそこのビルまで運ぶのを手伝ってもらえませんか」と言ってきたらどうだろうか。先ほどの例と比較していえば、こちらは100円もらうことができる分、手伝ったほうが得なはずなのに、かなりの数の人が「結構です」と断るに違いない(少なくとも、「100円は要りません」と答える人の数は多そうだ)。それは「100円」という具体的な金額を提示されたことにより、この「手伝う」という行為が「社会規範」ではなく「市場規範」で測られてしまうからだ。金銭的な損得だけの問題として考えると、重い荷物を運ぶ行為に100円分の価値はないだろう。だから断る。

冒頭の例に戻ると、大事な休日によその子どもの面倒を見る行為は、1000円以上の労働に違いない。ケーキは「社会規範」だが、現金は「市場規範」なのだ。現金1000円を手渡す行為には「1000円払うので面倒見ろよ」というメッセージにもなりかねず、だからこそ失礼なのだ。

こうした知識をもっていると、「社会規範」をずる賢く使って都合よく人を動かす人がいることにも気づく。みなさんも、相手がどちらの規範を使っているか考えてみてはいかがだろう。

小川哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。

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※この記事はPen 2024年2月号より再編集した記事です。