ロングセラーを続ける名作には、他にはない独自の物語がある。 今回は、オメガ「スピードマスター」の誕生秘話や開発の裏側を振り返る。
オメガの「スピードマスター」は1957年に誕生した。ブラックの文字盤にクロノグラフ機能の30分積算計、12時間積算計のカウンターを備え、さらに移動する物体や乗り物の速度を読み取るタキメータースケールを世界で初めてベゼルに装備した、最先端のクロノグラフの誕生だった。高度な機能と一体化する斬新な意匠は、名前の通り“スピード時代”を代表する傑作として、特別な歴史を刻み始める。そのファーストモデルの直接な後継モデルが現在の「スピードマスター マスター クロノメーター」。手巻きというスペックは不変のまま、しかも65年前の誕生時点から、基本的なデザインは不動である。
まだ世界に自動巻きクロノグラフが存在せず、クオーツもない時代、圧倒的な高性能を誇る「スピードマスター」は、誕生してまもなく大変な栄誉と責任を与えられる。米航空宇宙局=NASAに認められ、宇宙飛行士の公式装備品となるのである。
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過酷で厳格な状況下でのテストに勝ち残る
1964年、NASAの最高執行責任者ドナルド・スレイトンは、世界中の時計製造会社に“高品質クロノグラフ”提出のリクエストを行った。応じたのはオメガを含む4社のみで、それぞれが3本のクロノグラフを提出。担当者らの目的は宇宙飛行士のためのクロノグラフを選定することにあり、そのための過酷で厳格な状況下でのテストを実施することになった。
そのテストは高温、低温、高圧、減圧、気温気圧、相対湿度、酸素中気圧、衝撃、加速度、振動、可聴音ノイズに対する過酷なスペックを要求した。そして、普通に時計店で販売されていた「スピードマスター」のみが、このテストに勝ち残ったのである。NASAはこの結果をもとに65年3月、“すべての有人宇宙計画における使用許可”を出し、直後のジェミニ3号計画から、宇宙時計「スピードマスター」の運用が開始された。その歩みは、宇宙進出で当時のソビエト連邦に後れを取っていたアメリカの、誇りを賭けた挑戦と時を同じくした。NASAによる公式クロノグラフのテストにパスした手巻き「スピードマスター」は、以後「プロフェッショナル」を名乗り、現在も自動巻きモデルと峻別されている。
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アポロ計画との関係
そして69年、その日はやってきた。人類が始めて月面に降り立ったアポロ11号計画。その最初の人間となったアームストロング船長の腕で歴史的な時間を記録したのは、オメガ「スピードマスター」であった。その瞬間、アームストロングは「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」という、有名な言葉を残した。「スピードマスター」もまた、その飛躍の体験を共有したのである。これ以降、「スピードマスター」は「ムーンウォッチ」の愛称を得ることになる。語り継がれるのが70年、映画化もされたアポロ13号のエピソードだ。すべての計器がストップする未曾有のトラブル発生時、「スピードマスター」を頼りに大気圏再突入のロケット噴射のタイミングを計り、生還を果たした。この年オメガはNASAから、NASAの宇宙開発の成功や安全に貢献した企業などに贈られる名誉ある賞“シルバー・スヌーピー・アワード”を受賞している。
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70年代以後、手巻きのクロノグラフは徐々に姿を消していくが、「スピードマスター」は、自動巻きと並行して手巻きの「プロフェッショナル」の生産を続行。結果として今日、その存在自体がきわめて稀少な手巻きクロノグラフにつながる。最終的に月に12人の人類を降り立たせたアポロ計画を通じて、使われた腕時計は1種類、「スピードマスター」だけである。月面着陸のミッションは行われていない現在、「ムーンウォッチ」は最初で最後、唯一の腕時計しか名乗れない。月面上の腕時計史には、「スピードマスター」以外の記述がいまだ存在しないのである。
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2022年最新モデル スピードマスター ’57
2013年発表の「スピードマスター '57」を、マスター クロノメーターのムーブメントに換装した最新作。ケース厚12.99㎜のスリムさ、PVD仕上げカラーダイヤルなど、魅力的な特徴が満載。
※この記事はPen 2022年12月号「腕時計、クラシック主義」より再編集した記事です。