「ルール破り」を厭わない。イギリス王室一のファッショニスタ、ウィンザー公が流行させたセーター

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一
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同ブランドの定番と言えるVネックのベスト。スコットランドの伝統的な柄であるフェアアイル柄で、素材はシェットランド島から採れたウールが使われている。ウール100%。ツイードなどのジャケットとの相性は抜群。まさに一生もののニットではないだろうか。¥25,080/ジャミーソンズ

「大人の名品図鑑」英国王室編 #5

世界約200カ国のなかで「王室」がある国は30に満たないが、「王室」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは英国王室ではないだろうか。イギリス国民から圧倒的な支持を受け、その動向はすぐにニュースとなる。いまや英国王室御用達=ロイヤルワラントは完全にブランドのようになっている。今回は、そんな英国王室から愛された名品を取り上げる。

メンズファッションの歴史を語るとき、欠かすことのできないイギリス人が「ウィンザー公」、または「ウィンザー公爵」ではないだろうか。

世界屈指の洒落者として知られ、メンズファッションに多大な影響を及ぼし続けた人物。実はこの名前は退位後に叙されたもので、彼はれっきとした英国国王。ウィンザー朝第2代国王のエドワード8世で、女王エリザベス2世の叔父にあたる人だ。

そんな彼は1894年6月23日、ジョージ王子(後のジョージ5世)とメアリー妃の第1子・長男として生まれる。当時の上流階級のしきたりにのっとり、両親ではなく乳母に育てられる。その後海軍兵学校に進学するが、学力も体力も芳しいものではなく、いじめに近い扱いを受け、寮生活にも馴染むこともできなかった。1910年、エドワード7世の死去にともない、16歳で「プリンス・オブ・ウェールズ」に叙される。1912年にはオックスフォード大学に入学するも、学問よりも乗馬やゴルフ、狩猟などにいそしむ学生生活を送っていたという。第一次世界大戦後の1919年、彼は親善大使として軍艦レナウン号に乗って積極的に各国を訪問する。『恋か王冠か』(渡辺みどり著 光人社)には「ニューヨークでは、皇太子は耳をつんざくような歓迎の嵐に迎えられ、ブロードウェイではテープの吹雪が皇太子に浴びせられた」と書かれている。アメリカは「王位」をもたない国、その地位への憧れもあるのだろうが、「プリンス・チャーミング」と言われた英国皇太子のはにかんだような笑顔と洗練されたスタイルは、アメリカだけでなく世界中の人たちを魅了した。

1936年1月20日、ジョージ5世が他界すると彼は国王に即位し、エドワード8世となる。当時交際中だったアメリカ人女性、ウォリス・シンプソンとの結婚を彼は望んだが、ウォリスに離婚歴があったため、英国国教会はこれを認めなかった。このため、同年の12月に退位を決意する。

「私が次に述べることを信じてほしい。愛する女性の助けと支えなしには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことができないということを」とラジオ放送を通じて国民に語りかけた。市内の電話回線はパンク、市内は大混乱、第一次世界大戦の宣戦布告をも上回る衝撃が世界中を駆け巡った。まさに「王冠をかけた恋」である。1年に満たすことなく、退位し、ウィンザー公となった彼はイギリスを去り、ウォリスとの結婚は果たすが、ドイツ、フランスなど各地を転々とする日々を送り、1972年、食道ガンで亡くなっている。

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