9月17日から京都市京セラ美術館でスタートする展覧会『ANDY WARHOL KYOTO / アンディ・ウォーホル・キョウト』。アンディ・ウォーホルのすごさって一体なに? あまりにも巨大な存在すぎていまさら聞けない、でも知りたい。素朴な疑問を展覧会の学芸員にぶつけてみた。
8月26日に発売されるPen10月号「知らなかった、アンディ・ウォーホル」から一部を抜粋して紹介する。
Q.ウォーホルって、なぜすごいの?
A.従来のアート神話を破壊したから。
従来のアートでは、オリジナリティや作家性がなによりも大事だった。しかしウォーホルは、影響を受けた作品や大衆向けのコマーシャルな商品、映画界のスターたちをシルクスクリーンで複製し、自身の作品として発表。そのスタイルでポップアートを代表する作家になると映画も制作、雑誌やテレビ番組に加えて音楽プロデュースにも着手。大衆文化をリードする存在となり、大量生産・大量消費に裏付けられたアメリカ資本主義社会を体現するような姿勢が、彼を独自の作家にした。
Q.彼が手がけたもので、最も高値がついた作品は?
A.『ショット・セージブルー・マリリン』で美術史上最高額の250億円!
今年5月9日、クリスティーズのオークションでマリリン・モンローの肖像画シルクスクリーン作品の1点が1億9500万ドル(約250億円)で落札された。20世紀の美術品として史上最高額で落札されたこの作品には、ファクトリーの常連だったドロシー・ポドバーという女性がウォーホルに向けて発砲し(作品に向けて、という説も)、逸れた銃弾の跡がキャンバスに残されていた。代表作のひとつであり、同時にそのエピソードによる特殊性が落札価格を劇的に高めることとなったのだろう。
Q.なぜスープ缶や洗剤の箱がアートになるの?
A.「アート」として、ウォーホルが発表したから。
キャンベルのスープ缶やブリロの箱に施されたデザインはそれ自体の質が高く、大衆に受け入れられていた。それをウォーホルが題材に選び、作品を展示して販売するギャラリーで発表したからアートとなった。つまり、なにかをアートとして成り立たせる制度を利用し、その世界で発表したことでアートとなったのだ。ギャラリストに認めさせ、メディアや批評家に取り上げられながら市場の流れに乗り、ウォーホルはアートの世界で活躍していった。
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Q.作品は全部でどれくらいあるの?
A.目録も網羅できておらず総点数は不明。
作品目録も存在はするが、一定のカテゴリーしか網羅されていない。世界最大規模の作品所蔵数を誇るアンディ・ウォーホル美術館のコレクションによると、「約900枚の絵画、約100個の立体作品、2000枚近い紙作品、1000枚以上の印刷物、4000枚の写真、60本のフィルム、200本のスクリーンテスト映像、4000本以上のビデオ、さらにウォールペーパーと書物」があるとか。しかし、それも一部に過ぎず、総点数は数万とも数十万ともいわれている。
Q.なぜセレブや有名人をたくさん描いたの?
A.幼い頃からの憧れと経済的な理由から。
幼少期からハリウッドスターへの憧れは強く、その嗜好は生涯にわたり続いた。マリリン・モンローの死をニュースで知り、初めて有名人をモチーフにしたが、死の衝撃的な報道が続くことでマリリンの実態が無くならないよう、鎮塊の意図があったのではないかともいわれている。また、有名人からの依頼が多かったことも、セレブの作品が多いもう一つの理由。スター作家のウォーホルに肖像画を依頼するのは安くはないが、ステータスの証しだったに違いない。
Q.彼の作品は“コピー”ではないの?
A.「流用」「盗用」もアートの方法論のひとつ。
誰かが撮った写真をそのまま使ったり、既存の商品デザインや、レオナルド・ダヴィンチの有名な作品を複製し反復使用していたりもするウォーホル。それは「流用」「盗用」を意味する「アプロプリエーション」、つまり元の作者の意図やコンテクストを離れ、新たな意味をもたせて世に出す手法としてアートの世界では認識されている。しかし、実際に訴えられたウォーホルに限らず、アーティストを相手どった著作権侵害の訴訟が多く起こっているのも事実だ。
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Q.「ファクトリー」ってなんですか?
A.作品制作をするスタジオで人々が集うサロンのこと。
1963年、ウォーホルはニューヨークの東47丁目231番地にスタジオを構えた。複数のアシスタントがアートワーカーとしてシルクスクリーン作品を大量製作し、商品を製造するようなプロセスで作品を生み出す工場として「ファクトリー」と名付けられた。映画の撮影もここで行われ、出演者が「スーパースター」と呼ばれて出入りしていたほか、ミュージシャン、小説家、役者、モデル、ドラァグクイーンなど多様な人々が集う社交場でもあった。市内で3回移転している。
Q.彼をここまで有名にしたものって一体なに?
A.美術に革新を起こし、メディアを活用できたから。
アメリカが経済大国となり、コカ・コーラをはじめとするメーカーが世界中に展開するようになったのと並行し、ウォーホルもグローバルにイメージ展開を図った。アートの文脈でオリジナリティなどの神話を壊し、大衆にわかりやすいモチーフをアートとして流通させた。そして、ファクトリーで取り巻きを抱え、音楽や映画などの分野を横断したことで広く影響力をもち、テレビや雑誌などのゴシップの対象としても世間を賑わせた。
解説・山田隆行
京都市京セラ美術館事業企画推進室アシスタント・キュレーター
早稲田大学文学学術院文化構想学部複合文化論系助手、千葉県立美術館学芸員を経て、2019年から現職。専門はアメリカと日本を中心とする近現代美術史。近年担当したおもな展覧会に、京都市京セラ美術館ザ・トライアングル『川人綾:斜めの領域』(22年)など。9月から始まる『アンディ・ウォーホル・キョウト』も担当。
※この記事はPen 2022年10月号「知らなかった、アンディ・ウォーホル」より再編集した記事です。