芸術の価値について考えさせる、 天才指揮者の狂気と苦悩『TAR/ター』ほか【今月の映画3選】

  • 文:森 直人(映画評論家)
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今月のおすすめ映画①『TAR/ター』
芸術の価値について考えさせる、天才指揮者の狂気と苦悩

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主演のケイト・ブランシェットは、本作の撮影に際してドイツ語をマスター。ピアノと指揮も本格的に学び、すべての演奏シーンを自分で演じきった。またターのアシスタント役を印象的に演じた『燃ゆる女の肖像』のノエミ・メルランなど、脇役の充実ぶりにも注目。

「クラシックの作曲家はほとんどがドイツ系の白人男性よ」。著名な指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)は鋼の芸術至上主義者。ベルリン・フィル初の女性マエストロとして迎えられた天才だが、そのぶん周りに容赦ない。ジュリアード音楽院の授業でも、バッハを女性蔑視者として自分は受け入れ難いと言い張る男子生徒を罵倒。「クソ女」と吐き捨てた彼は教室を出ていくのだが、ターは硬質の表情を崩さない。才能と人格は別。音楽の真実にジェンダーも人種も関係ない。そう喝破するターが新たに挑む曲は、マーラーの交響曲第5番。

同曲はルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』で一躍有名になり、パク・チャヌク監督の『別れる決心』で使われたことも記憶に新しい。

まさしく前世紀的な美学の鉄壁の体現者である彼女だが、SNSやキャンセルカルチャーなど、急速に価値観のアップデートが進む現代の壁がその信念と暴走をいよいよ阻む。「典型的なレズビアン」と自称するターは、破格の輝きをもつ新人の女性チェリストを大抜擢するなど独自の判断を貫く。才能の階級という残酷な競争社会で生きる他のプレイヤーは嫉妬し、世間では誤解も生じる。己が築いた帝国に君臨するターだが、やがてしっぺ返しのようなスキャンダルに見舞われていく。

本作で8度目のアカデミー賞ノミネートを果たしたケイト・ブランシェットは、ウディ・アレン監督の『ブルージャスミン』以来の壮絶な演技でヴェネチア国際映画祭などの女優賞を多数獲得した。監督は『リトル・チルドレン』から、16年ぶりの新作となる寡作の鬼才トッド・フィールド。「芸術」の偉大さは「正義」で断罪されるのか。灼熱の問題提起を投げかけるきわめて鋭利な傑作だ。

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© 2022 FOCUS FEATURES LLC.

『TAR/ター』

監督/トッド・フィールド
出演/ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルランほか
2022年 アメリカ映画 2時間39分 5/12よりTOHOシネマズ 日比谷ほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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今月のおすすめ映画②『せかいのおきく』
江戸の循環型社会を舞台にした、美しいモノクロの青春群像劇

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© 2023 FANTASIA

江戸末期。寺子屋で子どもたちに読み書きを教えているおきく(黒木華)が、紙屑買いの中次(寛一郎)、下肥買いの矢亮(池松壮亮)と出会う。名匠・阪本順治監督の長編30作目は、長屋で暮らす庶民たちの日常が、墨絵を思わせるモノクロームで描かれる詩篇のような時代劇だ。SDGsといったスローガンの遙か以前、有機的な共生が当たり前に成立していた循環型の慎ましい社会での青春群像。おきくたちが生きる「せかい」の美しさに目を見張る。

『せかいのおきく』

監督/阪本順治
出演/黒木華、寛一郎ほか
2023年 日本映画 1時間30分テアトル新宿ほかにて公開中
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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今月のおすすめ映画③『レッド・ロケット』
落ちぶれたポルノスターの再起を、不思議な解放感とともに描く

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© 2021 RED ROCKET PRODUCTIONS, LLC ALL RIGHTS RESERVED.

落ちぶれたポルノ俳優マイキーが故郷テキサスに戻ってきた。彼はドーナツ店でバイトする女子高生に目をつけ、彼女をスターにすることで業界カムバックを夢見るが……。『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』のショーン・ベイカー監督が、大統領選のニュースが流れる2016年の田舎を背景に、現代のポリティカル・コレクトネスからこぼれ落ちる憎めないクズ男を描く。どん詰まりなのに楽しげでユルい日々。なんとも不思議な解放感だ。

『レッド・ロケット』

監督/ショーン・ベイカー
出演/サイモン・レックス、ブリー・エルロッドほか 
2021年 アメリカ映画 2時間10分 ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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※この記事はPen 2023年6月号より再編集した記事です。