2月17日より公開となる映画『別れる決心』。『オールド・ボーイ』(2003年)や『渇き』(09年)、『お嬢さん』(16年)など数々の衝撃作を生み出してきたパク・チャヌク監督の最新作は、夫を亡くした事件の容疑者である妻と、その事件を捜査する刑事の"禁断の愛"を描いたスリリングなラブロマンスだ。
第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門では監督賞を受賞。日本公開を前に来日を果たしたパク・チャヌク監督に、最新作『別れる決心』について話を聞いた。
韓国随一の鬼才が描く、奇妙でスリリングなラブロマンスとは『別れる決心』
『渇き』との類似性、モチーフとなった韓国歌謡「霧」
――新作『別れる決心』、大傑作だと思いました。同時にすごく変な映画というか(笑)、巨匠の成熟以上に、ますます尖ったパク・チャヌク監督の新作を観られてとても驚きましたし、嬉しい気持ちになりました。
ありがとうございます(笑)。
――パク・チャヌク監督の映画は必ず前の作品を次の映画で更新するチャレンジがあるように思います。『別れる決心』は、2009年の『渇き』に似ていますね。『渇き』は吸血鬼の神父と人間の人妻の奇妙なラブロマンスでしたが、『別れる決心』の主人公、生真面目な刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)のイメージは、『渇き』でソン・ガンホさんが演じたヴァンパイア神父に近いように思いました。
そうですね。今回の刑事ヘジュンのキャラクターは、スウェーデンの人気ミステリー小説『刑事マルティン・ベック』シリーズがヒントになっています。「もし刑事マルティン・ベックが容疑者の女性と恋におちてしまったら?」という風に想像しました。そして『渇き』と『別れる決心』には確かに類似性があります。両作の主人公は「善なる職業」である。ところが“ある決定的な出会い”によって、彼は本来の自分の意図とは全然違う方向へ、数奇な運命によって誘われてしまうんです。
――もうひとつの着想のモチーフが、主題歌となる韓国歌謡「霧」(アンゲ)。もともとキム・スヨン監督の1967年の映画『霧』の主題歌ですが、なぜこの曲を使おうと思われたのですか?
『霧』という映画に関しては、『別れる決心』の脚本を執筆した後で初めて観たんです。公開当時、私は小さな子どもでしたので。ただそんな幼い私ですら、主題歌の「霧」は記憶に刻まれていたくらいこの曲は大ヒットしたんですね。
『霧』という映画には原作小説があります。このように小説から映画へ、その映画用の主題歌が多くの人たちに愛され……という大衆文化のつながり、連鎖の歴史は興味深く、私もまたその派生を延長させた。文化的伝統の一部になれたことを嬉しく思っています。今回はひとつの楽曲をモチーフに一本の映画を作ることができましたが、こういうケースは私の映画では初めてですね。
――さらにルキノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971年)と同じ、マーラー交響曲第5番第4楽章アダージェットが劇中で繰り返し使われます。
はい。ヒロインのソン・ソレ(タン・ウェイ)の最初の夫が、このマーラーの曲が大好きだった、という設定ですね。
ただ正直申しますと、私はどちらかというとマーラーは使いたくなかった。それはまさしく『ベニスに死す』のイメージがあまりにも有名ですから。なので色々な曲を探しては、映画に当て嵌めてみたんですが、どうも合わない。結局、いちばんしっくりくるのがマーラーの第五番だったんです。真似したと思われたくないなあと悩みつつ(笑)、結局気持ちを切り替えて、「この曲は別にヴィスコンティの専売特許ではないんだ!」と決心して使うことにしました。
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『めまい』や『氷の微笑』、そして『妻は告白する』との共通性
――パク・チャヌク監督の作品は、他の映画へのリファレンスを感じさせつつも、別の新しい個性に昇華されているのが素晴らしいと思います。『別れる決心』も、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』(1958年)や、増村保造監督の『妻は告白する』(1961年)などを連想させる要素がありますね。
『めまい』との類似は、特に欧米のジャーナリストからの指摘が多かったです。ただ私自身はまったく念頭に置いていなかったんですね。むしろ事件の容疑者と刑事が惹かれ合う物語ということで、ポール・ヴァーホーヴェン監督の『氷の微笑』(1992年)のことは少し考えていました。
ただ『めまい』は、私が心からいちばん好きな映画のひとつですし、ヒッチコック作品を通して映画を学んだようなものですので、無意識のうちに私の体の中に染み込んでいるように思います。
そして『妻は告白する』ですが、まず増村保造監督は、私が大変尊敬している日本の映画監督のひとりです。実は脚本開発の段階で、おそらくこれは『妻は告白する』に似ていると言われるに違いないと思っていました(笑)。
――ヒロインが山岳事故で夫を亡くし、殺人を疑われるミステリー設定の部分ですね。
はい。共同脚本家のチョン・ソギョンさんとも相談したんですが、でも彼女は「似てるからって変えるんですか?」と強く主張して、「確かにそうだね」って(笑)。
それに本作のタン・ウェイさんと、『妻は告白する』の若尾文子さんは、まったく違う強い個性をそれぞれ持つ俳優さんです。だからたとえ同じ脚本の映画化だったとしても、全然異なる雰囲気の映画になるだろうと思います。
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タン・ウェイがもつ「相手を服従させるような雰囲気」
――確かに。今回、タン・ウェイさんをヒロイン役に起用された理由は?
まず、彼女がトニー・レオンと共演した『ラスト、コーション』(2007年/監督:アン・リー)の印象が鮮烈だったんですね。私にとって衝撃的な出会いでした。韓国映画の『レイトオータム』(2010年/監督:キム・テヨン)も素晴らしいと思いましたし、ぜひ彼女と一緒に映画を作りたいと思い、今回ついにその念願が叶ったという次第です。
――タン・ウェイさんが演じることもあり、本作のヒロイン、ソン・ソレは中国人の設定です。ソレは韓国語がまだ苦手で、スマホの音声翻訳アプリを使って会話するのも印象的でした。
デジタルデバイスを使うことは最初イヤだったんですよ(笑)。ただ今の時代を舞台に映画を撮るからには、もう避けることはできないと悟り、ちゃんと映画的に使おうと思い直しました。そこで思いついたのが、音声翻訳アプリを使ってコミュニケーションするというアイデアです。
音声翻訳アプリを使うことで、男女の関係に動揺が生じるわけですね。刑事と容疑者として出会ったふたり。ひとりは韓国人、もうひとりは在韓の外国人。つまり本来は刑事ヘジュンが優位な立場に居るわけですが、その権力関係に亀裂が入り、支配と服従の構図が傾くことになるわけです。
タン・ウェイさんは相手を服従させるような、あるいは彼女に服従しなければいけないような雰囲気を持っている俳優さんだと思います。それは観客も同じように感じるのではないかと。なので「私が中国語で話す間、あなたたちは黙って聞いていなさい」と(笑)。我々は「はい」と素直に、彼女に従うというわけですね。
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今後は『オールド・ボーイ』よりも……?
――なるほど(笑)。ところで刑事ヘジュンの妻、アン・ジョンアン(イ・ジョンヒョン)は原子力発電所の技術者という設定ですが、その理由は?
原発の責任者は事故を防ぐために、物事を万全に管理しなければいけないという考え方を持っているように思います。なので「家庭を守る」といった問題においても、同様の隙がない性格が出るようになっている。
対して夫のヘジュンはもっと情緒的な考え方をする人物です。言うならば彼は「文系」、妻ジョンアンは「理系」。そして釜山の署に勤務する夫は「山」の人、原発のあるイポという海辺の街(映画独自に設定された架空の地域)に住む妻は「海」の人。これはソレの亡くなった夫ドスと、ソレにも言える図式ですね。
――「海」「山」といったシンボリックな対比は『別れる決心』の作品設計を読み解くうえで重要ですね。
ちなみにソレは介護の仕事をしており、ご老人など他人の体に触れながらお金を稼ぐ。一方でジョンアンは機械装置などで仕事をする。「文系」と「理系」のヴァリエーションですね。こういったあらゆる対比の図式を組み込んでいきました。
――夫婦関係にしろ、ヘジュンとソレの道行きにしろ、いずれも女性上位の関係性ですね。パク・チャヌク監督の作品は『オールド・ボーイ』(2003年)など濃厚な男性性の物語からスタートしたと思いますが、近作はむしろフェミニズム色が強く、どんどん逆の傾向を見せています。
確かにそう見えるかもしれないですが、油断しないでください。実は私が準備をしているさまざまな企画の中には、『オールド・ボーイ』よりもさらに男性性の強い作品もあるんですよ!(笑)。
『別れる決心』
監督/パク・チャヌク
出演/パク・ヘイル、タン・ウェイほか
2022年 韓国映画 2時間18分 2/17よりTOHO シネマズ 日比谷ほかにて公開。
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