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音楽家・蓮沼執太が思う名品とは? 『世界に直接触れるため』

  • 文:蓮沼執太(音楽家)
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世界と接触する身体のパーツはどこだろう、と考えてみる。まずは手、そして足が思い浮かぶ。そのふたつの部分にまつわる自分にとっての“名品”の話をしたい。

スマートフォンを使えば手のひらで多くの情報を素早く手に入れることができ、僕たちもそれらに管理されながら生きている。なにかに記す行為はどんどん減っていき、指先でテキストを入力していく。ちょっとしたメモを取る時ですら、アプリを立ち上げて入力。もちろん現代社会において不必要な紙や鉛筆を使うより、資源の有限性を考えた上でも、ペーパーレスが理想である。僕はおもに音楽やアートに関わる制作をしている。テクノロジーの進歩によって、便利に作曲が可能になり、紙とペン以外の道具を使っても、音楽をつくることができる世界に生きている。過去に比べて人間の本質的な進歩があるのかは僕にはわからないが、技術が発展したことにより、利便性の高い、いわば効率のよい作品制作のプロセスになったことも事実である。しかし、便利になればなるほど、プロセスの中で存在すべき大切な無駄が省かれていき、味気ないものになってしまう。あまりに技術に依存してしまうことで、ツルッと作品が出来上がってしまい、もっと作品に対して奥行きが欲しくなってしまうのである。これは制作で感じることであるが、日常生活でも同じようなことを思う時がある。

たとえば、スケジュールをGoogle カレンダーに入力すれば、関わる人々に個人の予定がシェアされ、仕事の効率化につながる。でも僕は、できる限りデジタルに頼らず、紙に自分の筆記でメモやドラフトをつくっていくことを心がけている。どんなスケジュールもデジタル化せずに、手帳に書き込んでいる。スケジュール帳がいっぱいになるくらいに、これから起こる予定を書いて残すことによって、その事柄を想像するきっかけをつくっている。

メモだってそう。インスタレーションなどアート作品制作のためのメモには言葉だけではなく、スケッチやドローイングも含まれる。もちろんiPadを使えば、そのタッチですら画面に記録されてデジタル化されるが、僕が望んでいるのはそうではない。紙にサラッとドローイングする、ペンの動きの感触や紙の触れ心地を得ることだ。また、時間や場所、そして自分のコンディションも違えば、感じ方も異なる。そうした日々の機微を捉えることは、制作の細かい部分にダイレクトにつながることもある。微細な音の違いに気がつくには、日常の感覚だったり違和感に反応できるようにならなければならない。詩を書く時もやはり紙とペンが必要で、その環境に道具も一緒に存在して、初めて文字が生まれていく感覚がある。とはいえ、僕は決してアナログ至上主義ということでもない。楽譜をつくる時はギリギリまでコンピューターで進めて、最後の最後のアーティキュレーション指示や、演奏者への思い(または、お願い!)を手書きで記載している。僕にとっては、デジタルとアナログのバランス感覚自体がクリエイションに直結する。

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さて、今日もたくさんペンを使ったので、これらをしまおうと思う。ペンたちが眠る場所。それは筆箱(ペンケース)。前置きがとても長くなってしまったが、ひとつ目の名品は、ポスタルコと彫刻家アレキサンダー・カルダーとのコラボレーションによるペンケース。これはカルダー財団がポスタルコに依頼して実現したプロジェクトで、ペンケースだけではなくウォレットやノートも展開されており、僕はノートも使用している。

もともとポスタルコのものづくりに対する姿勢に共感し、いろいろなプロダクトを愛用している。デジタルの利便性だけではない、日常の道具としてそばに寄り添ってくれる感覚。意識を向けなくても、やろうとしている行為に対して集中させてくれるものが、優れた道具だと思う。

このペンケースとの出合いは、ブルックリンに住んでいた時期に訪れた、ニューヨークのホイットニー美術館のミュージアムショップ。ニューヨークでも個性的な文具店はいくつかあるが、販売されているプロダクトの半分ぐらいが実は日本製。日本人として日常的に使っていると、そのよさも当たり前だと感じていた。でも思い返すと、海外製品のほうは壊れやすく、触り心地のよさも欠けていた。ポスタルコはニューヨークで生まれ、いまは日本をベースにしているブランドだ。日本ではなく、ニューヨークでこのペンケースの性能のよさに気づき、個性的なカルダーのアートワークとのコラボレーションによる佇まいもあいまって、僕にとっての“名品”となったのだ。

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これまでの話はおもに手についてだったが、足についても同様のことが言える。昨今の疫病を理由に、外出を規制された時期もあり、移動することが一時期極端に減った。そして先に述べたように、情報がすぐに手に入ってしまうために、現場に訪れてなにかを体験する、といったことが減った。「あの演劇が観たいなー」と思っても、忙しくて劇場へ行く時間がつくれない。しかたないから、TwitterやInstagram上で他の誰かの文字や写真による感想を読んで行った気持ちになる。コンサートだって、映画だって、レストランだって、パーティだって、あらゆる現場での出来事が情報となって、動かずして手に入る世界に生きている。それはある意味、さまざまなことに自由にアクセス可能で、人々がつながれる機会をつくり出している素晴らしさも感じる半面、現場に足を使って移動して、その場で体験するという行為が省かれてしまい、どうしても味気ない気分になってしまう。僕は可能な限り、いろいろな場所に足を運んで、自分の目で見て、耳で聴き、身体全体で感じていきたい。そこで、直接的に地面と足を接続してくれるもの。それは靴だ。

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ふたつ目の名品は、クラークスのワラビー。超定番の靴を“名品”と呼びたい。

僕は中学、高校と制服の学校だった。黒光りしたローファーを毎日履いて通学していた。いまでこそ、学生が制服にスニーカーを合わせる光景も増えたが、僕はそうはせずにローファーを履いていた。トラッドの定番は崩さずにスタイリングしたい、というのはいまも昔も変わらない姿勢だ。休日は、スケートボードをやっていた時期もあったので、スケシュー(スケートシューズ)を履くことが多かった。そんな中、初めて自分の金で買った靴がある。それがワラビー。スケボーは靴をデッキに擦って、傷をつけて、トリックをする。ソールの感触は大切で、僕は硬いソールが好みだった。そのスケシューとも異なり、ワラビーは天然ゴムソールの革靴である。でもスケートボードのスタイルにもワラビーは自然と入り込んで、似合ってしまう。カラーバリエーションも豊富なことから、どんなスタイルにも溶け込み、僕のTPOにぴったり合う。緊張感もそこそこ備えつつ、自然体でどこか肩の力が抜けた存在感がある。僕は歩くフォームがよろしくないのか、天然ゴムのソールが変な位置で減ってしまう。そんな経年変化を楽しみ、買い替えながら、いまもワラビーを愛用している。

僕にとっての“名品”とは世界との触れ合いを手伝ってくれるもの。手や足と世界の感触をていねいに伝えてくれるものだ。そしてそれらは僕のクリエイションに密接なものである。

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蓮沼執太(はすぬま・しゅうた)
●1983年、東京都生まれ。蓮沼執太フィルを組織して国内外でのコンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、CM楽曲、音楽プロデュースなど、多数の音楽を制作。第69回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。

オリジナルのインスト楽曲「Weather」を9月9日にリリース。今後もコンセプトを設けず毎月1曲ずつ新曲をリリースしていく予定だ。

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※この記事はPen 2022年11月号「最旬アイテムを厳選 2022年秋冬名品図鑑」より再編集した記事です。

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