『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)で国際的にも高い評価を得た三宅唱監督が、瀬尾まいこの同名小説『夜明けのすべて』を映画化した。主人公は栗田科学という中小企業で同僚として働く、PMS(月経前症候群)に悩む藤沢さん(上白石萌音)と、パニック障害を抱えた山添くん(松村北斗)。三宅監督はそれぞれの生きづらさにさりげなく寄り添うような視線で、ふたりと周りの人たちがともに生きる物語を描き出している。
男性は基本的に"大きな波"を想定していない
「映画化の企画をいただいたものの、PMSという名称は知っていても詳しいことはなにもわからないまま、調べるところから始めたんです。そんな当たり前のことも知らなかったのかと言われると思いますが、今回の題材に携わることで、生理によってこんなにも精神的、身体的な症状があるんだということを、恥ずかしながらようやく知りました。たとえばなにかのプロジェクトを進めるとき、我々男性は基本的には”大きな波”を想定せずにゴールまでのスケジュールを立てるんです。でも、波を前提として色々なことを捉え直してみると、こんなに大変なのになんで世の中が回ってたの?と。正確には、回っているように見えただけで、実は見えない奮闘や犠牲がこれまでもたくさんあって、いまもあるんだな、と気づきました。だからと言って、いま一緒に働いている身近な方たちに対してなにか具体的にできているわけではなく、こっちが頑張るもこっちも無理しないもなんか違う気がするし、歯痒いんですが……」
それでもまずは、知ることが他者への想像力の芽生えにつながり、自分ごととして捉えられるようになるのではないだろうか。時々、距離の取り方を間違えたりしながらも手を差し伸べ合い、恋愛とも友情とも違う関係を築いていく山添くんと藤沢さんが、そのことを証明している。
「パニック障害は発作が起こるトリガーが人によって違うし、誰にも言わないまま日常生活を送っている人もいるんですよね。それを聞いて、僕が知らないだけで、僕の周囲にもパニック障害と付き合っている人がいるんじゃないかと思うようになりました。しかもパニック障害の発作は自分も含めて、いまはなくても明日急に起きるかもしれない。僕自身ずっとフリーランスとして生きてきて、メンタルの浮き沈みに悩まされてきた自覚もあります。僕の場合は肉を食べて元気が出てきたらまだ大丈夫かな、というのがひとつの目印ですが、きっと多くの人たちが自分なりに色々な対処法を試しながら生きているんじゃないかなと思いますね」
パニック障害の発作が起こるシーンは、医療監修のスタッフに支えられながら撮影が行われた。
「山添くんを演じた松村北斗さんにどんな肉体的な負担がかかるのか、しっかり見てもらいながらの撮影でした。過換気症候群になるシーンは本気であればあるほど、危険性が高まってしまう。映画のせいで事故が起こるなんてことは、絶対に嫌だったんです。僕が原作小説からもらったのは、他者に対する"思い込み"のようなものが出会いやおしゃべりをきっかけに解きほぐされていくときのエネルギーでした。映画を観るって、思い込みや偏見から自由になれることだと考えてきたので、そこがリンクしたようにも感じています。だからこそ今回の現場も、みんなで話しながら楽しくやろうと思っていました」
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ユートピアじゃない、「あるかもしれない場所」を描きたかった
俳優陣のインタビューによると、本番の直前まで松村北斗と上白石萌音、監督の3人で談笑することも少なくなかったらしい。メイキング映像からも現場の温かい雰囲気が伝わってくる。
「リラックスした方がより楽しめるときはそうするし、いい緊張が必要なときもあるし。ふたりともそういうバランス感覚が素晴らしいんですよね。上白石さんはツッコミが早くて、松村さんはボケたがりかもしれません。この間、YouTubeの『THE FIRST TAKE』でSixTONESのメンバーが話しているところを見ていて、すごくわかりづらいボケをしてるな〜と思いました(笑)周囲に信頼があるから自然と発せるボケで」
ふたりが働く栗田科学の人たちは過剰に心配する素振りこそ見せないが、必要だと感じたときには、ごく当たり前のこととして自然に力を貸す。
「光石研さんをはじめ、みなさんが本当に最高で、僕らは“日本版アベンジャーズ”って呼んでいました。それぞれ事情を抱えた、見た目もバラバラなヒーローたち。栗田科学にも事情があるなかで働き方を変えてきたという歴史があって、それは小説にも描かれているし、映画でも大切にしたいところだったんです。そしてそもそも、あの会社がまるでユートピアのような、存在しない場所に見えるのは嫌だったんですよね。こんないいところはないよ、って思う人もいるかもしれない。でも僕の希望としては、『いや、でもあるかもしれないよね』くらいに思ってもらえたらいいなと思っています」
監督は脚本化にあたって、ふたりの勤務先を栗田金属から栗田科学へ変更。さらにそこから、映画オリジナルの「プラネタリム」に関する展開を描いた。本物の夜空を想像しながら眺めるプラネタリウムの世界が、他者への想像力を育む物語に優しい光とともに重なっていく。
「プラネタリウムのお話を聞かせてくださった担当の方が、実際に『ここはお勉強の場ではなくて、想像力を育む場所なんです』とおっしゃって、映画館もそうなんです、という話をしました。映画は薬にも絆創膏にもならないし、すぐに役立つ具体的な解決策を差し出せるわけでもない。でも普段とは違う時間のなかに入って過ごすことで、リセットしたり、ゆっくり考えたりすることはできると思うんです。忙しない世の中ですけど、2時間くらい映画館に行ける余裕のある日常が送れたらいいよね、と思っています」
第74回ベルリン国際映画祭「フォーラム部門」への正式出品など、早くも注目が集まる本作の公開は2月9日から。16ミリフィルムで撮影された美しい映像も見どころのひとつだ。ぜひ劇場の大きなスクリーンでご覧いただきたい。
『夜明けのすべて』
監督/三宅唱
出演/松村北斗、上白石萌音ほか 2024年
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