9月17日から京都市京セラ美術館で展覧会『ANDY WARHOL KYOTO / アンディ・ウォーホル・キョウト』がスタートする。アンディ・ウォーホルにとって最後のアシスタントであったベンジャミン・リウが明かす、知られざるウォーホルの素顔とは。4年間、濃密な時間を過ごしてきた彼が語ってくれた。
アンディ・ウォーホルと、ベンジャミン・リウが出会ったのは、1980年代初頭。当時活躍していたアーティストで、ファッションデザイナーのホルストンのパートナー、ヴィクター・ヒューゴにパーティで紹介された。
顔見知りだったウォーホルから、リウは二度アシスタントにならないか尋ねられている。一度目は、「当時は無知で、ウォーホルなんて大したことはないと思っていて」断った。しかし、82年、機会はもう一度訪れる。ウォーホルが所有していた海辺の街、モントークの別荘をホルストンが借りていて、ウォーホルとリウを招待したのだ。みんな水着なのに、ウォーホルだけ全身黒ずくめの厚い服を着ていた。黒い傘をさしながら写真を撮っていたので、「傘を持つよ」と言ったら、再度アシスタントにならないかと尋ねられ、翌日から働くことになった。
リウの仕事は、ウォーホルが撮影した写真やポラロイドの管理だけでなく多岐にわたった。
「毎朝ウォーホルの家まで迎えに行ってファクトリーまで同行し、作品のコレクターたちと一緒にランチを食べました。甘党だった彼とよくジェラートも食べましたね」と、リウは当時を述懐する。また、ウォーホルはアートコレクターでもあり、有名無名を問わず多くの作品を集めていた。しかし自身がオークションに参加すると、彼が金持ちなのは周知の事実で、値段が上がる。そのためリウが代わりにオークションに参加し、ウォーホルの欲しい作品を落札することもあった。
「アンディは滅多に怒らないけど、一度だけ、気分を害させたことがある。いつもかぶっていたカツラのグルーを買いに頼まれた時、間違えてピエロ用のカツラのグルーを買ってしまった。カツラに関しては、敏感だった」
また、バスキアなど若い世代のアーティストにほのかなライバル心も抱いていた。バスキアの大きなペインティングを見ては、「僕はもっと小さいサイズにしようかな」と話していたという。
85年に一度、リウはジュエリーデザイナーになろうと、アシスタント業を離れた。しかしウォーホルは電話をしてきて、「金曜日に来てくれたらチョコレートあげる」と言い、頻繁にチョコレートを送ってきた。ウォーホルはニキビを気にして、ある時からチョコを口にするのをやめたが、もらったチョコが大量にあり、それを送ってきたのだ。彼の熱意に折れ1年後に復帰。結局、リウがコマーシャルのプロデュース業を始める86年まで、計4年間働いた。
「ペインティングはアシスタントに描かせていたけど、線画だけは、ひとりの世界に浸って描いていた。彼の仕事への情熱と集中力は印象的でした」
※この記事はPen 2022年10月号「知らなかった、アンディ・ウォーホル」より再編集した記事です。