1906年にフランス・パリのヴァンドーム広場にメゾンを開いて以降、さまざまな創造性あふれるジュエリーを世に送り出してきたヴァン クリーフ&アーペル。パリのエスプリと職人の熟練技が高次元で昇華された唯一無二の作品は、見る者を幻想的な夢の世界へといざなってきた。
その情熱は、ジュエリーだけでなく時計にも脈々と受け継がれ、ヴァン クリーフ&アーペルのタイムピースには、ハイジュエラーとして培われた美学と卓越したサヴォアフェールが注がれる。そこに刻まれるのは、詩情豊かな「ポエトリー オブ タイム」。その独自のウォッチメイキングを探るため、スイスのアトリエを探訪した。
機械に生命の温もりを吹き込む、夢のオートマタ工房
ヴァン クリーフ&アーペルの時計制作を語る上で、いまや欠かせない技術が“オートマタ”だ。日本ではからくり時計で知られ、生物や自然界の動きを機械仕掛けで再現する。昨年は天空儀の「オートマタ プラネタリウム」をはじめ、一挙に3つの新作を発表し、改めてヴァン クリーフ&アーペルならではの美とアートが織りなす夢の世界を知らしめた。
ハイジュエラーとして知られるヴァン クリーフ&アーペルだが、時計制作の歴史も古く、実は創業した1906年に遡る。しかもこの時すでにメゾン初のオートマタを発表し、以降もオブジェやテーブルクロックなど数多くの作品を手がけてきた。そして伝統は現代に継承され、2017年に「エクストラオーディナリー オブジェ」と銘打ち、本格的なオートマタ制作を再開したのである。
メゾンにおけるオートマタ制作の要諦となっているのが、現代オートマタの第一人者フランソワ・ジュノとの協業だ。「エクストラオーディナリー オブジェ」の初作品「オートマタ フェ オンディーヌ」から始まった両者の絆は年を重ねるごとに深まり、最新作も大きな話題を呼んでいる。その神技とも呼べる作品の秘密を知るべく、ジュノの工房を訪ねた。
---fadeinPager---
ジュネーブからクルマで約2時間、ジュラ山脈に位置するサント・クロワは、オルゴールの里として知られ、名門リュージュ社も本社を置く。雪の積もる山腹に工房はあった。
ドアを開けフロアに入った瞬間に、息をのむ。壁には首の彫像が並び、天井からは手や足が吊るされている。そのおどろおどろしい光景に怖気付くほどだ。作業台には無数の工具が並べられ、年代物の工作機械がそこかしこに設置されている。だが一見すると無造作に見えても、主であるジュノにとってはすべて秩序立てられているのだろう。まさに無限の創造性を具現化する夢の工房だ。
---fadeinPager---
ヴァン クリーフ&アーペルとの協業は、メゾンの本社の商品開発チームとのやり取りから始まる。パリからアイデアとデッサンが持ち込まれ、プロジェクトメンバーが一堂に集まる。ジュネーブからも時計師が参加し、どのように動かすか、どんな構造が最適かといった大筋から、さらに動力を伝達して精確に制御するムーブメントや、ふさわしい装飾についてなど細かな部分も協議される。
だがそれもスタートラインに立ったに過ぎず、制作を進める過程で機構や仕様は随時変わるため、サント・クロワとジュネーブとパリ、3者の開発チームは三位一体となり、親密なコミュニケーションが求められるのだ。いまだかつて存在しないような詩情豊かな作品づくりには時間やコストの制約はない。高さ約30cmほどになる最新作は、完成までには2〜3年を要したという。
---fadeinPager---
静謐な山村の工房でオートマタづくりに専心するイメージから思い浮かんだ風変わりな職人像とはうって変わり、ジュノの柔和な表情は、まるでピノキオを生んだ人形職人ゼペットを思わせた。
地元サント・クロワに生まれ、14歳の時にオートマタに出合い、制作者の道を志す。機械工学の専門学校を卒業し、美術学校では彫刻や解剖学も学んだ。子どもの頃からジュール・ヴェルヌのSF小説が大好きで、魔法の世界にも興味があったと笑う。そんなファンタジーへの好奇心が血の通わぬ機械にも生命を注ぐのだろう。
「私にとってオートマタづくりの魅力は、伝統技術を用いながらもこれまで見たことのないような作品をつくることにあり、それは従来の食材でまったく新しい料理をつくるのにも似ています。動きの中に自然な生命力を感じさせること。そのためには実際の動きをよく観察する。そして構造は複雑でもシンプルに見せることを心がけています」
オートマタの制作について語るジュノは、続けて「日本の能の動きからも多くを学んだんですよ」と微笑む。からくり人形をはじめ、職人の仕事を重んじる文化や、自然を慈しみ、その趣とともに暮らす日本人の感性にリスペクトを捧げる。
---fadeinPager---
40年以上にわたる自身のオートマタづくりでも、ヴァン クリーフ&アーペルとの協業は新たな刺激をもたらしたと語る。
「私はこれまでオートマタを古典的ではなく、新しい発想を取り入れてよりモダンに革新したいと考えてきました。その中で時間を表現するという、いままでやったことのないメゾンのテーマに強く興味をもちました。そしてもうひとつ私の心を動かしたのは、ジュエリーの装飾です。宝飾による加重は、オートマタにおいてスムーズな動きの妨げとなり、大きな影響を与えます。こうした技術的な問題をいかに解決するかということにチャレンジ精神が湧きましたし、一方でジュエリーの色彩や輝きは他の素材にはない演出効果を与えることも学びました。まさにジュエリーはオートマタに大きな魔法をかけるのです」
ヴァン クリーフ&アーペルとの協業、そしてその成功は、ジュノにとって大きな自信となり、クリエイティビティの限界をなくすことにつながった。
「ヴァン クリーフ&アーペルは、きっと私の求める世界観に最も近いメゾンなのでしょう。詩的であり、物語のあるオブジェを通して、人に夢を与える。その想いは私と共通するものです」
---fadeinPager---
芸術と先端技術が融合し、時の物語を紡ぐアトリエ
スイスのジュネーブ市街からもほど近いメイランに、リシュモングループの技術部門がある。そこはカルティエを筆頭に、ジャガー・ルクルトやパネライ、ロジェ・デュブイ、ボーム&メルシエといったブランドが集積する、まさにスイスが誇るウォッチメイキングの中枢でもある。そしてヴァン クリーフ&アーペルのアトリエもここに位置する。
---fadeinPager---
ヴァン クリーフ&アーペルにおける時計制作は、1906年のメゾンの創業当初からスタートしている。当時、女性の社会進出を背景に、ヴァン クリーフ&アーペルもエレガントなジュエリーウォッチを手がけていたが、特にシークレットウォッチは周囲に気づかれることなく自分だけの時間を密かにもつ喜びを女性たちにもたらした。
ジュエリーの輝きと渾然一体となった独自のタイムピースは進化を遂げ、やがて複雑機構と結び付く。2006年に誕生した「ポエティック コンプリケーション」だ。それは従来の複雑機構に対し、時間の計測というよりも詩情を語るという独創的なテーマを追求し、そこにはオートマタの技術やノウハウもふんだんに盛り込まれ、蠱惑的な世界を時計で表現したのだ。
そこに貫かれるのは「ポエトリー オブ タイム」という想いであり、アトリエではアートに匹敵するメティエダールや精緻を極めたウォッチメイキングによって、詩情あふれる時の物語が紡がれている。スタッフの間ではこんな言い伝えがあるという。もしアトリエの空に虹が架かっていたら、それは新たな物語が生まれた時――。他に比類なきヴァン クリーフ&アーペルの作品を見れば、そんな素敵な話も現実味が増すだろう。
---fadeinPager---
ジュノとの協業で発表された2023年の2点の新作
ジュネーブで開催中の時計見本市「Watches & Wonders」にて発表された、フランソワ・ジュノのアトリエと共同で制作された2023年の新作は、2点のオートマタだ。「フロレゾン デュ ネニュファール」(フランス語で睡蓮の開花)と「エヴェイユ デュ シクラメン」(シクラメンの目覚め)と題された作品は、高さ約 30cmのオートマタで、オンデマンド式のアニメーションが作動すると花が開き、中に隠れていた蝶が姿を現す仕掛けが施されている。
蝶の飛翔をリアルに表現するために、膨大な時間をかけて研究と実験が重ねられたという。本物と見まがうような自然なリズムで数秒間羽ばたいた後に、蝶がもといた花の中央に戻ると、すべての花びらがゆっくりと一斉に閉じる。花が開閉するシーンでは、それぞれのオートマタのために特別に作曲された澄んだ音色が響くサプライズも用意されている。
---fadeinPager---
パリを拠点とするヴァン クリーフ&アーペルのジュエリーのアトリエで培われた技術は、その造形にも活かされている。美しく咲き誇る睡蓮の花を表現した「フロレゾン デュ ネニュファール オートマタ」を例に見てみよう。
イエローゴールド製の花冠は、熟練の技を要するエアブラシを使ったラッカー仕上げで、繊細なニュアンスの色彩を纏っている。花が開き蝶が舞うと、花冠の内側にはイエローサファイア、マンダリンガーネット、ダイヤモンドがセットされており、太陽のような輝きを放つ。
蝶のボディはホワイトゴールド製で、ターコイズとダイヤモンドを纏うとともに、羽ばたくとプリカジュールエナメルで彩られた羽は光を美しく透過する。時刻を示す回転リングに鎮座するのは、ブルーサファイアがあしらわれたホワイトゴールド製の妖精であるのも、ヴァン クリーフ&アーペルの詩情性を物語る。
---fadeinPager---
天体の公転周期を再現した、超複雑機構搭載のプラネタリウム
ジュノが作成したオートマタとは別に、メゾンが手がけた作品で「Watches & Wonders」で世間を驚かせた時計がある。「エクストラオーディナリー オブジェ」の最新作「プラネタリウム オートマタ」で、昨年に次ぐ天空儀の第2弾だ。高さ50cm×直径66.5cmのオブジェには、太陽の周囲を6つの惑星と月が周回し、惑星の軌道はそれぞれの公転周期に基づき正確に再現される。
そしてボタンを押すとオリジナルメロディが流れる中、突如姿を見せた流れ星が周回を始め、惑星も上下運動しながら回転する。まるでバレエのような華麗な動きを見せた後、流れ星は再び闇の中へと姿を消し、惑星ももとの場所に戻るのだ。
惑星の公転周期は、水星は88日、金星は224日、地球は365日、火星は687日、木星の11.86年、土星に至っては29.5年となる。本作では実際の公転周期で軌道を一周する。こうした天空儀のメカニズムはこれまでもあったが、さらに任意で惑星を上下に動かし、回転させるギミックを加えた。複雑なメカニズムは内に秘め、決して外にはさらさない。
---fadeinPager---
名実ともにまさにスターとなる惑星たちには、クリソプレーズ、ローズクオーツ、ターコイズ、ジャスパー、オブシディアンといった石がふんだんに使われ、流れ星にはサファイアやエメラルドがミステリーセットであしらわれる。ハイジュエラーの本領発揮だ。
基本的な機構は前作と共通だが、大きく変わったのは新たな素材の採用と奏でる音色だ。オルゴールと鐘の組み合わせから15個の鐘に代わり、それぞれに対してふたつ、計30のハンマーで打音する。この鐘も17世紀に創業した教会の鐘の専門メーカーに依頼し、まるでカテドラルを再現したような荘厳な鐘の音がそこに響くのである。
---fadeinPager---
---fadeinPager---
遊び心を宿し、詩的な時を奏でるレディスウォッチ
腕時計ではレディスの最新作が登場した。「ルド シークレット ウォッチ」は、1934年に発表したブレスレットのデザインをモチーフに、モデル名は創業者のひとりであるルイ・アーペルのニックネームにちなむ。
上下のサークルを指先で寄せると、跳開橋のように上部が開き、時計が現れる。女性が時刻を見るのはマナー違反とされた当時のスタイルを蘇らせ、機構を内蔵するとともに完成度を高めた。サプライズと遊び心が楽しめるシークレットウォッチだ。
---fadeinPager---
「ポエティック コンプリケーション」の最新作「レディ フェアリー ローズゴールド」は、文字盤の小窓の数字と妖精の魔法の杖が指す数字インデックスで時分を表示する。
33mmのドレッシーなサイズに、精細な彫金やエナメル装飾をあしらい、ダイヤモンドとゴールドの輝きがひと際目を引く。そこに宿るのはまさに詩的な時の物語である。
---fadeinPager---
制作現場で継承される、「ポエトリー オブ タイム」の哲学
細密画、彫金、エナメル、象嵌といった伝統的なメティエダールと、最先端の時計設計や製造技術が一体化したアトリエは、それ自体が精緻なオートマタのようだ。メゾンのウォッチメイキングについて開発部の部門長は「技術はアルファベットのようなもの」と語る。
「その数は決まっていても無限のストーリーを生むことができます。でも技術も私たちにとってはツールにすぎません。あくまでも物語を完成させるためにあり、それは旅を思わせます。目的地を目指す過程で多くの発見があり、時には道を変え、後戻りもしなくてはなりません。でもそうして到達してこそ感動を呼ぶのです」
ヴァン クリーフ&アーペルのタイムピースは「ポエトリー オブ タイム」という詩情あふれる時を刻み続ける。アトリエの壁面には、高名な数理生物学者が時の概念について証明した数式が記されていた。これを理解する術もないが、時はそれだけ深遠であるということであろう。
さらに階段には、時の物語を紡ぎ続ける者を励まし、勇気づける文言が記されていた。そしてその“時の物語”には、いまも新たな章が加えられているのである。
---fadeinPager---
壁面には葛飾北斎の版画をはじめ、さまざまアートピースが飾られている。こうした作品がアトリエのスタッフの創造性にも刺激を与える。その横には「prends le temps de vivre l'heure que je te donne」(意訳すると「一度きりの人生をまっとうする」)という文言も添えられる。
問い合わせ先/ヴァン クリーフ&アーペル ル デスク
TEL:0120-10-1906
https://www.vancleefarpels.com/jp