英国ウェールズの出身で、現在はロンドンとノーフォークを拠点に活動しているケリス・ウィン・エヴァンス(1958年生まれ)。映画作家のデレク・ジャーマンの助手を2年間務めたのち、ダンサーとのコラボレーションなどを通して独自の実験映像を制作すると、1988年には短編映画『ディグリーズ・オブ・ブラインドネス』を発表する。そして1990年代初頭に彫刻やインスタレーションなどの制作に移行し、ヨーロッパやアメリカ、日本の美術館にて個展を開いてきた。ネオン管、音、写真やガラスなどさまざまな素材を駆使し、没入的な空間の中にて鑑賞者の知覚に揺さぶりをかけるような作品で人気を集めている。
現在、東京・神宮前のエスパス ルイ・ヴィトン東京では、ケリス・ウィン・エヴァンス個展「L>espace)(…」が開かれている。まず目を引くのがゴージャスなシャンデリアと映像を組み合わせた作品だ。ここではコンピュータ画面上のテキストがモールス信号に変換され、シャンデリアが点滅している。使用したテキストは、作家家で建築家だったヤニス・クセナキスが指揮者のヘルマン・シュルヘンに宛てた手紙で、ケリス・ウィン・エヴァンスの作品の核でもある「思考は直線的ではない」という考えが強調されている。このほか、詩的でありつつ、感傷的な言葉を灯した2本のネオン管など、光を用いて不明瞭なステートメントを伝える手法もケリス・ウィン・エヴァンスの作品の特徴といえる。
しばらくシャンデリアの瞬きやネオンに見入っていると、会場全体の空気を揺さぶるような音が発せられることに気づく。それが20本のガラス製のフルートが宙に浮く『A=F=L=O=A=T』だ。さまざまな高さで楕円状に吊り下げられたフルートには、長く透明のチューブによりパイプオルガンで使われる送風機がつながっていて、作家の手がけた曲からそれぞれ一音を奏でていく。フルートは沈黙しつつ、にわかに音を発したと思うと、時に幾重にも重なるかのように強く鳴り響き、空間そのものを音で形作るかのようにして満たしていく。このほか、極めてゆっくりと回転するターンテーブルに松の木を置いた作品の動きも見逃さないようにしたい。
ガラス張りの空間がユニークなエスパス ルイ・ヴィトン東京。自然光の差し込む展示室の表情は時間や天候によって変わっていくが、今回はあえて日没前の鑑賞をおすすめしたい。太陽が傾き、正面のビルに反射した西日が空間を煌々と照らしつつも、次第に光量を失うと、それまで風景に溶けるように灯っていたネオンの明かりが際立ちはじめ、メッセージが強く浮かび上がってくる。そして暗くなって妖しく艶やかに映るシャンデリアの光とともに、『A=F=L=O=A=T』による音も不思議と幽玄な調べへと転化して聞こえ、いつしか異次元へと誘われるような錯覚にとらわれる。そのマジックアワーに起こる神秘的な現象を前にすると、ここが東京であることを忘れ、ケリス・ウィン・エヴァンスの作品世界にぐっと引き込まれていく。
注)タイトルはイタリックで、espace部分にのみ取り消し線が入る。
『ケリス・ウィン・エヴァンス 「L>espace)(…」』
開催期間:2023年7月20日(木)〜2024年1月8日(月)
開催場所:エスパス ルイ・ヴィトン東京
東京都渋谷区神宮前5-7-5 ルイ・ヴィトン表参道ビル 7階
https://www.espacelouisvuittontokyo.com