寝たふりする私の横で、私の英語を真似して笑うネイティブたち...その真意に後から気付いた

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    <アメリカの高校に留学した著者が遭遇したのは、現地の友人たちが自分の発音を真似して盛り上がる現場。気付かれないよう涙を流した彼女だが──>

    中学高校で6年間英語を学んでいるはずなのに、「英語が話せない」という人は多い。英語コンプレックスという国民性からか、英語にまつわる新刊はいまも毎月のように刊行され、英会話の講座もさかん。それでも、英語が話せず、英語に振り回される......。

    ニューヨークが教えてくれた "私だけ"の英語──"あなたの英語"だから、価値がある』(CCCメディアハウス)は、「ニューヨークの魔法」シリーズと『奥さまはニューヨーカー』シリーズの著者が、英語と向き合ってきた日々を描いている。ともに、英語入りのロングセラーだ。

    著者は、エッセイストで作家の岡田光世氏。岡田氏は、高校、大学、大学院とアメリカに留学し、語学力を磨いてきたが、「中学英語をきちんと自分のものにすれば、必ず話せるようになる」と言う。その岡田氏は、どんなふうに英語を学び、挫折を乗り越え、モノにし、活かし、人と心を交わしてきたか。そして、取材を重ね、見つけた大切なこととは?

    ここでは、岡田氏が自らの経験から得た、自分の英語に自信が持てるようになるテクニックと考え方を、『ニューヨークが教えてくれた "私だけ"の英語』から全3回にわたって抜粋して紹介する。今回は、その第2回。
    第1回:「受験英語だから英語が話せない」は大間違い 中学英語をしっかりモノにすれば必ず話せる

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    話せないのに、アメリカ人より文法ができる

    「そ、それは、もう少し君の英語がうまくなってから......」

    一番レベルの高い数学のクラスを取りたい、とゆずらない私に、ガイダンス・カウンセラーは目を丸くして、そう言った。

    渡米して数日後、履修科目を決めるために、初めてカウンセラーと会った時のことだ。私は片言の英語で、「数学は、一番レベルの高いクラスを取りたい」と伝えた。

    渡米前に日本で行われた留学オリエンテーションで、日本人は数学ができるから、上級でも大丈夫、と言われていたからだ。

    Are you out of your mind?
    君はいったい何を考えているんだ? その英語力で。

    と言いはしなかったが、カウンセラーは反対した。英語(国語)もレベルの高いクラスを取りたいと伝えると、彼はさらに目を白黒させる。

    それでも私は、自分の意思で決めた。数学のクラスは、すでに日本の高校で学んでいた内容だったので、成績は上位だった。

    レベルの高い英語のクラスは、宿題に出される読書量が多くて大変だった。シェイクスピア劇を授業で観に行った時は、ぐっすり居眠りした。もっとも、クラスメートにとってもシェイクスピアは、熟睡タイムだったらしい。

    驚いたことに、文法のテストで私はいつも上位だった。度の強いメガネをかけ、厳しくて皮肉屋の先生、ミセス・イーヴンソンがよく言った。

    Look at Mitsy.
    ミッツィを見てごらんなさい。

    「英語をうまく話せないのに、文法のテストは満点近いんですよ」

    ほめられているのか何なのか、微妙だが、先生もクラスメートもびっくりしている。

    前置詞や冠詞の使い方がわかっていないアメリカ人が多いことに、私は逆に驚いた。文法の知識は、かなりいい加減だ。

    文法があやふやでも、文脈で意味は通じることが多い。私たち日本人も、日本語の文法がきちんとわかっているとは限らない。「食べれる」の「ら」抜きのように。

    でも、英語の環境で生まれ育っていない私たちにとって、文法はゲームのルールのようなものだ。ルールを知っていれば、それにしたがって表現を増やしていける。応用がきき、会話の幅が広がる。

    留学中、私は日記を書いていた。最初は日本語に英語が交じる程度だったのが、1か月もするとすべて英語になった。こなれない表現もあるけれど、文法はほぼ正確だ。

    英語の授業でミステリー小説を読んだ時、誰も犯人を当てることができなかった。私が恐る恐る手をあげ、犯人を当てた。私の読み書きの力は、それまでに受けた日本の英語教育が基礎にあったから、ここまで伸びた。

    慣れないうちは耳から入る英語が雑音に聞こえたし、ボキャブラリーが足りなかったものの、文法はしっかり頭に入っていたから、混乱はなかった。

    中学・高校の6年間の英語学習、詰め込みの受験英語は、大いに役に立っていた。

    授業中に私が何より驚いたのは、隣の男子生徒にこう聞かれた時だ。

    Hey, how do you spell absent?
    ねえ、absent のつづり、教えて。

    冗談かと思ったら、本気で私の答えを待っていた。

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    私の英語をみんなが笑った

    Forget it.
    もういいから。今、言ったことは、忘れて。

    高校留学中、何よりつらい友人のひと言が、これだった。

    英語がわからなくて、What do you mean?(どういう意味?)と聞くと、そう返ってくる。英語圏で生活しながら、英語が理解できなければ、すべてに自信をなくす。

    一対一で話している時は説明し直してくれることも多いけれど、グループで話が盛り上がっている時に、ついていけない私にいちいち説明するのは面倒だし、場もしらける。雰囲気を壊したくないので、最初のうちはそう言われると、黙ってしまった。

    留学して2か月くらいたった頃、アメリカ人の友人4、5人とピザを食べに、車で30分ほどの町に向かっていた。後部座席で私が眠っている、と思ったのだろう。友人たちが、私の英語について話し始めた。

    「バレーボールでボールを受け取る時、Got it! の言い方がさ」
    「試合中の Let's go! の言い方も、かわいいんだよね」

    そう言いながら、私の英語の発音をおもしろおかしくまねして、楽しそうに盛り上がっていた。Mitsy is so cute.(ミッツィ、すごくかわいいんだよね)。そのセリフで話は終わったけれど、 私は寝たふりをしながら、涙があふれた。ピザを食べている間も、悲しすぎて、ひと言も口をきけなかった。

    ある時、ダッドが言った。

    「英語の心配をするのは、もうやめなさい。マムもダッドも何も心配していない」

    英語が話せなくて悔しければ、それをバネにがんばろうと少しずつ思えるようになっていった。英語がうまくなる原動力を与えてくれたと、前向きに受けとめた。

    会話中に相手に Forget it! と言われたら、「私は英語を勉強中なの。知りたいから聞いているのだから、説明して」と言えるようになっていった。

    外国人が日本語で「ボクノ奥サンハ、アソコニ、アリマス」と言っても、日本語を話そうとして偉いな、と私たちのほとんどが思うだろう。それなのに私たちは、こと英語に関して自分に厳しすぎる。自分を批判し、悲観的になりすぎる。私はもっと自分を大切にし、ほめてあげることにした。

    ホストファミリーや友だちがいつも言ってくれた、こんな言葉で。

    Don't be so hard on yourself. そんなに自分を責めないで。
    I'm very proud of you, Mitsy. あなたをとても誇りに思ってるよ、ミッツィ。
    Everything will be all right. きっとすべてうまくいくから。

    あれから数十年たってから、熱心に日本語を勉強しているアメリカ人と知り合った。話す日本語には、英語なまりがある。にこにこしながら、日本語で私にこう言う。

    日本人ハ、ボクノ日本語ガ「カワイイ」ト言イマス。ナノデボクハ、「アリガトウ・ゴザイマス」ト、オ礼ヲ言イマス。

    私がアメリカ人に同じことを言われた時、バカにされたと傷つき、泣いたのに、彼は喜び、感謝までしている! 日本語が間違っていたら指摘してほしいと、彼はよく言った。「そうすれば次は気をつける。そうやって学んでいくのだから」と。

    移民に向かって、「英語も話せないなら、自分の国に帰れ」などと言う人もたまにいる。でもほとんどの人は、英語を懸命に学ぼうとする姿勢に、心から拍手を送る。

    記事の続き 連載第3回:「Where to?」 世界の英語はほとんど「母語なまり」...日本語英語を堂々と話すのが上達への近道だ

    ※この記事はNewsweek 日本版からの転載です。

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