「大人の名品図鑑」英国王室編 #5
世界約200カ国のなかで「王室」がある国は30に満たないが、「王室」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは英国王室ではないだろうか。イギリス国民から圧倒的な支持を受け、その動向はすぐにニュースとなる。いまや英国王室御用達=ロイヤルワラントは完全にブランドのようになっている。今回は、そんな英国王室から愛された名品を取り上げる。
メンズファッションの歴史を語るとき、欠かすことのできないイギリス人が「ウィンザー公」、または「ウィンザー公爵」ではないだろうか。
世界屈指の洒落者として知られ、メンズファッションに多大な影響を及ぼし続けた人物。実はこの名前は退位後に叙されたもので、彼はれっきとした英国国王。ウィンザー朝第2代国王のエドワード8世で、女王エリザベス2世の叔父にあたる人だ。
そんな彼は1894年6月23日、ジョージ王子(後のジョージ5世)とメアリー妃の第1子・長男として生まれる。当時の上流階級のしきたりにのっとり、両親ではなく乳母に育てられる。その後海軍兵学校に進学するが、学力も体力も芳しいものではなく、いじめに近い扱いを受け、寮生活にも馴染むこともできなかった。1910年、エドワード7世の死去にともない、16歳で「プリンス・オブ・ウェールズ」に叙される。1912年にはオックスフォード大学に入学するも、学問よりも乗馬やゴルフ、狩猟などにいそしむ学生生活を送っていたという。第一次世界大戦後の1919年、彼は親善大使として軍艦レナウン号に乗って積極的に各国を訪問する。『恋か王冠か』(渡辺みどり著 光人社)には「ニューヨークでは、皇太子は耳をつんざくような歓迎の嵐に迎えられ、ブロードウェイではテープの吹雪が皇太子に浴びせられた」と書かれている。アメリカは「王位」をもたない国、その地位への憧れもあるのだろうが、「プリンス・チャーミング」と言われた英国皇太子のはにかんだような笑顔と洗練されたスタイルは、アメリカだけでなく世界中の人たちを魅了した。
1936年1月20日、ジョージ5世が他界すると彼は国王に即位し、エドワード8世となる。当時交際中だったアメリカ人女性、ウォリス・シンプソンとの結婚を彼は望んだが、ウォリスに離婚歴があったため、英国国教会はこれを認めなかった。このため、同年の12月に退位を決意する。
「私が次に述べることを信じてほしい。愛する女性の助けと支えなしには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことができないということを」とラジオ放送を通じて国民に語りかけた。市内の電話回線はパンク、市内は大混乱、第一次世界大戦の宣戦布告をも上回る衝撃が世界中を駆け巡った。まさに「王冠をかけた恋」である。1年に満たすことなく、退位し、ウィンザー公となった彼はイギリスを去り、ウォリスとの結婚は果たすが、ドイツ、フランスなど各地を転々とする日々を送り、1972年、食道ガンで亡くなっている。
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ウィンザー公が流行させたファッションスタイルの数々
そんな数奇な人生を歩んだウィンザー公が流行させたものはどんなスタイル、アイテムだったのだろうか? 「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ばれる格子柄はエドワード7世が最初に愛用したが、ウィンザー公がコートやスーツなどに採用したことで世界的に流行をみたチェック柄だ。
靴で彼が愛用したのが、彼茶のスエードシューズやコンビカラーのローファー、ダブルモンクの靴など。茶のスエードシューズはそれまでカントリーで履くものと見られていて、スーツに合わせることは英国紳士の間ではご法度だった。それが彼が履いたことで街でも気軽に履けるようになった。いわば「ルール破り」だが、そんなコーディネーションはお手のもの。保守的な装いに反逆するかのように自在にメンズファッションを楽しんだ。ネクタイの太い結び目で「ウィンザー・ノット」と呼ばれる結び方があるが、これも彼のネクタイの結び目を見たアメリカ人が命名したものだ。余談だが、実際には彼は「プレーンノット」で結んでいたという話もある。
それ以外にもミッドナイトブルーのディナージャケット、ニッカーボッカーズ、パナマハット、ベレー帽、ボーダーTなど、彼が流行らせたものは本当に多い。そんな中、今回取り上げるのは、カラフルな「フェアアイル」柄のセーターだ。このセーターはスコットランド北東の北海に浮かぶシェットランド諸島のなかの小さな島、フェア島にルーツを持つセーター。カラフルな色づかいと、さまざまな形をした幾何学模様の柄が大きな特徴。諸説あるが、柄はフェア島に代々住む漁師の家紋、フェア島の風景などをモチーフにしていると言われる。
『monoスペシャル ワークウエア②』(ワールドフォトプレス)によれば、このセーターが世界で知られるようになったのは1922年。皇太子時代のウィンザー公がこのセーターにニッカーボッカーズを合わせてセント・アンドリュースのゴルフ場に登場する。実はこの時代、セーター姿でゴルフをしようと思う人は皆無。ほとんどのプレーヤーはノーフォークジャケットにニッカーボッカーズでゴルフを楽しんでいたのである。またもや「ルール破り」だ。
このニュースはたちまちニュースとなって世界中で報道される。同誌には1924年、スイスのサンモリッツでスキーを楽しむ人の約8割がこのセーターを着用、アメリカでもこのセーターが飛ぶように売れたと書かれている。ウィンザー公がこのセーターを着たことで、当時のシェットランド諸島の経済が一気に復興したという話も同誌に書かれている。『イギリス王室とメディア』(水谷三公著 筑摩書房)には、皇太子時代の外遊の目的のひとつも英国製品の売り込みにあったと書かれ、彼を「英国第一のセールスマン」と評している。
ここで紹介するフェアアイルセーターは、イギリスのジャミーソンズというブランドの製品だ。1890年代にロバート・ジャミーソンにより創設されたブランドで、現存するシェットランド島最古のニットウェアメーカーだ。自社で紡績工場を構え、シェットランド諸島から採れる上質なウールを使って、昔と変わらぬ伝統的でていねいな製法を守りながら生産を続けている。染料も植物由来のものを使用、美しい発色とナチュラルで柔らかい風合いを備えている。ウィンザー公がゴルフ場で着用することがなかったら、このセーターが世に出ることはなかった。あるいは世に出るのがずっと遅れたかもしれない。公爵の人生と同じく、劇的な物語を持ったセーターではないか。
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