【書評】子どもの世話はできる人がする…ガーナの自由な家族観とは?

  • 文:今泉愛子
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『ガーナ流 家族のつくり方 世話する・される者たちの生活誌』小佐野アコシヤ有紀 著 東京外国語大学出版会 ¥2,420

西アフリカ沿岸部にあるガーナで家族を定義することは困難を極める。婚姻関係や血縁関係にない家族をもつ人も多いからだ。

東京外国語大学国際社会学部でアフリカ地域を専攻していた著者は、交換留学生として2018年8月から1年近くガーナに滞在し、帰国後は埼玉県草加市近辺のガーナ人コミュニティで家族関係についてのフィールドワークを行った。その様子を綴ったのが本書だ。

ガーナの人たちが誰と暮らしているのか、誰に育てられたのかを見聞きするうちに気付いたのは、ガーナの家族は流動性が高いことだったという。簡単に増えたり減ったりする大きな要因は、子どもを育てるのが生母とは限らないからだ。

たとえば著者の友人コフィは、両親と一緒に暮らした期間がほぼない。生後間も無く両親は首都に出稼ぎに行き、10代前半までは父方の祖母と、その後は母の姉や父方のおばたちと暮らしたという。

こうした状況を日本では「親族の間をたらい回しにされた」と否定的に表現することもあるが、ガーナでは珍しいことではない。コフィも「寂しいことじゃないよ、ふつうのことだよ」と語っている。子どもの世話はできる人がすればいいのだ。

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血のつながりのない子の世話をするガーナ人

本書に描かれているのは、「困っているならうちにおいで」と言える関係が簡単に成立するガーナの人たちの暮らしぶりだ。うまくいかないときには関係を解消することもあるが、自分を育ててくれた「親」との関係を独り立ちしてからも大切にしている人たちも多い。だから「家族」の線引きが曖昧になる。

なぜガーナの人たちは血のつながりのない子どもの世話をするのか、という問いは、裏を返せば、なぜ私たちは血のつながりを重視するのか、という問いになるだろう。

個人を家族に縛りつけてきた日本の家族観も変化しているが、子どもは生母が育てるべき、責任を持つべき、という価値観だけはなぜか変化しない。だから助けを求めることも、手を差し伸べることも心理的障壁が高い。いつでも自在に助け合えるような環境があれば、家族はもっと自由になる。