イタリア海軍の特殊潜水部用秘密装備ギアがルーツになった、パネライ「ラジオミール」

  • 文:並木浩一
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ロングセラーを続ける名作には、他にはない独自の物語がある。 今回は、パネライ「ラジオミール」の誕生秘話や開発の裏側を振り返る。

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1938年 初期モデル ラジオミール●イタリア海軍に納入した「ラジオミール」最初期のモデル。1938年もしくは39年に製作されたものと推定されている。

パネライの「ラジオミール」は、ブランドの特殊な出自を証明するモデルである。そのルーツは第2次世界大戦中のイタリア海軍、特殊潜水部隊用の秘密ギア。パネライはその特別な歴史と特徴的なフォルムを原典として尊重しながら、一方で特別なスペックを進化させ、現代に「ラジオミール」を継承したのである。

パネライの創業は1860年にまで遡り、初代ジョバンニ・パネライがフィレンツェで創業した時計店兼工房「G・パネライ時計店」が歴史の始まりとなる。店は3代目グイドの時代にイタリア海軍への精密機器の納入を開始し、4代目ジュゼッペの時代には、より親密な軍との関係を結んだ。

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1900年代初期にパネライが運営していた、フィレンツェ初のスイス製腕時計店。

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1920年代、パネライは現在のパネライ・ブティックがあるサン・ジョバンニ広場に時計店を構え、一方で海軍へ水深計や夜間照準機などの精密機器を納入する業者でもあったのである。ふたつの専門分野をもつパネライは、イタリア海軍からの要請を受ける。それに応えたのが、グイドが発明・特許を取得した蛍光素材“ラジオミール”を使用し、36年に試作した腕時計のプロトタイプなのである。

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左: 1936年に製作された「ラジオミール 」のプロトタイプ。インデックスにローマンとアラビックが混在する“カリフォルニアダイヤル”スタイルの文字盤は、後に復刻も。 右:画期的な夜光塗料「ラジオミール」に関するフランスの特許状(1916年)

その翌年から翌々年頃、この時計は本格的に、しかし一般には知られることなく製造開始された。ロレックス製ムーブメントを搭載し、ラジオミールによる高い夜光性能を備えた大型の防水時計は、太くて長いオイルドレザーのストラップを備えた。それはパネライが既に製作した手首に巻くコンパス、水深計と同様に、腕時計のかたちをした作戦用特殊計器に他ならなかったのである。実際パネライの存在は既に軍事機密のひとつであり、その腕時計にはメーカー名すら記載されていなかったのである。

第2次世界大戦中、その腕時計はイタリアの英雄たちの必需品に。彼らが所属する特殊潜水部隊“グルッポ・ガンマ”は、魚雷ほどの大きさの小型潜航艇に隊員がまたがり、敵艦に爆薬を仕掛けるという常識を超えた水中の作戦行動を実行する。隊員はパネライのミッションウォッチに信頼を寄せ、生命を賭して任務を遂行した。

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左:潜水訓練を終え、まさに浮上した瞬間のグルッポ・ガンマ隊員の記録写真。右腕に装着しているのは、当時のパネライが軍に納入した水深計。 右:低速潜水艇にまたがって潜水航行するという、イタリア海軍特殊潜水部隊「グルッポ・ガンマ」の特別な訓練の様子。

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類を見ない特殊な経歴は、パネライの時計づくりに特別な性格を与えた。工業製品は性能に応じて民生用、業務用、そして軍事用の三段階に分類できる。アマチュア用はプロ用にかなわないし、最も高度な要求に応える軍事用機器は市場原理に拘束されず、常識を度外視してでも最高性能が要求され、妥協も例外もない。そしてパネライは、軍事用から民生用に転用された腕時計なのである。しかも軍納入用の規格を併せもつ時計、いわゆるミリタリーウォッチでもない。初手から特殊工作部隊の作戦行動用に開発された腕時計=ミッションウォッチという性格は、例外中の例外である。

戦後もイタリア海軍、時にはエジプト海軍のための腕時計を製造したパネライは、90年代に入って始めて、一般向けの時計製造を開始した。97年に現体制となって国際的な展開が始まり、世界は「ラジオミール」の名で現れた、この特殊な腕時計に驚喜することになる。大型で厚い腕時計はその後世界的な大流行になったが、先駆者パネライにとっては特徴のひとつにすぎなかった。必要のためにその姿を選んだ時計は決して流行を追ったのではなく、世の中が追いかけてきたのだ。イタリア海軍特殊潜水部隊のための意匠の魅力は、世界を席巻した。その後の20数年を経て、パネライ「ラジオミール 」は世界的な名声と絶対的な存在感を不動にしている。しかしその骨太のラグジュアリーウォッチをつくるパネライの姿勢は不変である。海での任務に命を賭けた特殊潜水部隊の腕時計という伝説のルーツから、「ラジオミール」は変わらないし、変わってはいけない。現在の「ラジオミール」を見ても、そのプロトコルは確実に守られているのである。

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2022年最新モデル ラジオミール オリジネ

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手巻き、SSケース、ケース径45㎜、パワーリザーブ約3日間、カーフストラップ、100m防水。¥875,600/オフィチーネ パネライ TEL:0120-18-7110

初期の「ラジオミール」を彷彿とさせるディテール、経年変化を思わせるケース素材の加工、グラデーションカラーダイヤルなど、極上のヴィンテージ感を漂わせる。

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※この記事はPen 2022年12月号「腕時計、クラシック主義」より再編集した記事です。

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