「なぜこんなにも面白く、パワフルで魅力的なのか」韓国文学翻訳家・斎藤真理子がひも解く、物語の裏側にある韓国の姿

  • 文:韓光勲
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近年、韓国文学が続々と翻訳・出版されている。2018年に発売された『82年生まれ、キム・ジヨン』は日本でも20万部を売り上げるヒットとなり、一種の社会現象にもなった。『アーモンド』は2020年本屋大賞の翻訳小説部門で1位となり、大きな話題に。そのほか、『フィフティ・ピープル』、『保健室のアン・ウニョン先生』、『カステラ』、『ピンポン』、『菜食主義者』など、韓国文学は日本で多くの読者を獲得している。

また、小説ではないが、『死にたいけどトッポッキは食べたい』や『私は私のままで生きることにした』などのエッセイも人気を呼んでいる。

読者層も様々だ。海外文学ファンだけでなく、『キム・ジヨン』や『アーモンド』は「普段は小説を読まない」という人にも広がった。

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なぜ、日本の読者は韓国文学に魅了されるようになったのだろうか。韓国文学のエネルギッシュな魅力とはなにか。

「なぜこんなにも面白く、パワフルで魅力的なのか」、そんな帯がつけられた本が、斎藤真理子著書の『韓国文学の中心にあるもの』(イーストプレス、2022年)だ。

斎藤は『キム・ジヨン』の翻訳など、多くの韓国文学の翻訳で知られている。そんな斎藤が韓国文学の魅力をふんだんに語ったのがこの本だ。

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斎藤真理子 イーストプレス ¥1,650

現在、韓国と日本の生活水準はほとんど変わらない。抱えている悩みも似たものが多いため、先述したようなエッセイが日韓でも流行する。

「だが少し近寄ってみれば、植民地にされた経験、朝鮮戦争と南北分断、軍事独裁政権による強権支配と、たどってきた歴史は大きく違う。朝鮮戦争はあくまで『休戦』状態にすぎず、和平がもたらされたわけではない。現在の韓国の文化コンテンツに見られる敏捷で聡明な繊細さは、このような重い歴史をくぐり抜けた足腰に支えられているといってよい。本書では、この足腰部分の解剖図を目指してみた」(3-4頁)

斎藤は第1章で、『キム・ジヨン』がなぜあれほどヒットしたのか、その理由を小説の構造から解き明かしている。

「二〇一八年に日本に降臨したキム・ジヨンは、何よりも『社会構造が差別を作り出している』『自分は、その構造によって規制を受けている、当事者そのものだ』という覚醒を、多くの読者にもたらした。私はそこに、個人の中の社会と社会の中の個人を浮き彫りにする韓国文学の底力を感じる」(41頁)

第1章では、『キム・ジヨン』を読んだ日本の読者の感想が紹介されており、非常に興味深い。この小説が日本の読者に与えた深い影響がみてとれる。

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第2章以降は、韓国の時代を画する出来事と文学の関係が綴られる。セウォル号事件(2016年)、IMF危機(1997年)、光州事件(1980年)、朴正煕の維新時代(1972~79年)、そして朝鮮戦争(1950~53年)。

なかでも、「朝鮮戦争は韓国文学の背骨である」と題された第7章が濃密だ。

「韓国文学を読む上で、いちばんの要となるのは朝鮮戦争だ。それは文学の背景ではなく、文学の土壌に染み込んでいる」(178頁)

朝鮮戦争をめぐる物語は多くの作品に描かれてきたし、文学者の中には失郷民(北に故郷を置いて南へ避難してきた人びと)も多い。彼らのディアスポラ文学は文壇の一端を支えてきた。

「中上健次は、一九八〇年にソウルで行われた尹との対談の中で、朝鮮戦争について『ああ、なんでこんな大事な大きな悲劇を知らなかったんだろう』と述べた。このナイーブな言葉は、韓流ドラマやK-POPが日本中に行き渡った今でも、あまり変わらない響きを持っているのではないだろうか」(208頁)

この指摘はその通りだと思う。日本で「戦争」といえばアジア・太平洋戦争を指すし、その次の戦争といえばベトナム戦争だろう。朝鮮戦争についてはおぼろげなイメージしかない人が多いのではないだろうか。ただ、日本が例外ではなく、アメリカでは朝鮮戦争は「忘れられた戦争」と呼ばれている。韓国文学を真に理解するためには、朝鮮戦争を理解することが必要だという斎藤の指摘は心に留めておきたい。

斎藤は最後に、「過去の歴史を学んで忘れないことは、そこにありえたかもしれない未発の夢を手探りすることですし、そのためにも文学は有用だと思っています」(308頁)と書く。

韓国文学を読み始めた人、韓国文化に興味を持つ人には一度この本を読み、背景となる歴史的事象とともに韓国文学を読んでみることを勧めたい。これまでには知らなかった、新たな隣国の姿が見えてくるはずだ。

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