<絶滅危惧種「カントウイドウズムシ」を探していたはずが、見つかった未知の生物とは? 昆虫学者の日々の生活、そして未来の「昆虫ハカセ」たちにとって夢ある研究環境とは?>
「大きくなったら昆虫ハカセになりたい」──という、かつての昆虫少年は少なくないのではないだろうか。
しかし、そもそも「昆虫博士」という学位は存在しない。厳密には、昆虫学者の多くは「理学博士」か「農学博士」である。
そんな昆虫ハカセは普段はいったい何をしているのか? もしかして博士号まで取得して、野山を駆けずり回っているのか?
答えは「イエス」。ある昆虫学者の1日はこうなっている。
100円ショップで売っている出汁パック(目の細かいメッシュ状の袋)を井戸の吐出口にかぶせ、輪ゴムで固定する。それからポンプのハンドルに手をかけて勢いよく漕ぎ出し、連続で100回ほど漕いだところで、出汁パックを外す。それを、水を張ったプラスチックの容器内で洗う。
出汁パックの中には、水に交じり出てきた沢山の土砂が溜まるので、これを容器内で洗い出し、何か妙なものが一緒に出てきていないか観察する。
しかし、10回、20回では、目指す生き物は出てこない。1日1000回を目標に、来る日も来る日も、ポンプ漕ぎ続ける。周りから見ると、謎の屈伸運動を行う挙動不審の中年である。しかし、これを続けたことで、ある「幻の虫」が関東某所の井戸で出てきたのだ。
「幻の虫」を発見した昆虫学者の小松貴は、信州大学大学院で博士号取得後、九州大学や国立科学博物館で研究員をしたのち、現在は「在野の研究者」として、日々、虫の研究を続けている。近著『怪虫ざんまい──昆虫学者は今日も挙動不審』(新潮社)には、昆虫学者の暮らしぶりと世紀の発見について書かれている。
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相当「ヤバい」発見
カントウイドウズムシという生物がいる。ムシと言っても昆虫ではない。時に理科の実験で使われる、切っても切っても、それぞれの断片が1個体に再生してしまうプラナリア(扁形動物)の仲間だ。彼らの中には、地下水にのみ生息する種がいくつも知られ、それら全てが捕獲困難なものばかりとなっている。
カントウイドウズムシは1916年、東京の市ヶ谷にかつて存在した井戸で得られた個体に基づき、新種として記載されたものだ。地下水性生物として日本で最初に報告された、由緒正しき来歴を持っている。
しかしその後、この井戸は消滅し、本種[編集部注:カントウイドウズムシ]の存続の有無が全く分からなくなってしまった。それが1965年、ひょんなことから小松が「幻の虫」を発見した井戸から10キロほど離れた地点の、とある個人宅の井戸にいることが判明し、以後現在に至るまでこの敷地周辺の井戸が本種の日本、いや地球上唯一の生息地だった。
環境省のレッドリストでもランクの高いⅠ類(CR+EN)にまで指定された貴重な種で、この井戸がもし災害などで破壊されたり、水質汚染などでだめになったら、もう他にこの生物を見られる場所がこの世のどこにもないという。
そうしたことから、現在の生息地を何としても守り抜くとともに、万一あるかもしれない第二第三の生息地を新たに見つけ出すことが、本種の保全上急務とされている。
(略)
通い始めてからもう幾日が経っただろうか。今日も今日とて1000回漕ぐつもりでガシガシやるが、やはり出るのはうんざりする数のヨコエビ。でも、一度1000回漕ぐと決めたからには貫徹しよう。その日もそう思って漕ぎ続け、800回ほど漕いだ頃、出汁パックに溜まった土砂をまた洗おうと、すでに土砂の溜まったプラスチック容器を手に取った。
と、その時。私は容器内に、10匹程度のヨコエビ共に交じり、明らかにそれらとは違う風貌の、白くて動くものを見た。
(『怪虫ざんまい──昆虫学者は今日も挙動不審』、新潮社、74−76ページより)
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絶滅危惧I類の「カントウイドウズムシ」か?
「幻の虫」がカントウイドウズムシかどうかは、実はまだ明らかになってはいない。なにしろ大正時代に初めて確認されてから、ほとんど謎の生き物で、ひと頃は完全に姿をくらませていた。しかもツメの先ほどの小ささで、見ただけですぐにわかるような生物ではない。
細部の構造、DNAその他もろもろ、専門家が精査に精査を重ねてようやく結論が出るという。現在の研究の進捗状況として、「いわゆるカントウイドウズムシそのものではない可能性を否定できない」と小松は書いている。
それは、これはカントウイドウズムシではなく、新種である可能性があるという意味だ。だとすると、超希少種発見の、さらに上をいく超々大発見となる。小松は次のように言う。
「トキとかイリオモテヤマネコ、ヤンバルテナガコガネなんかの派手な連中と違って、多くの絶滅危惧の生き物たちはみんな地味な連中ばかりです。誰からも見向きもされません。それこそ人に知られる前に彼らは絶滅しています。
でも、絶滅するにはそれなりの理由があるわけで、そこには何らかの環境変化がある。もし、その変化が実は人類滅亡につながるようなものだったりしたら、どうでしょう? その微妙な環境変化に気付くためにも、私は日々研究活動を続けているんです。研究費がつくような分かり易いものばかりだと、絶対に気付けませんよ」
現在、小松の肩書は「在野の研究者」。少し前まで無給ポストの「国立科学博物館協力研究員」だったが、それも任期が切れてしまったのだ。それゆえに、彼は「昆虫学者は職業ではない、生き方だ」と言い、執筆と昆虫の写真撮影で自らの研究費を捻出している。生活費については妻に頼っているという。
実は小松のような研究者は珍しくなく、研究者のポストと待遇、そして研究環境はここ十数年、社会問題となっている。
日本の科学研究は長年、世界をリードしてきたが、今は過去の「遺産」をどうにか食い尽くしているだけで、これからはノーベル賞級の研究は出てこないだろうとも言われている。つまり、研究者個人の「やりがい」に依存している状況なのだ。
本書は、コロナ禍の移動制限における昆虫学者のドタバタ奮闘記ではあるが、科学を政策として国がどう考え、支えていくのかという、日本の学術研究のあり方をも問い直す内容となっている。
「将来、昆虫ハカセになりたい」という、未来の昆虫学者たちに夢ある国と社会はどうあるべきなのかということも、考えさせられる1冊だ。
※この記事はNewsweek 日本版からの転載です。