かけがえのない人たちと食卓を囲む幸せについて、これほど考えた季節はなかった。そんな時、いつも思い出すテーブルがあった。岩本町のアンドシノワーズ、そこで供される未知の料理はフランス領インドシナ。かつて67年間だけ存在したフレンチコロニーのレシピだった。
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海の幸、山の幸、川の幸、豊穣な自然にもたらされた食材で調理された皿を、気の置けない仲間たちとシェアする喜び。そこには、食だけが持つ緩やかで温かいグルーヴがあった。
遠い祭りの夜、大皿が並ぶ宴の席で大人たちの喧騒の中、子供心に感じた興奮がアンドシノワーズの食卓から溢れていた。一度訪れた客たちの誰もがリピーターになってしまう。だから、1日1組のプラチナシートは、すぐに予約国難になっていった。
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1887年に始まり、1954年に終わったフランス領インドシナは、現在のベトナム、ラオス、カンボジアに跨っていた。亜熱帯の豊かな自然を背景に、宗主国フランスのみならず、華僑たちにも影響を受けながら独自に発展した東南アジアの食の華。
アンドシノワーズは、今はもう忘れかけられていた異国の地インドシナに、かつて存在した食文化を現代に伝えるために作られた魚醤とハーブの料理ユニットだ。
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アンドシノワーズの始まりは、2014年。フォトグラファーの園健さんと、ライターの田中あずささんとの出会いから生まれた。そこはレストランではなく、かつては確実に存在していたフランス領インドシナの生活様式と歴史文化を伝えるためのラボ。その入口として、魅惑的な料理の数々が紹介される。
今回、岩本町から鳥越に引っ越したアンドシノワーズは、什器や佇まいはそのままに、約2倍の広さになった。トップクラスの予約困難店の狭き門は少しだけ広くなり、まだ訪問できていなかった客たちには絶好の機会だ。
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旧フランス領インドシナ、現在のベトナム、ラオス、カンボジア。そこに暮らす人たちは、今も昔も、私たち日本人と同じように、米を食べ、魚を食べ、多くの野菜を食べ、鶏も、アヒルも、豚も食べる。
彼らは、私たちと同じように、黄褐色の肌を持ったアジアの兄弟たちだ。だから、彼らの食卓を眺める時、懐かしい気持ちに包まれる。うるち米がもち米に、海の魚が川の魚に変われば、そこにある風景はいにしえの日本の食卓を思わせる。多用される魚醤も、味噌や醤油に繋がる発酵食品であることには変わりがない。
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茄子や芋類、ズッキーニ、生姜やベビーコーン。それぞれ姿や大きさは少しずつ異なってはいても、馴染み深い野菜たちばかりだ。カボチャの語源がカンボジアであるように、多くの野菜たちのルーツが東南アジアであることを考えると、それは当然のことかもしれない。
多用されるハーブの数々も、大葉や生姜、茗荷などの、和食における香味野菜使いを思えば共通点が多い。共に、湿度が高いアジアの同胞たちにとっては、清涼感という句読点は料理に欠かせないものに違いない。
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アンドシノワーズの料理の中で、テーブルを囲む客たちに最も大きな歓声で出迎えられるものは、白身魚のラープだ。ラープは冠婚葬祭や、誕生日、記念日には欠かせない、ハレの料理。今もラオスでは、いちばん有名な国民のご馳走だ。肉や魚、時には貝類などのタンパク質と、少なくとも5〜6種類以上の葉野菜を、濁り魚醤とライムで和える。
現地では、雷魚やテラピアなどの淡水魚で作られるらしいが、アンドシノワーズでは、タイやハタ、ヒラメなど、海の中層域を泳ぐ魚が合わせられる。その味わいは、即座にお代わりしたくなるほどの強い中毒性を持っている。
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強烈な勢いで時代を走り抜け、最も宗主国フランスの影響を受けたベトナムと違い、今も色濃くインドシナが息づいているのはラオスだと言う。
まだコロナ禍が訪れる前、アンドシノワーズの2人は定期的に現地を訪れ、日本では手に入らない魚体が残存する魚醤や様々なスパイスを買い付けていた。最初は2人だが、途中からあずささんは陸路、ケンさんは自らのカヌーで水路を旅する。ケンさんの肩書きには、いつか冒険家という文字が加わっていた。
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アンドシノワーズの料理で驚かされるのは、およそ日本人が思い付かないインドシナのハーブ使いだ。たとえば、貝類を煮る時には、大量の生のレモングラスをアクセントにしてココナッツミルクで煮る。
貝類には馴染み深い日本人にとって、ココナッツミルク味の貝の味はカルチャーショックだ。しかし、食べ終わる頃には、もち米を投入して貝類のエキスが滲出したココナッツミルクのスープを食べ尽くしたくなる。現地ではカワニナなどの貝を使うらしいが、アンドシノワーズではツブ貝を使用。添えられたミントの香りと共に、海の幸と山の幸の幸福な出会いに陶然となる。
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ある時、あずささんにラープの意味を聞いたことがある。
「(ラオス人に)ラープってどういう意味なの?って聞くと、みんな一様に幸せとか、健康、嬉しいっていう意味だと言うの」
つまり、ラープとは幸福そのもの、名前にあらゆる料理的な要素が含まれない名前なのだ。その話を聞きながら僕は、それこそがアンドシノワーズの食卓そのものだと感じていた。
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「川は、森林の奥をくぐって流れる。・・・・・泥と、水底で朽ちた木の葉の灰汁をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている」
中学生の終わり頃、金子光晴の『マレー蘭印紀行』に出会ってからずっと、僕は見知らぬインドシナという土地に深い憧れを抱いていた。本に出てくる風物は、仏印(フランス領インドシナ)ではなく、蘭印(オランダ領インドシナ)だったが、アンドシノワーズでの宴の合間、料理の手を休めたケンさんの口から語られるインドシナの情景は、その料理と同じくらいに深い含蓄と刺激に溢れている。
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1940年頃まで、インドシナの物流は舟に頼っていた。だから、ベトナム人たちは、陸の道も、川の道も同じ名前で呼ぶという。メコンには急峻な滝が連なる地帯があり、そこが自然とカンボジアとラオスの国境になった。
冒険家ケンさんの話は、アンドシノワーズで最高のスパイスかもしれない。
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フランス領インドシナ、今はもう存在しない地方の料理と文化を、東京の片隅で啓蒙し続けるユニット、アンドシノワーズ。彼らがいなかったら、メコンの恵みとフレンチコロニーの暮らし。亜熱帯のお米文化が育んだインドシナ3国の料理に出会うことはなかったろう。
美しく、未知な料理たちはどれも旨く、誰もが夢中になってシェアする。それは、食が本来持っている喜び、幸せそのものだ。ふと、ラープの意味を思い出す。
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2倍の広さになり、予約しやすくなったアンドシノワーズ。1887年から1954年の間だけ存在したフランス領インドシナで待ち合わせた2人の旅路は、東京の東、鳥越の地で、更に大きく開花するだろう。
『アンドシノワーズ』
東京都台東区鳥越2丁目3-4 篠田梅村共同ビル 4階
info@indochinoise.com
文筆家
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。