TVのニュースからウクライナという言葉が聞こえるたびに「ひまわり」の主題歌が重なって聞こえる。ソフィア・ローレンの圧倒的な存在感、ローマ生まれの彼女は昭和の子どもだった僕にイタリア女性のインパクトを印象付けた。でも、誰もがフランスのアイコンとして思い浮かべる2人、ジーン・セバーグとジェーン・バーキンは共に外国女優だ。
ジェーン・バーキンは生粋のイギリス人、彼女は長年に渡って「国境なき医師団」をサポートしている。一方、ヌーヴェルバーグのアイコン、ジーン・セバーグはアメリカの片田舎アイオワ生まれだ。彼女もまた公民権運動を支持し、当時のブラックパンサーを援助していた。
よその国のイマージュで有名になった彼女たちは、共に頑ななまでの正義感と、凛とした強い意志の持ち主だ。自由が丘駅徒歩2秒の異空間、自由が丘デパートの階段を昇るたびに、ジーン・セバーグのことを思い出す。「まーに」の女将ユカさんの髪は、セシルカットほど短くないのに…。
---fadeinPager---
自由が丘デパートは昭和28年に建てられた商店街ビルだ。一説には、日本で最初にデパートという名称を使った商業施設と言われている。元々は戦後にトタン屋根の個人商店が連なっていた自由が丘マーケットが発祥、東京に多くあった闇市の名残のひとつだ。衣料品や雑貨などを扱う 5坪程度の小さな店舗が並ぶレトロな風景は、今も多くのファンを持つ。
しかし、昭和30年代には自由が丘デパートは流行の最先端を行く超モダンなスポット。現在「まーに」が入る3階部分にあたる屋上には最新鋭のローラースケート場もあった。昭和35年には『自由が丘夫人』という東宝映画もヒット、有閑夫人たちの日常がブームにさえなった。
発酵と手打ちパスタ、着物姿の女将が立つ「まーに」の誕生は、かつてのトレンドタウンだった自由が丘の復権かもしれない。3階に立ち並ぶ昭和なスナック街の真ん中辺りのドアを開き、赤いスツールに腰掛けて、カウンターにセットされたスナックには場違いなカトラリーを見た時、ふとそう思った。
まずは「まーに」の姉妹店である自由が丘「mondo」の賄いでも評判だった女将の実家に伝わる糠床で漬けられた糠漬けを頼む。居酒屋のお新香などとは別次元の複雑なニュアンスと旨味は、糠漬けが日本を代表する発酵食品だったことを再認識させる。
糠漬けを食べたmondoの宮木(康彦)シェフが、糠床をイタリアンに応用させたというエピソードを彷彿とさせる。発酵による奥深い旨味は、ワインとイタリア料理にも合うに違いない。
---fadeinPager---
「極みえのき」は、高知で栽培されている究極のえのき茸を使ったメニュー。超強火でソテーしたえのき茸に、あらかじめ同じ素材を糠漬けにして乾燥し、フレークにしたものを振りかける。
およそスナックでも、酒場でも出せるようなメニューではない。自然派ワインもいいが、女将が丁寧にお燗した日本酒にもいい。日本人のDNAに潜在している発酵への憧憬に火がつき、杯が止まらない。
---fadeinPager---
メニューには、シンプルに「ロールキャベツ」と書かれている次のひと皿には、食に対する価値観が寝返りを打つほどの衝撃を覚えた。なんと巻かれているものは、鮒でも鮎でもなく、豚肉の熟鮓(なれずし)だ。
「途中はね、一度ヤバいかなコレ、とか思うんですけど、その壁を通り越したくらいから魚系とは違う芳醇な味わいに変わっていくんです」
米と共に3週間ほど発酵させた豚の熟鮓を巻いたロールキャベツ、このイノベーティブなひと皿を食べるだけのためにも自由が丘デパートを訪れる価値があるだろう。
---fadeinPager---
「自由が丘デパートの上の方の階で、小さなスナックをやりたい」
宮木シェフの素敵な野望を聞いたのは、コロナが街を震撼し始めた頃だった。ジェットファームのアスパラガスや、王様しいたけ、お日さま農園の野菜。生産者たちが丹精込めて作り上げた素晴らしい食材たちが、レストランの休業で行き場を無くしてしまう。
そんな時、家庭でひと手間加えるだけで完成するテイクアウトを始めて、生産者たちにエールを送った宮木シェフ。そのノウハウを応用して、深い夜にもちゃんとした一品を楽しめるスナックができたら…。
---fadeinPager---
実はもうその時、シェフの頭の中には明確なヴィジョンがあったのかもしれない。実際に自由が丘デパートの酒場で出会ったシェフと女将。その接客センスを見込んで、代官山の新店「falo」がオープンする時、彼女に声を掛けた。
イタリア語で焚き火という意味を持つfaloは、店の中央に炭火台を置いてその炎を囲むようにカウンターがある。親しい人たちと炭火台を囲んで料理を楽しむカウンター中心の店。そこで接客できる人材を探していたからだ。
美大卒業後、舞台美術やイベント制作を経て、実は飲食業がいちばんのエンターテイメントかもしれないと確信して女将に転身。酒場を笑顔で溢れさせていたユカさんは、宮木シェフのコールでイタリアンのカメリエーラ(給仕人)になる。
カメリエーラは客と直接対応する、いわばお店の顔。新天地faloでユカさんの才能は鮮やかに開花していく。その後mondoでも接客した後、いよいよ彼女を主役にしたステージが誕生する。「まーに」の開店だ。
---fadeinPager---
「まーに」はイタリア語で「手」、手打ちパスタと糠漬けをメインにした酒場にちなんで名付けられた。スナックでも、もちろんイタリアンでもない。
今まで出会うことのなかった酒場では、発酵料理を主体にしたおつまみと自然派ワインや燗酒など、おいしい酒と女将が作り出す幸せな時間が待っている。
---fadeinPager---
イタリアでは、パスタ職人を2通りの名称に分けて呼ぶ。パスタイオは機械を使って製麺する人、スフォリーノは麺棒を使い完全手作業する職人だ。
mondoに移った頃から、手打ちパスタの魅力にのめり込んだ女将は、日本では数少ないスフォリーノである河村耕作氏の茗荷谷「base(バーゼ)」にパスタ修行に通い出す。タリアテッレやオレキエッテ、ブシャーティなどの手打ちパスタは、そんな日々の貴重な財産だ。
もともと美術の仕事で、手を動かすことが大好きだったという女将にとって、手打ちパスタは接客と共に天職なのかもしれない。
---fadeinPager---
5月7日にひっそりとスタートして以来、大きな宣伝などもしていないのに多くの客たちが集まる店になった「まーに」。最初は知人たちが目立ったが、少しずつ口コミやSNSを通して訪ねる人も多くなる。真ん中の通路側の細長い窓から、着物姿の女将の後ろ姿と客たちの笑顔を見つけて来店する一見さんもいる。
スナックという顔もあるので男性客中心かと思うと、しっかり食事を楽しんでいく女性たちも多い。男女問わず、大らかで快活、凛とした立ち居振舞いの女将のキャラクターに惹かれているのだろう。
自由が丘駅から徒歩2秒の昭和な異空間、自由が丘デパートにまた新しい歴史が刻まれようとしている。
---fadeinPager---
開店から3ヶ月、好調な滑り出しの中走り続けた「まーに」。しかし、猛暑の中、女将が体調を崩してしまい、お盆前に1ヶ月の休業を決意する。オープンしたばかりの店の灯を消したくない。その時立ち上がったのは、なんとmondoの宮木シェフだった。
毎朝仕込みを終えたらランチ、そしてディナーも終えた後に食材を持って自由が丘の3丁目から1丁目に駆けつける。実はこの距離は、意外と離れている。
自分のレストラン営業を終えた後に、姉妹店でワンオペ営業。シェフの健闘ぶりに、時にはmondoの田村ソムリエも駆けつけるようになった。すべては女将の万全のカムバックの日に、しっかりとバトンを渡すためだ。
自由が丘デパート3階、駅側の階段を昇ると左手3軒目。イタリアンのシェフと、手打ちパスタが得意な美大卒の女将が巻き起こした爽やかな奇跡は、自由が丘の夜に新しい魅力を加えようとしている。
レストランや酒場でしか見つからない何か、静かな安らぎと浮き立つような高揚感、一見相反するものたちが、そこでは肩を寄せ合っている。もうすぐ帰ってくる女将の笑顔に出会うために、自由が丘デパートの階段を昇ろう。
『まーに』
東京都目黒区自由が丘1-28-8 自由が丘デパート3階
https://www.facebook.com/jiyugaoka.mani
instagram:jiyugaoka_mani
文筆家
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。