『どうする家康』で野村萬斎演じる今川義元、知られざる異名「海道一の弓取り」とは

  • 文:島崎 晋
  • イラスト:阿部伸二(Karera)
  • 監修:渡邊大門
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現在発売中のPen最新号「戦国武将のすべて」では、戦国武将たちの知られざる姿を解き明かしつつ、映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』、大河ドラマ『どうする家康』など、話題の大作の魅力をひも解く。さらに戦国時代を舞台にした人気漫画・ゲームなどの裏側や制作秘話に加え、軍師の働きや名城の見どころ、天下分け目の合戦模様や大名の組織運営まで、あらゆる角度から戦国武将たちの姿に迫る。

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その名が広く通っている戦国大名たちであっても、近年の調査や資料の発見で、知られざる姿や人間像が明らかになっている。Pen最新号「戦国武将のすべて」では、いま注目すべき10人の実像をひも解いた。

1月8日にスタートする、徳川家康の生涯を描くNHK大河ドラマ『どうする家康』。序盤でキーマンとして登場するのが、野村萬斎演じる今川義元だ。ドラマ内では人質として預かった幼い家康に目をかけ、幅広い教養を身につけさせる様子が描かれるが、最新研究ではどのように評価されているのだろうか。

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今川義元
1519〜1560年
駿河国・今川館(静岡県静岡市)

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駿河の戦国大名。遠江・三河をも支配下に収め、相模の北条、甲斐の武田と並ぶ大勢力に。軍師の雪斎の斡旋で甲相駿三国同盟が成立すると、尾張平定に乗り出すが、桶狭間の戦いで討死した。

今川氏は足利一門の名家。駿河国の守護大名からそのまま戦国大名に転身。三男であった義元に家督相続の可能性は薄いことから、富士郡の善得寺で僧となった後、京都の名刹で修行を重ね、得度もした上で駿河に帰国。

ところが、長兄が24歳の若さで急死。時を置かず次兄も死亡したことから、にわかに後継者争いが勃発。義元が庶兄を破り、家督を継承。義元の「義」の字は時の将軍・義晴から贈られたもの。

養育係を務めた臨済宗の僧侶、太原雪斎(たいげんせっさい)の教導よろしく、義元は国内をうまくまとめ上げ、遠江・三河にまで支配権を広げた。京都から多数の公家を招くなど、京文化の摂取にも熱心だった。

国力が充実し、甲斐国の武田信玄、相模国の北条氏康との同盟も成立すると、義元は本格的な尾張国攻略に乗り出す。三河勢を先陣として、次々と砦を落とし、織田信長の命運もついにこれまでかと思われたが、「桶狭間の戦い」で陣が長く伸びた一瞬の隙を信長に突かれ、あっけなく討ち取られた。

義元といえば、京文化に傾倒するあまり、公家かぶれの軟弱者として描かれることが多いが、当時の習慣では、化粧も輿(こし)に乗るのも権威の誇示に不可欠なこと。江戸時代の軍記物で貼られたレッテルを剥ぎ取ると、文武両道の名君像が浮かぶ。「海道一の弓取り」の異名も伊達ではない。

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大敗を喫した、桶狭間の戦い

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楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)が江戸末期から明治10年頃までに描いたとされる、木版画の義元。織田軍が桶狭間に張っていた義元本陣に突撃。義元は桶狭間で織田軍の毛利良勝(よしかつ)と服部小平太(はっとりこへいた)により討ち取られた。 写真提供:NPO桶狭間古戦場保存会

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公家かぶれとして描かれた義元

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江戸末期から明治期にかけて描かれたとされる、義元の正装姿。輿に乗っていたのは、胴長短足で馬に乗れなかったからという説や、幼い頃に落馬して馬を恐れるようになったからという説もあるが、いずれも真偽のほどは定かでない。 写真提供:NPO桶狭間古戦場保存会

pen1228_re.jpg Pen最新号の表紙は、映画『レジェンド&バタフライ』で織田信長を演じる木村拓哉の【通常版】と、原哲夫による『花の慶次』の【特装版】の2パターン。

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2023年2月号増刊 No.537 ¥1,100(税込)

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