明治、大正、昭和と3つの時代を生き、日本画、洋画、工芸、書といった幅広いジャンルで活躍した津田青楓(つだ せいふう 1880〜1978年)。京都で育った青楓は白生地屋で丁稚奉公をすると絵を描きはじめ、生活のために図案の道へと進む。そして明治29年、最初の図案集『宮古錦』を16歳にて出版すると、およそ10年の間に13タイトル、計40冊の木版の図案集と図案雑誌を刊行していく。それは「design」の和訳として「図案」という言葉が生まれ、職人の仕事とされていた図案の制作に画家らも携わり芸術化がはかられた、図案の変革期のことだった。
渋谷区立松濤美術館で開催中の『津田青楓 図案と、時代と、』では、青楓を軸にして、同時代の図案家らがどのように作品を生み出していたのかを丹念に検証している。最初期は着物の図柄に使われる図案を多く手がけた青楓。波に千鳥や花鳥、松などの伝統的なモチーフを描いていくが、それに飽き足らず、自らのアイデアのもとにゼロから図案を作った「うづら衣」を制作する。そこには身の回りの草花や風景が図案化されていて、いまでこそ高く評価されるものの、当時の売れ行きは芳しくなく、5巻の予定が3巻で打ち切りになってしまう。独創的な青楓の図案は職人たちにとって使いにくかったようだ。
パリ留学後に東京へ移住した青楓は、二科展の設立に関わる中、自らの図案で刺繍作品を制作し、便箋や絵葉書に図案を描いて発売するようになる。そして大正元年、初めて装幀の仕事をした青楓は、翌年に夏目漱石の『鶉籠 虞美人草』を担当。その後も絵を教えたりするなど親しく交流した漱石の書籍の装幀を次々と制作していく。また小説家で児童文学者の鈴木三重吉とも仕事をともにして、『櫛』や『珊瑚樹』などの装幀を描いた。ただ面白いことに青楓は本の内容を読んで制作しなかったため、装幀にこだわりの強い鈴木と相容れず、全作集13巻のうち10巻でやめてしまう。青楓は「くどくどいわれるのに耐えられない」といった内容の言葉を残しているが、そこには自由に装幀をしようする青楓のアーティステックな姿勢もうかがえる。
洋画家の浅井忠や青楓の師だった谷口香嶠、それに当時人気を博していた神坂雪佳といった同時代の図案も見過ごせない。そのうち浅井と谷口は青楓が結成した図案の研究会「小美術会」の顧問を担い、図案教育に携わるなどして活動した人物だ。また同じく「小美術会」のメンバーだった浅野古香をはじめ、古谷紅麟や下村玉廣、また荻野一水ら、ともすれば現在あまり良く知られていない図案家の作品も魅力に満ちている。それらには琳派やアール・ヌーヴォーから現代の抽象美術を連想させるものもあり、青楓の図案と同様に古びていない。まさに色とりどりの万華鏡の中をのぞき込むようにいまもモダンなデザインを楽しむことができる。
『津田青楓 図案と、時代と、』
開催期間:2022年6月18日(土)~2022年8月14日(日)
開催場所:渋谷区立松濤美術館
東京都渋谷区松濤2-14-14
TEL:03-3465-9421
開館時間:10時~18時 ※入場は18時半まで
休館日:月(ただし7/18を除く)。7/19、8/12。
入場料:一般¥800(税込)
※土・日曜日、祝日、8/9以降の最終週はオンラインでの日時指定予約制
https://shoto-museum.jp