勝率9割5分以上の軍神、義に厚い上杉謙信には狡猾な一面もあった⁈

  • 文:島崎 晋 
  • イラスト:阿部伸二(Karera)
  • 監修:渡邊大門
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その名が広く通っている戦国大名たちであっても、近年の調査や資料の発見で、知られざる姿や人間像が明らかにされている。

今回は戦国最強と評される軍神、上杉謙信を紹介する。義に厚く、自身の職務のために数々の戦で名を挙げた人物だが、そんな上杉にも狡猾な一面があったという。

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上杉謙信●1530~1578年、越後国・春日山城(新潟県上越市)/越後の戦国大名。甲斐・武田氏、相模・北条氏と死闘を重ねる一方、将軍・足利義昭の呼びかけに応じて信長包囲網にも参加。北陸で織田軍を撃退したが、関東へ転戦準備を終えたところ、病で急死した。

15歳で初陣を飾り、49歳で亡くなるまで、大きな戦いだけで70余回も経験した上杉謙信。その勝率はなんと9割5分以上ともいわれ、戦国最強の呼び声が高い。

実父、長尾為景の代に下克上で越後の実質上の国主となり、永禄4年(1561年)には、居城の上野国・平井城を失って助けを求めてきた上杉憲政を鎌倉へ生還させるのと引き換えに、鎌倉府の長官補佐である関東管領の職と上杉の名跡を譲り受けた。

70余回の戦いには、武田信玄との5回におよぶ「川中島の戦い」や13回にも達する関東への遠征も含まれ、そのうち8回は関東で越年。1回は北条氏の本拠地である小田原城を包囲している。

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「川中島の戦い」最大の山場●最大の山場と言われた4回目の戦いをモチーフとした歌川国芳の錦絵『武田上杉川中島大合戦図』。謙信が振り下ろす名刀「小豆長光」を、信玄が軍配で受け止める様子が描かれる。左上は武田側の山本勘助、左下は流される雑兵の姿。© Alamy/amanaimages

謙信にとって、相模・北条氏と甲斐・武田氏はどちらも終生のライバル。この二雄に敗れた武将の多くが越後を訪れ、奪われた土地の奪還を謙信に懇願した。関東管領の肩書を引き継いだ謙信は職務を果たそうと奮い立ち、かくして北条氏を相手とする関東への遠征と、北信濃の川中島を舞台とする武田氏との戦が繰り返された。

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実際に愛用していた、謙信の名刀●謙信から養子の景勝に引き継がれた国宝指定の名刀「太刀 無銘一文字」。通称、「山鳥毛(さんちょうもう)」。鎌倉時代中頃、備前国福岡の地を生産拠点としていた刀工集団「福岡一文字派」が鍛えたもの。豪壮な太刀姿と華やかな刃文が特徴。山鳥毛:瀬戸内市所蔵(写真:TSCクリエイト)

謙信は戦場で、一度として敵に背中を向けたことがない。川中島の戦いは一度の例外を除いて局所的な小競り合いに終始したが、その例外というのが、永禄4年9月10日の第4次川中島の戦いだ。

武田軍の仕掛けた「キツツキ戦法」の裏をかき、信玄の本陣前に現れた謙信は「車懸りの陣」で戦いを挑む。乱戦に突入する中、信玄との一騎打ちが実現というのは後世の創作なのだが、謙信ならそんな無茶をやってもなんら不思議ではない。旗印に鮮明な「毘」の文字を記したのも伊達ではなく、そう思わせるだけのカリスマ性が謙信には存在したのだ。関東への遠征でも敗け知らずだったが、所領化した土地は皆無だった。あくまで職務を遂行するだけという姿勢を貫いたからだ。義に厚いといわれる所以である。

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ただし、謙信の行動原理が100%大義で占められていたのかというと、関東への遠征内容については疑問符が付く。

8回の遠征のうち7回までが、秋の終わりに開始されている。秋の終わりは稲の収穫時期だ。収穫に必要なため、本来なら兵の動員を避けるべき季節である。調べてみると、謙信の関東遠征は越後が飢饉に見舞われた年と見事なまでに重なる。それに対して関東の出来高は豊作か例年並み。なんのことはない。食糧がないなら、あるところから奪えばよいとの考えが働いていたわけで、大義だけだと腰の重い将兵も家族を餓死から救うためとあれば目の色が変わる。北条氏は形勢不利と見ればすぐさま籠城を常套手段としたので、上杉軍は小田原城を囲みながら余裕綽々と稲刈りと略奪を働くことができたのではないか。

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多くの血の代償として、授けた感状●写真は、大勢の配下の血の代償として授けた感状で、「血染め感状」と呼ばれるもの。謙信は永禄4年(1561年)の第4次川中島の戦い後、軍奉行を務めた色部修理進勝長にこれを発給した。色部氏は越後国平林城を本拠地とした国人領主である。写真提供:新潟県立歴史博物館
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