「大人の名品図鑑」チノパン編 #3
メンズファッションにおいて、ジーンズと並ぶ定番パンツと言われるチノパン。もともとは軍用としてつくられたという確かなルーツと歴史をもつアイテムだが、トレンドに流されず通年で使え、カジュアルでもビジネスでも幅広く使える万能さが魅力だ。今回はチノパンの名品について紹介する。
チノパンを取り上げた「大人の名品図鑑」の第1回と第2回では、現在のチノパンの多くはイギリス軍が調達した生地、あるいはアメリカが軍用に大量に製造したパンツにルーツをもつことを解説した。
ではチノパンがファッションアイテムとして扱われるようになったのはいつごろからだろうか。
カッコいいチノパンが登場する映画として、ファッション関係者がよく挙げるのが、77年に製作された映画『アニー・ホール』。アカデミー賞をはじめとして数々の賞を獲得した名作の一つで、70年代のアメリカがよく描かれた作品だ。この作品の監督であり、主演のコメディアン、アルビー・シンガーを演じていたのがウディ・アレン。そのアルビーの恋人アニーを演じたのがダイアン・キートンで、彼女の役名がそのまま映画のタイトルにもなっている。
ダイアン本人のファッションセンスのよさをウディはそのまま映画に反映させたという話もあるが、映画そのものの評価と並んで、映画で2人が披露したファッションが大きな話題となった作品でもあった。特にチノパン、ベスト、ネクタイといったメンズアイテムを大胆に組み合わせたダイアンのスタイルは「アニー・ホール・ルック」と評され、当時のファッションのキーワード的なスタイルにもなった。
一方、監督で主役も務めたウディは、アメリカを中心にした新しいトラディショナルをそのまま衣裳にしたようなスタイルが特徴だ。彼の着こなしはダイアンと同じく、チノパンを中心にしたいかにもニューヨーカーといった感じ。それまでの無骨で軍用風のチノパンに代わって、ウディがはいていたのは、プリーツ入りで、ベルト下に小さなチェンジポケット付いたクラシックなモデル。シルエットもやや太めで、現代のワイドパンツにも近い雰囲気があった。
ウディはこのチノパンにツイードジャケットを羽織り、中にはチェックのシャツ、足元はモカシンタイプの革靴を合わせる。ドレスとカジュアルのいいところ取り、ジャケットを着用してもノンシャランで、キメすぎていないところがウディらしい。彼の着こなしで肝とも言える存在だったのがチノパンというアイテムというわけだ。
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チノパンが「ファッション」となった1970年代
この映画でウディとダイアンに衣裳を提供したのが、アメリカの大御所デザイナーのラルフ・ローレン。60年代末にデビューした彼が70年代にブランドを大きく広げていった時期でもあった。ラルフ・ローレンだけでなく、当時のニューヨークを中心に活躍するデザイナー、老舗ショップなどがこぞってチノパンを発表したのもこの時代。そのブームは日本をも巻き込み、セレクトショップの老舗と知られるシップスが東京・銀座にショップを開いたのが1977年。店頭にはアメリカから輸入されたチノパンがうずたかく積まれていたことをよく覚えている。チノパンがファッションとして認められたのは70年代後半と見て間違いないだろう。
同じころ、アメリカや日本で大きなブームになったのが「プレッピー」というスタイル。「プレッピー」とは名門私立校のプレパラトリースクールに通う学生、あるいはお金持ちたちの子息を指す言葉で、ファッション的には60年代のアイビーよりも、若々しく、自由に着こなしを楽しむトラッドスタイルを「プレッピー」スタイルと評した。彼らのライフスタイルなどをジョークの意味も含めて書いた『オフィシャル プレッピー ハンドブック』(リサ・バーンバック編 講談社)が81年に翻訳されと、「プレッピー」は日本でも大きなブームとなる。男性でも女性の場合でも、プレッピーが選ぶべきファッションアイテムとしてこの本が最初に取り上げたのが、彼らが「カーキ」と呼ぶチノパンだ。70年代にファッションとして認められたチノパンは80年代になってもその人気が続いていたことがわかる。
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「最高のチノパン」と言われたバリー・ブリッケン
上野のアメ横センタービルの1階にヤヨイという名店がある。創業は1983年。アメリカやイギリスを中心とした品揃えで、アウターやジーンズ、シャツなどの多くをインポート品で揃え、他店ではあまりお目にかかれないような小さなファクトリーブランドまで扱う、アメカジ好きが足繁く通うショップだ。そのヤヨイで長く扱われているチノパンが、80年代から「最高のチノパン」と呼ばれていたバリーブリッケン。もちろんアメリカ製だ。
ブランド名になっている創業者バリー・ブリッケンは、1944年、アメリカのボルティモアに生まれた。その後メリーランド大学に進学、在学中からおしゃれに人一倍興味があった彼は、ブルックス ブラザーズやポール・スチュアートのトラッドな服を愛用していた。当時、ボルティモアには縫製工場がたくさんあり、彼の父親も紳士用のパンツ工場を経営していた。大学を卒業していた彼は、父親が経営する会社に入社する。当時から最高級のパンツを自社でつくれないかと、たくさんの製品を分解して、パターンから素材、資材まで研究を重ねた。そしてサンプルが出来上がるとニューヨークの百貨店やメンズショップに持ち込み、バイヤーに自らが売り込んだ。
60年代になると、バリーは自社ブランドとして「トラウザーズ・バイ・バリー」を発表し、理想とするパンツの生産に乗り出す。70年代には学生時代に通っていてポール・スチュアートや有名百貨店のブルーミングデールズとの取引がスタート、80年代には「最高のチノパン」として日本の雑誌などでも紹介されるようになった。
バリーブリッケンのチノパンを含めたパンツの特徴は、ドレス用のパンツを同じ方法でしっかりと、丁寧につくられていることだ。実はチノパンは安価なジーンズに近い簡便な仕様で縫われているものが多い。しかし、バリーブリッケンのチノパンは素材から縫製まで徹底して吟味されて長年生産を重ねている。ジャケットに似合い、革靴さえ合わせたくなるような品格が漂っている。プレスをかけてきれい目にはいてもいいし、洗いざらしのままはけば、ウディと同じ雰囲気に仕上がる。ヤヨイの佐藤店長をはじめ、多くのファッションのプロが「最高のチノパン」と評するのは、こうした創業者の想いと究極を求めた姿勢がパンツに表現されているからではないだろうか。
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問い合わせ先/ヤヨイ TEL:03-3833-5238
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