和歌の作成技法のひとつで、有名な古歌(本歌)の一部を自作に取り入れ、そのうえ新たな時代精神やオリジナリティを加味して歌を作る手法を意味する「本歌取り」。アーティストの杉本博司(1948年〜)は近年、「本歌取り」を日本文化の本質的営みと考えて、自身の作品制作に援用すると、日本の歴史的な絵画を本歌とした写真による屏風などを作り、2022年に行われた姫路市立美術館での『杉本博司 本歌取り―日本文化の伝承と飛翔』にて公開してきた。それから約1年、「本歌取り」のコンセプトをさらに拡大して解釈し、数多くの新作などによって再構成した展覧会が、東京の渋谷区立松濤美術館にて開かれている。
東国への旅中に、人々が目にする富士山をモチーフとした新作とは…?それが北斎の『冨嶽三十六景 凱風快晴』を本歌にした『富士山図屏風』だ。古くから日本の象徴的存在として捉えられ、人々の信仰の対象でもあった富士山は、さまざまな作家によって幾度となく表されてきた。そして杉本は特に有名な通称「赤富士」こと『冨嶽三十六景 凱風快晴』に着目し、「赤富士」が描かれた場所を山梨県の三ツ峠山と位置付けると撮影を敢行。富士山の裾野に点在する現在の民家や高速道路の明かりはデジタル処理で消し、かつて北斎も見たであろう富士山の雄大なすがたを表現している。ちょうど朝日が昇る前に空が明るみ、遠くに雲海がなびく神秘的な光景を目の当たりにできる。
「写真は現実の本歌取りである」と考える杉本。イギリスの科学者で数学者のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットのネガを本歌とした「フォトジェニック・ドローイング」も見逃せない。現在の写真技術の原型である「ネガ・ポジ法」を発明したことでも知られるタルボットは、「カロタイプ」と名付けられたこの技術において、複製を可能にしたほか、紙にプリントできるなど形態の面でも利便性を実現させた。そして杉本はタルボットの貴重な初期作品のネガを入手し、ポジ(陽画)を制作。そのうちの一枚にはタルボット家に住み込みの家庭教師と考えられる女性の清楚なすがたが写し出されている。約180年前のタルボットの捉えた世界を反転させて、いまに蘇らせた作品ともいえる。
このほかにも書における臨書をもとに、暗室で印画紙の上に現像液、ないし定着液に浸した筆で書いた「Brush Impression」などの新作をはじめ、第7場面「死に薬」を狂言演目の「附子(ぶす)」の本歌と捉えた室町時代の『法師物語絵巻』が公開されるなど、現代と古典の作品とが互いに響くようにして並んでいる。また会場の渋谷区立松濤美術館は、杉本が深く敬愛する建築家の白井晟一による設計。杉本の所蔵する白井の書『瀉嘆』や移築計画が進む「桂花の舎」の移築後の模型が展示されているだけでなく、普段、仮設壁で覆われている展示室のガラス窓もオリジナルに近いかたちになるなど、白井の建築思想を尊重した空間が実現している。「東下り」を果たし、より深みを増した杉本の「本歌取り」の世界を、白井の瞑想的ともいえる建築にて体感したい。
『杉本博司 本歌取り 東下り』
開催期間:2023年9月16日(土)~11月12日(日)
前期:9月16日(土)~10月15日(日)、後期:10月17日(火)~11月12日(日)
※会期中、一部展示替えあり
開催場所:渋谷区立松濤美術館
https://shoto-museum.jp/