東京のホテルは数年先まで外資系ブランドの進出も明らかにされ話題に事欠かないが、なかでも2021年に帝国ホテルが発表した2036年完成予定の新本館の計画は大きく報じられた。デザインアーキテクトに抜擢されたのはパリ在住の建築家、田根剛氏だ。
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ホテルの歴史と品格を継承し、未来へつなぐ
帝国ホテルは海外の賓客をもてなす迎賓館として、現在の東京都千代田区内幸町にて1890年に開業した。初代本館は渡辺譲が設計した洋風建築。1923年に開業した2代目本館はフランク・ロイド・ライトが設計。1970年に高橋貞太郎の設計で建て替えを実施、1983年には銀座側に高層の帝国ホテルタワーが新築され、現在に至る。
4代目の建築家という大役を任された田根氏は、1979年東京都生まれ。26歳の時にダン・ドレル氏、リナ・ゴットメ氏らと3人で挑んだエストニア国立博物館の設計コンペで優勝し、広く知られるようになった。2017年、パリにATTA - Atelier Tsuyoshi Tane Architects(アトリエ・ツヨシ・タネ・アーキテクツ)を設立、世界各地でプロジェクトが進行している。2036年に完成が予定されている帝国ホテル 東京 新本館はどんな建築になるのか?
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--記者会見で、帝国ホテルは500人もの建築家をリサーチしたと述べていて驚きました。
コンペ前の建て替えの検討に、帝国ホテルは10年をかけたそうです。建築家とともに未来をつくりたいと国内外500人もの建築家をリサーチした。その姿勢に感銘を受けました。
今回、建築家の選定には条件があったと聞いています。設計に始まる建て替え期間は15年と予定されているので、若い世代、かつ国際的に活躍している建築家で、代表作となる仕事をしてもらいたい。ホテルという枠にとらわれない発想を求め、ホテルを建てた実績にはこだわらない、というものでした。
--帝国ホテルが新本館に求めた3つの要素「品格・継承・挑戦」をどう解釈しましたか?
新本館は品格・歴史を継承し、挑戦するものだと考えました。最初の本館は、開国を受け西洋に向けてつくられた迎賓館。2番目のライト館によって「東洋の宝石」という国際的なアイデンティティが定まった。さらに時代とともに成長し現在まで継続するグランドホテルとしての役割。各々が有する意味を受け継ぎ、自分なりの道を探しました。過去からあるものを継続させて未来へつなぐ方が長い未来像を描けるという考えを、一貫して持っています。
--田根さんは設計する際、場所の記憶を考古学のように掘り起こすリサーチを行います。今回はどんなリサーチをしましたか?
格式あるグランドホテルであることはもちろんですが、海外から賓客が訪れ、式典・催事が行われる場であることを重視しました。オペラ座などの劇場から、古代のメソポタミアやエジプト、オリエントなどの神殿や宮殿、ヨーロッパの宮廷文化を研究し、場の在り方や空間の構成を考え、低層の基壇部をデザインしました。
基壇部の背後の高層部は、高い塔を追求する人類の進歩を象徴するものです。まず、ライトの師匠であるルイス・サリヴァンら19世紀のシカゴ派の建築に立ち返りました。鉄骨造で石やレンガを用いた最初の高層ビル群で実にカッコいい。その後に誕生したニューヨーク派の鉄とガラスの高層ビルが世界中を席巻したのですが、帝国ホテルの未来像を描くには、塔の根源的なつくられ方を踏まえる上でシカゴ派を見るべきだと判断しました。
--ライト館を形容する言葉、「東洋の宝石」をコンセプトに掲げたのはなぜですか?
オリエント=東洋の叡智には、テクノロジーの発展とは異なる種類の豊かさがあります。知恵や経験を人間が積み上げる、記憶の叡智です。帝国ホテルのおもてなしは将来も人の叡智や文化を表わすものであってほしい。東と西をつなぐ、輝かしい叡智を表わす館にしたいですね。
--サステナビリティが求められています。建築家として何を意識していますか?
長い寿命をもつ建築をつくりたいです。建築や文化は長い永続性をもつものであったはずが、いまは人生の方が長く、建物は次々壊されて街が変わっていく。その消費期限の短い設定に疑問を抱いています。これでは次世代に豊かな文化を残せない。大きな課題ではないかと思います。
※この記事は「TOKYO UPDATES」からの転載です。