今月のおすすめ映画①『インスペクション ここで生きる』
非人間的な軍隊という場所を、複雑なニュアンスを込めて描く傑作
イラク戦争時の2005年。米軍海兵隊に志願したアフリカ系の青年フレンチ(ジェレミー・ポープ)は、訓練生として3カ月におよぶ苛酷なブートキャンプに参加する。途中で彼がゲイだと露見してから、周囲からの抑圧はますます厳しいものに。しかし母親に見捨てられ、16歳からホームレス生活を送る彼にとって、軍隊は残された唯一の選択肢であり、社会でまともに自立するための雇用先なのだ。
物語は、本作が長編劇映画デビューとなる新鋭監督、エレガンス・ブラットンのオートフィクション(自伝的創作)だ。鬼教官による罵詈雑言とシゴキが炸裂する軍隊の新兵訓練は、『フルメタル・ジャケット』や『愛と青春の旅だち』、あるいは劇中で言及のある『ジャーヘッド』など、数々の映画で描かれてきた。本作でも同様の光景が展開し、非人間性の風刺や通過儀礼など定型の要素を絡めつつも、そこから逸脱する複雑なニュアンスをにじませる。たとえば上官や同僚からの暴力が横行する軍隊はトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)の巣窟であるが、一方で“黒人でクィア”であることの差別と壮絶な貧困に甘んじてきた主人公にとって、初めて承認の可能性を与えられる居場所にもなる。政治思想や知的概念で区切ることのできない現実の生々しい描写は、まさしく監督の実体験ゆえの強みが活きたものだろう。
そして青年フレンチが最も必死に希求するものは、保守的で頑固な態度を崩さない母親からの愛情だ。息子が示す強い執着にも、単に“毒親”とは片づけられない切実さがあり、すべてに血肉が通った表現を見せる。音楽は実験性豊かな米国の人気バンド、アニマル・コレクティヴが務め、極私的にして個と社会の相関を描き切ったこの傑作を祝福している。
『インスペクション ここで生きる』
監督/エレガンス・ブラットン
出演/ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオンほか
2022年 アメリカ映画 1時間35分 8/4よりTOHO シネマズ シャンテほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
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今月のおすすめ映画②『ジェーンとシャルロット』
名優が母親にカメラを向けた、異色のドキュメンタリー
これが初監督となる娘シャルロット・ゲンズブールが、母ジェーン・バーキンを撮る。2018年の東京での光景から始まり、やがてジェーンは自らの人生を語り始める。老いについて、急逝した写真家の長女ケイト・バリーについて、伝説のパートナーだったセルジュについて。特異な環境に生きてきた母娘の、等身大の個と個としての愛の交歓。ポップアイコンであり独りの女性としてのママに贈る珠玉のポートレートであり、宝石のようなラブレターだ。
『ジェーンとシャルロット』
監督/シャルロット・ゲンズブール
出演/ジェーン・バーキン、シャルロット・ゲンズブールほか
2021年 フランス映画 1時間32分 8/4よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
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今月のおすすめ映画③『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』
クローネンバーグ監督が、鬼才っぷりを存分に発揮!
カンヌ騒然も納得。御年80歳の問題児、デヴィッド・クローネンバーグ監督の天才性が最大級に爆発! 自ら新たな臓器を体内に生み出し、それを公開手術で摘出するという前衛パフォーマンスを行うソール(ヴィゴ・モーテンセン)と助手のカプリース(レア・セドゥ)。数々の奇想や生体機械のごとき造形物に彩られた独自の世界が展開する。『ビデオドローム』や『クラッシュ』など、肉体とテクノロジーの相関を官能的に描いてきた鬼才の大博覧会だ。
『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』
監督/デヴィッド・クローネンバーグ
出演/ヴィゴ・モーテンセン、レア・セドゥほか
2022年 カナダ・ギリシャ映画 1時間48分 8/18より新宿バルト9ほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
※この記事はPen 2023年9月号より再編集した記事です。