<今年こそ浴衣を着たいと思っている人は多いはず...。しかし、そもそも浴衣はいつからあるの? スタイリストの原由美子さんが「竺仙」五代目・小川文男さんに聞く>
人との集まり、お出かけの機会がやっとめぐってきた今年。会食や夏祭りなど、浴衣を着るチャンスも増えるはず。
カラフルでモダンな柄の最近の浴衣もいいけれど、紺地や白地の色合いや、日本の伝統的な柄の魅力を知ってほしい......。
そんな思いでスタイリストの原由美子さんが、老舗「竺仙」五代目・小川文男さんに聞いた、浴衣の歴史について。
『老舗呉服店 竺仙のゆかた柄100選レターブック』(芸術新聞社)、および『原由美子の大人のゆかた――きものはじめ』(CCCメディアハウス)より一部抜粋する。
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──そもそも、ゆかたの始まりは何でしょうか
ゆかたの語源は湯帷子(ゆかたびら)といわれています。平安時代に、皇族や貴族といった身分の高い人が蒸し風呂に入る際、蒸気でやけどをしないよう、また、素肌を隠すために纏ったのが麻の湯帷子です。
でもこの時代はまだ、きものの形に仕立てたものではなかったと思われます。また、神事や仏教の修行を行う前の沐浴にも湯帷子が用いられました。
江戸時代になって庶民の暮らしが豊かになってくると、庶民も風呂(銭湯)に入るようになり、ゆかたへと発展していきます。
ただ、ゆかたの役割は今と違って、ガウンのように湯上がりに羽織って水気や汗を吸い取るものでした。
丈夫で肌ざわりがよく、吸湿性も高い木綿が普及し、同時に藍が国内で量産できるようになると、染めのゆかたがつくられるようになりますが、最初のうちは絞りや無地が中心でした。
──江戸時代における、ゆかたとはどんなものだったのでしょうか
そのうち、幕府の財政が逼迫してくると、庶民や商人のほうが裕福になってくる。贅沢ができるようになった庶民に対して、幕府はたびたび奢侈禁止令を出します。
絹ものはもちろん、派手な色や柄の大きさまで制限されるようになると、庶民たちは木綿をどう着るか工夫を凝らすようになります。
江戸っ子の「粋」の概念が生まれるのもこの頃です。奢侈禁止への反骨精神もあって、一見、渋好みで豪華には見えないけれど、細かいところにまで手をかけたものを好むようになります。
当時は、手間賃も安ければ時間もあった。だから、ものすごく手のこんだものがつくれたんですね。「粋」という江戸っ子の美意識が浸透していくにつれ、ゆたかもどんどん粋になっていきました。
──当時のゆかたは残っているのでしょうか
ただ残念なことに、庶民のものだったがゆえに、ほとんど残っていないのです。着て着て着古して、最後は灰になるまで使い切った。今でいえば、リサイクルの極致、とてもエコだったのです。
──男柄、女柄という分け方は最初からあったのですか
最初の頃はなかったと思います。明治時代になってから、ある程度、分かれてきたようです。ほんとうの男柄は、縞(しま)、格子(こうし)なんです。
やわらかい柄は男ものではなかったはず。渦も、もとは女性のために生まれたものです。
そんなふうに見ていくと、境目は曖昧です。仕事をしている女性の方は男柄を好む方も多いですし、つい最近のことですが、女性柄の絹紅梅(きぬこうばい ※1)を男性の方がお求めになりました。
もちろん、広幅はメンズ用におつくりしているものですが、お好みでお選びいただいていいかと思います。(※1)絹糸の間に太い綿糸を格子状に織り込み、凹凸を生み出す紅梅織の素材。高級ゆかたとされる
──夏柄、秋柄という分け方はあるのでしょうか
夏柄、秋柄については、基本は夏の衣装なので、トータルで夏柄といっていいのですが、初夏(4月の終わりから5月)と初秋は変えていただくといいと思います。初夏はまだ寒い日もありますから、奥州小紋(おうしゅうこもん ※2)などがいいかと。
夏の終わりには盛夏もののように季節をストレートに感じるものや白地は寒々しく見えてしまうので、紺地に雪などは気持ちよく見えるかもしれませんね。着ようと思えば、ゆかたは11月まで着られますよ。
(※2)経糸で絣を織り出した紬のような風合いの木綿の生地「奥州紬」に、柄を染めつけたお洒落着
──手ぬぐいについても教えてください
ゆかたと並んで、忘れちゃいけないのが手ぬぐいですね。もともと、ゆかたは、最高峰の技術といわれる長板中形でつくっていました。
たとえば、定番柄の「山道」。柄を繰り返し、つなげたものがゆかたになりますが、三尺(90センチ)ぐらいで切ると、手ぬぐいになるんです。手ぬぐいの長さは、用途によって多少異なります。
竺仙(ちくせん)
天保13年(1842年)創業。屋号は、初代・仙之助の背が低く、「ちんちくりんの仙之助」という愛称で呼ばれていたことから、それを縮めて命名。「粋ひとがら」を標榜し、粋の表現こそ時代によって異なるが、常にトップリーダーとして業界を牽引し続けている。当代は五代目・小川文男。
原 由美子(はらゆみこ)
慶応義塾大学文学部仏文学科卒業後、1970年に『アンアン』創刊に参加。仏・ELLEページの翻訳スタッフを経て1972年よりスタイリストの仕事を始める。以後『婦人公論』、『クロワッサン』、『エルジャポン』、『マリ・クレール日本版』、『フィガロジャポン』、『和樂』など数多くの雑誌のファッションページに携わる。着物のスタイリングでも雑誌や新聞などの執筆、ファッションディレクターとしても活躍。著書に『きもの着ます。』(文化出版局)、『原由美子の仕事1970↓』(ブックマン社)、『フィガロブックス 原由美子のきもの暦』『フィガロブックス 原由美子のきもの上手 染と織』(ともにCCCメディアハウス)などがある。
『老舗呉服店 竺仙のゆかた柄100選レターブック』
竺仙[監修]
芸術新聞社[刊]
『原由美子の大人のゆかた――きものはじめ』
原由美子[著]
CCCメディアハウス[刊]
※この記事はNewsweek 日本版からの転載です。