Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。
“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第1回のキーワードは「フェイクブロッコリー」。
大学二年生の夏、友人たちとキャンプへ行った。バーベキューをして、たっぷり酒を飲んで、それなりに盛り上がっている最中に、友人のひとりがテントの目の前にあった、池と水溜まりのちょうど中間くらいの浅い水辺に突然飛び込んだ。飛び込んだ友人が、「おい、小川。一緒に水浴びしようぜ」と僕を指名してきた。僕は「絶対に嫌だ」と口では言いつつ、飛び込まないと収拾がつかなくなることを自覚して、隣に立っていた別の友人にこっそり携帯電話を預けた。その後、友人たちに背中を押され、僕は水辺に勢いよく飛び込んだ。
僕はその時のことを、恥ずかしい記憶として保存している。池に飛び込んだことが恥ずかしいのではない。大学生特有の、よくわからないノリを恥じているわけでもない。「絶対に嫌だ」と言いつつ、携帯電話を預けたことを恥ずかしいと思っている。
僕は何度か、特に食べたくもないのにブロッコリーを買ったことがある。僕の中でそのブロッコリーは「フェイクブロッコリー」と呼ばれている。僕が「フェイクブロッコリー」を買うのはこういう時だ。カレーをつくろうと思い、スーパーへ行く。玉ネギ、ジャガイモ、豚肉、ニンジン、カレーのルーなどの材料をカゴに入れてレジに並ぶ。レジの順番を待ちながら、僕は無性に恥ずかしくなる。このままだとレジの人に「こいつ、いまからカレーをつくるつもりだ」と思われるかもしれないからだ。僕はレジの列から離脱して野菜コーナーへ向かい、ブロッコリーをカゴに加える。しかし、これではまだ不十分だ。レジの人に、「こいつ、いまから本当はカレーをつくるつもりなのに、カレーをつくるつもりだってことがバレたら恥ずかしいからって、フェイクでブロッコリーを入れている」と思われるかもしれないからだ。僕はシチューのルーをカゴに入れ、いまから自分がカレーをつくるのか、シチューをつくるのか、わからないように迷彩を施してみる。それでも物足りない時は、しらたきとみりんなんかも入れて、肉ジャガの可能性まで提示する。そこまでやってようやく、僕はカレーの具材を買うことができる。
池に飛び込んだ時も、実はしっかり池に飛び込む準備をしていたことを恥じている。僕から携帯電話を預かった友人は、「こいつ、口では嫌がりながらも、実は池に飛び込むつもりなんだな」と見透かしていたことだろう。僕はどうやら、自分の意思や意図を他人に読まれることを恥ずかしいと感じてしまうようだ。
この癖のせいで、小説を書く時にいつも苦労している。物語にはある程度決まった型がある。ミステリー小説において、現場に証拠があって、事件時のアリバイがない容疑者が犯人であることはほとんどない。そんな人物が犯人であっても、誰も驚かないからだ。主人公格のひとりが乗った電車が爆発して、安否が不明になっていたとしたら、その人物はなんらかの理由によってまだ生きている。重要な場面で現れて、「お前、死んだんじゃなかったのか?」と言われ、不敵に笑いながら「いやあ、実に危ないところだったよ」などと言ったりする。
小説を書いていると、決まった型に吸いこまれそうになることが多々ある。そういう時に、僕の中の「フェイクブロッコリー」が顔を出し、「このままじゃ読者に先読みされるぞ」と囁いてくる。僕は作品にブロッコリーを入れ、しらたきを入れ、生クリームやズッキーニや乾燥ポルチーニ茸や練りわさびを入れているうちに、なにがなんだかわからなくなり、最後にはあんまり売れない本ができあがる。
小川 哲
1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。2023年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『君のクイズ』(朝日新聞出版)がある。
※この記事はPen 2023年1月号より再編集した記事です。