『ブタがいた教室』『こんな夜更けにバナナかよ 美しき実話』『そして、バトンは渡された』など、命との向き合いをタブーなくとことん緻密に描き切る前田哲監督。今回、彼が新作映画『ロストケア』で浮き彫りにしたのは、介護を通じて見えてくる“人間の尊厳”の輪郭でした。
斯波宗典(松山ケンイチ)は若くして総白髪の介護士。彼の働く訪問介護センターでは「本当に斯波さんは優しい」と評判ですが、42人を殺した殺人犯として検挙されます。検事の大友秀美(長澤まさみ)は斯波を追い詰める一方、真相のディテールに迫るなかで次第に自らの感情を激しく震わせていきます。
ストーリーの随所にちりばめられているのは、救われることなく暗闇に落ちていく介護家族の様相です。認知症の進行ととも困難が増す日常のリアリティが、見る者を圧倒します。こんな悲惨なことがあるだろうか、と。
ところが試写会後、ともに鑑賞した訪問看護師の友人は「これは僕たちが日常的に見ている風景そのもの」とつぶやいていました。
わたしは衝撃的なシーンだと捉えていました。
隣りで鑑賞しながら、この感覚の違いはなんなんだろう。そのことに再び衝撃を受けました。
今、とある街なかのドトールでこの原稿を書いていますが、窓の外を歩く人も店内にいる人も、みんな問題なく生きているように見えます。風景はどこまでも健やかで、誰かの困難を想像するきっかけを見つけることさえできません。弱さは中へ、中へと隠され、隠されたものは“ない”ものになっていく。
そうして見かけ上は「大丈夫な人たちばかり」の社会ができあがっていきます。
65歳以上の高齢者が人口の3割を占める日本。けっこうな高確率で自分も介護問題の当事者になるという世界線を生きながら、わたしたちは “ありたくない未来”から目を背けがちです。できれば介護苦などとは無縁にスルッと生き切ってしまいたいと思いながら、ハレとケのケの方は遠くへ押しやろうとします。
そうした拒否反応がたまっていく社会では、いざ自分が困った時には「やばい、自分がケの方にいることがバレたら社会から無視される」と人々は黙る力を強めます。
落ちたら誰も助けてくれない、絶対に落ちてはいけない闇の穴を自らスコップで掘り下げているのは、他ならぬわたしたち自身なのかもしれません。
そして、対立して見える”斯波の絶望”も”大友の苦悩”も、自分のなかに同居していると気づきます。
試写会後、割り切れない思いを持て余して、直帰できずに友人らとひとしきり語りあいました。これから親をどうする、自分はどうなっていく、想定しうるシナリオはどんなだ、といった話が自然と迸る時間でした。そうして人生の弱い部分を伝え合う時、”大丈夫な社会”の一員を装わないでもいいのだという安堵感が立ちのぼってきます。話せば、聞けば、人はそれぞれ事情を抱えているのですよね。言わないだけで。
そうか。
図らずも鑑賞後に自らを語り出した自分たちの挙動こそが、前田監督がつなぎとめたい未来だったのかもしれないな。
なるべく遠ざけておきたいテーマを容赦なく抉りながら、あなたはどうなんだ、と向こうから目を合わせてくる映画『ロストケア』。その眼力で見た者の心が開かれていく体験まで、ぜひ味わってみてほしいです。
『ロストケア』
監督/前田哲
出演/松山ケンイチ、長澤まさみほか 2023年 日本映画
1時間54分 3月24日より全国ロードショー
https://lost-care.com/
建築ライター、NPO法人南房総リパブリック理事長、neighbor運営、関東学院大学非常勤講師
1973年東京都生まれ。日本女子大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2007年より「平日東京/週末南房総」という二拠点生活を家族で実践。2012年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市職員らとNPO法人南房総リパブリックを設立。里山学校、空き家・空き公共施設活用事業、食の二地域交流事業、農業ボランティア事業などを手がける。2023年よりケアのプラットフォームneighbor運営。著書に『週末は田舎暮らし」、『建築女子が聞く住まいの金融と税制』など。
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1973年東京都生まれ。日本女子大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2007年より「平日東京/週末南房総」という二拠点生活を家族で実践。2012年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市職員らとNPO法人南房総リパブリックを設立。里山学校、空き家・空き公共施設活用事業、食の二地域交流事業、農業ボランティア事業などを手がける。2023年よりケアのプラットフォームneighbor運営。著書に『週末は田舎暮らし」、『建築女子が聞く住まいの金融と税制』など。
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