Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイを寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第2回のキーワードは「隠蔽トースト」。
小学生の時、3歳下の妹が母にこっぴどく怒られている現場に居合わせた。その罪状は「母が焼いたトーストを、ベランダの室外機の隙間に捨てて腐らせた罪」である。僕の家では、毎朝提供される母が焼いたトーストを、耳まですべて食べるのが義務となっていた。「朝ごはんを食べない子どもは非行に走る」という迷信がなぜか信じられていた時代だった。
そういうわけで朝食を残すと母から怒られるのだが、寝起きでトーストを食べきるのはそれなりに困難だった。朝だから口の中が乾いていて、カリカリのトーストを咀嚼するのが難しい。とりわけまだ小学校の低学年だった妹には相当の苦行だったと思う。結局、妹は食べきれなかったトーストをこっそりベランダの室外機の隙間に捨てていたようで、ついに母がそれを発見し、ひどく叱られたわけだ。
「どうして残すの?」と聞いた母に対し、半ベソの妹は「食べきれないから」と答えた。母は妹の主張に「でも、お兄ちゃんは毎朝全部食べてるよ」と言ってこちらを見た。僕は「うん」と頷いた。僕はその時のことをよく覚えている。どうして覚えているかというと、人生で初めて「僕はいま、嘘をついている」と自覚したからだった。
実をいうと、妹と同様に、僕もトーストを食べきることができなかったのだ。ただ、僕は残したトーストをティッシュにくるんでポケットに入れ、通学路にあった駅のゴミ箱に捨てて隠蔽していた(もちろんいまは、そのように食べ物を粗末にしていたことを深く反省している)。僕は単に、妹より嘘がうまかっただけだ。この経験から、僕は「正直者」という言葉の認識を変えた。「正直者」だと思われている人は、単に嘘がうまいだけかもしれない。「嘘をつかないこと」と「嘘がうまいこと」は、他人からすれば区別がつかないからだ。
大学生になって、ホテルのフロントでアルバイトをしていた時に、この「トースト事件」のことを思い出した。僕が働いていたホテルの支配人は、いつもニコニコしていて優しそうなのだが、バックヤードではしょっちゅうスタッフを殴っていた。僕がミスをすると「お前の指導不足だ」と、僕に見えるように先輩スタッフを何発も殴った。それを見た僕は、「もし僕のことを殴ってきたら、その場で殴り返してアルバイトを辞めよう」と決意した。
それから、僕は自分がいつ殴られる番になるのか、ビクビクしながら働いていた。もし殴られたらどう殴り返そうか、イメージトレーニングもしていた。そうして半年が経ったが、結局、支配人は僕のことを一切殴らなかった。
ある日、僕はふと気づいた。トーストの時と同じなのだ。妹よりもうまく嘘をついていただけの僕が「正直者」であり続けたように、支配人が長年その地位に留まることができているのは、殴る相手をうまく選んでいるからなのだ。殴ると面倒な事態に陥る可能性のあるスタッフには手を出さず、無抵抗な人間を選び出して暴力を振るう。きっと、セクハラや痴漢をする人間も同じで、泣き寝入りする相手を選ぶのがうまいのだろう。事件が発覚して、解雇されたり逮捕されたりするのは、「悪」の中ではどちらかというと知恵が回らない人間で、本当の「悪」というものは表に出ないでハラスメントを継続している。
駅のゴミ箱にトーストを捨ててきた人間として、そういう隠れた、しかし僕たちにとって本当に倒すべき「悪」について書くのも、小説家の仕事のうちのひとつではないかと思っている。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。2023年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。
※この記事はPen 2023年2月号より再編集した記事です。