「僕の学校の日のノートの上に、読まれたすべてのページの上に、僕は書くお前の名前を」
ヒトラー政権下のフランスで書かれた、ポール・エリュアールの有名な詩、「自由」はそんな風に始まる。そして、第6連では「青空のような僕の襤褸の上に、くすんだ日の映る池の上に」と詩われる。
襤褸を「らんる」と読むか、「ぼろ」と読むかは個人の自由だろう。しかし、レジスタンスの彼らが着ていた、誇り高い継ぎはぎだらけのデニムは容易に想像することができる。アメリカのジーンズをファッションにしたのもフランス人だったし、フランス軍のミリタリーには蒼い素材のものも多かった。
日本では、落語にも登場する花色木綿がそれに近い。町人や農民たちの普段着に使われた藍染の布は、西洋のインディゴ染に通じる。特に東北の農民たちが何重にも継ぎ接ぎした藍染の布は、現代ではアートとして位置づけられている。
主にフランスを中心に世界的な人気を誇る日本文化のひとつとなった襤褸、その歴史は江戸時代から始まった。東北、極寒の中で生活をする中で肘や裾などが擦り切れた衣類に、麻布や古い布団などを継ぎ接ぎしていく。当時、綿は貴重品だったので、布団の詰め物は麻クズや古い仕事着だったからだ。襤褸はそして、子や孫にも伝えられていく。
実は、僕が初めて襤褸に出会ったのもパリの小さなギャラリーだった。
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宇ち多゛を初めとした立石の酒場で友になった松ちゃんこと松木恵美さんが女将を務める酒場の名前が襤褸と聞いた時、ネーミングに彼女の生きて来たもの、学んで来たもののすべてが映されていて目頭が熱くなった。
ドライと円やかなオールドトム、2種のジンと、キンミヤと角瓶。4種の酒を、煎茶、玉露、茎焙じ茶、烏龍茶、ジャスミン茶と合わせていくと言う。そこに、お燗の日本酒やクラフトビール。名店仕込みの各種の料理も、主役の酒を盛り立てていく。それは、まさに彼女にしかできない酒場に違いない。
京都宇治のお茶メーカー、コンビニの商品開発、志賀高原ビールでの修行、名店として名高い門前仲町「酒肆一村」での経験。そのすべてが襤褸のように重なった時、松ちゃんの城「酒と茶と 襤褸」が誕生した。
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土用の丑の日には、鰻ではないが穴子を捌き、煮穴子にして炙り、塩と山葵を添えて出した。酒場ではなかなかお目にかかれない、割烹クオリティのひと皿だ。程よく〆られたイサキの昆布〆や、さまざまな魚やサザエなどの「なめろう」がいつも用意されているのも嬉しい。
それはすべて、2年くらいのつもりで入って、結局、4年間修行したと言う酒肆一村、そして、系列店「酒亭 沿露目」での経験の賜物だろう。
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一見、何の変哲もないかぼちゃの煮付けにも、修行先での経験が活きている。かぼちゃが嫌いだと言う客がお代わりをしそうになったという伝説のかぼちゃ。出汁を丁寧に引くことから始めて、じっくり火入れする。手抜きしない師匠大野さん(酒肆一村)に学んだ技だ。
一方、揚げ物のスターである「あの志賀高原の塩麹からあげ」は、文字通り、志賀高原ビール時代に学んだものだ。クラフトビール「志賀高原ビール」で知られる長野の玉村本店には調理師免許を持つ従業員が何人かいた。その中でも、フード開発も手がけていた料理長ことマルヤマさんのレシピが元になっている。襤褸イチ押しの定番メニューだ。
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注文が入るごとに包んで蒸すシウマイも、酒肆一村時代の賜物。2つ盛りという量も、いろいろな酒の肴を試してみたい呑んべえには嬉しいサイズだ。
お茶メーカーで培ったお茶の知識、ビールだけにとどまらない志賀高原での修行の日々、酒肆一村で学んだ料理と酒に対する深い造詣。当時、ゴールデン街のレサワ王子「the open book」田中開君と共に、日本中にレモンサワーブームを巻き起こした大野さんのレモンサワーに対して、お茶ハイボールの頂点を目指す。
襤褸は松ちゃんの歩んで来た集大成、どこよりも美しい継ぎ接ぎのアートだ。
蓮根とラム挽肉のカレーきんぴらや、ひよこ豆のカレーには就職浪人中に滞在していたインド・ラジャスタン州ジャイプールの思い出が息づいている。同じアパートで暮らしていた、メキシコ生まれのダビットとリリアナ。2人を想いながら構成したメニューだと言う。人生が長い旅なら、襤褸の料理と酒はすべて女将の旅の記憶で造られている。
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古くからの花街である向島に建つ襤褸は、押上、曳舟、何れの駅からも徒歩10分強。まず、知らない一見客が飛び込んでくる体裁ではない。しかも、中には緊張感溢れる静謐なカウンターと着物姿の女将。しかし、その緊張感は女将自身が望んだものだった。
もともと下町の古典酒場が大好きだった彼女、その理想型が立石の「宇ち多゛」だった。店独自のルールや注文法、店員たちのクールで的確な客捌きの向こうにある最上のホスピタリティ。緊張の極みで座っていた客たちは、いつのまにか限りなくリラックスした気持ちに包まれている。
接客とは無闇に客に媚びることではない。凛とした店のグルーヴこそが、名酒場の真骨頂。宇ち多゛は酒場を開こうとした原点。
そして、いつまでも酒場の理想が散りばめられている女将の英気の源だ。
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襤褸の主役は、5品を揃えるお茶ハイボールだ。通常のウーロンハイやお茶割のように、酒を茶で薄めたものではない。師匠の大野氏が酒場の定番ドリンクであるレモンサワーをバークオリティに高めたように、お茶割とハイボールを組み合わせて、バークオリティのお茶ハイボールを出す。
使われる茶葉(中国茶を除いて)は、かつて働いていて限りなくテイスティングを重ねた宇治「森半」のものだ。時には、ライチのような香りを持つ芋焼酎「だいやめ」にインドのダージリンティーを合わせたり、お茶ハイボールの可能性はまだまだ無限大だ。
選ぶ酒、選ぶお茶、その浸出時間。割り物であるソーダかトニックウォーターの選択。襤褸のお茶ハイボールは、酒場の定番ドリンクにしなやかで自由な革命を起こすに違いない。
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「帰りのコンビニで、半分記憶がない状態で玉子サンド買って、また宇ち多゛のうめ割り風ハイボールの缶飲んで爆睡したりするんだよね」
なぜか客たちに続出する玉子の誘惑に応えて、玉子パンもメニューに入れた。インド旅の思い出カレーも、牛蒡やゴーヤ、ひよこ豆など色々なパターンで用意するようにしている。卵かけご飯も〆の肴として用意、実はお茶ハイボール、食中酒としても好適だ。やはり、お茶の成せる技だろうか。
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見上げれば、スカイツリー。かつての三業地、東京でも有数の花街だった向島は少しずつ変わりつつある。しかし、ここには今でも花柳界が現存し、食通だった池波正太郎「鬼平犯科帳」ゆかりの地でもある。
立石、浅草、蔵前、最近注目を浴びているイースト東京に再び向島が加わるのは、もう間も無いはずだ。襤褸のほど近くには都築響一氏の「大道芸術館」のオープンも控えている。
茶屋、酒場、ブルワリー、コンビニ弁当の開発、インド漂浪、宇ち多゛での掛け替えのない時間…。それぞれの旅で培われた時間と経験を縦糸と横糸にして、少しずつ、しかし、頑丈に育まれて来た美しい襤褸。
「それぞれの職場でもれなくポンコツだった私だからこそ作れる、継ぎ接ぎのようなお店、ユニークな酒場にしたい」
ポンコツなんかじゃない、いつも勤勉な生徒だった松ちゃん。そこはきっと、緊張感と包容力が織りなすグルーヴに満たされた唯一無二の酒場になるに違いない。
『酒と茶と 襤褸』
東京都墨田区向島2-10-11
TEL:03-5637-8266
instagram:ranru_sake.to.cha.to
文筆家
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。