【Penが選んだ、今月の音楽】
『ストラヴィンスキー:バレエ《春の祭典》《火の鳥》』
映画『TAR/ター』でケイト・ブランシェット演じるリディア・ターのような常軌を逸する指揮者像は、決して誇張されたものではない。たとえば20世紀を代表する指揮者、オットー・クレンペラーについて検索してみると、一夜を過ごした名もわからぬ女性を実の娘に紹介するなど下世話で呆れるような逸話ばかりだが、彼のヨボヨボの指揮から引き出される音楽はどこまでも崇高なのだから不思議である。奏者と聴衆の双方から熱狂的な賛辞を集めていれば、大抵のことに目をつぶってもらえる時代が長かったのだ。むしろ奇人であるほうが芸術家向きであるとさえ思われていないだろうか? だが現代の天才指揮者にはそんな要素が微塵もない。その証拠がクラウス・マケラだ。
世界的に活躍する指揮者としては異様に若い27歳にして、既にふたつの世界的オケのトップを務めている、現在世界中からのオファーで取り合いになっている大天才なのだ。周囲に圧をかけずとも、好青年の物腰やわらかなリーダーシップで、最高のパフォーマンスは発揮され得るのである。昨年の来日公演で絶賛された演目をパリで収録した本盤からも、そのことがよく伝わってくる。全体としては調和し、統率が完璧にとられているのに、個々の楽器の個性が一切萎縮することなく綺麗に鳴っている。天才指揮者の先導する力はまるで魔法だ。しかし私が最も驚いたのは、過去に数多の名指揮者が録音してきた楽曲にもかかわらず、いままさにこの曲が生まれたのではないかと思うほど新鮮で、さらに突飛な解釈はひとつもないこと。正統派なのに全く新しいのである!「本当はこういう曲なんですよ、知ってました?」とマケラから呼びかけられているかのようだ。まあとにかく開いた口が塞がらない。天才の動向に注目だ。
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※この記事はPen 2023年6月号より再編集した記事です。