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詩人・最果タヒの名品論。『普遍より最高でいて』

  • 文:最果タヒ (詩人)
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いつの時代も変わらず良いものが「名品」なのかなと思いながら、時代は変わるし私の好みも変わるし、普遍的などんなものでも合わせられる服が好きだったことなどそういえば一度もなくて、仕立てが綺麗なシャツだとかを親から譲ってもらっても結局着ないで、その瞬間に最大風速で大好きだった妙に凝った服ばかり着てしまう。普遍的とはいうけど、時代には一瞬たりとも「普遍的」なことなどなくて、常に流行があり人それぞれの好みがあり、私にだって変化が起きている。変わっていく私を全て受け止められる普遍性など欲しくはなくて、できることならずっと併走してほしいのだ。私は変わるが、変わっていく私の中で常に最高であってほしい。製品として見た目が固定され、時間が変わっても姿を変えることができない衣類にそんなことを望むのは酷だけれど、でもそういうものしか私は「名品」とは思えない気がした。私が変わるたびに改めて「好き」と思える服がいいよ。

別に私はどんどん変わりたいわけではないし、ずっと同じものが好きならそれは何より幸福なことだと思う。思うけど、なかなかそうならない。自分がその服に出会った時の新鮮な喜びは、何度も着れば慣れてしまうし、初対面のときが大抵はピークだ。どんどん愛着が湧きますと服について話す人に憧れながらも、私は服にあんまり「慣れ」とか「愛着」とか求めていなくて、見たこともない可愛さやかっこよさや綺麗さを爆弾のように生活にぶちこんでほしいと思っている。生活と私に鮮度をくれるから服は面白い。自分の一部のようにそこにあるのに、自分が好きに選択できる。自分らしさとかどうでもよくて、むしろ自分らしさとか、そういう「自分に対する慣れ」に本当にそれでいいのか!?と問いかけてくれるのが美しい服やかっこいい服。私は、自分が見たことのない自分になれる服が好きだ。私らしさを表現するために服を選ぶのは好きじゃない。私は鏡の中の「私」に慣れたくなくて、だから心から好きだ!と新鮮に思える服を買っている。そして本当はその鮮度がずっと続いてほしいと願っているんだ。

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MM6の真っ赤なワンピースを数年前に買った。腰より下が革でできていて、特殊な加工で細かなプリーツになっている。このワンピースを見たのはインスタで、あんまりに可愛いからその日のうちにお店に行ったような気がします。購入時に特殊加工なんで洗濯するたびにプリーツが取れていくかもしれません(勘弁してほしい)と説明され、私はむしろ逆にその瞬間、30年後もこのワンピースを着ている自分を想像してしまった。プリーツが取れたら嫌だなあ、だって多分この服は30年後も着てるしなぁと思いながら承諾し、頭の中で、今年や来年あたりに好きなだけ着てプリーツのプリーツ力を使い果たしてしまうか、今は回数を減らしてこのプリーツ力をもたせるか考えた途端、後者を自然と選ぼうとする自分に驚いた。自分の好みなんてどんどん変わるのは承知していたはずなのに、そのワンピースはむしろ、10年後や20年後の自分がどう着ているのかに興味が湧いていた。そんなことを想像したのは明らかにレジでの注意事項がきっかけなのだが、買った瞬間に未来を考えたからこそ、私にとってそのワンピースは長い時間を「最高」でいてくれる予感のする一着となったのです。

あれから毎年数回だけそのワンピースは着ていて、いまのところプリーツは無事です。できることなら私が死ぬまではプリーツも頑張ってほしい!と願いながら、名品予備軍のその服と今年も冬まで併走しています。

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最果タヒ●詩人。1986年生まれ。2004年より詩作を始め、07年発刊の第1詩集で中原中也賞、15年に現代詩花椿賞などを受賞した。近著に『夜景座生まれ』(新潮社)や『さっきまでは薔薇だったぼく』(小学館)などがある。
http://tahi.jp

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※この記事はPen 2022年11月号「最旬アイテムを厳選 2022年秋冬名品図鑑」より再編集した記事です。

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