『シン・ウルトラマン』で禍特対の班長を演じる西島秀俊さん。『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞・国際長編映画賞を受賞してから初となる劇場公開作品で、世界的にも注目を集める中、『シン・ウルトラマン』の制作現場で感じた「特撮」ならではの体験を語ってもらった。
憧れた世界の一員となり、特撮の伝統やつくり手の志に共感した
1966年に始まったウルトラマンシリーズは、71年生まれの西島秀俊さんにとって幼少期から身近な存在だった。友達とともにカード集めに興じ、誰もが怪獣の名前や特徴をそらんじられる世代。だからこそ『シン・ウルトラマン』の企画を知った際には、「興奮を抑えられなかった」という。
「『シン・ゴジラ』に参加したさまざまな俳優さんから体験談を聞き、庵野秀明さんと樋口真嗣さんのコンビだったら、いままで味わったことのない経験ができるはずだとワクワクしていました。実際その通りでしたね。撮影に入る前に分厚い設定資料をいただいたのですが、世界観が全部説明してあって、ものすごく面白かった」
実際の撮影では、多くのカメラに加えiPhoneが何十台と導入され、見たこともないアングルや多様な質感の映像が次々と収められていったという。その膨大なカットをiPadに記録し、クラウドにアップしてスタッフ間で共有する。また撮影現場では、樋口監督が「自分で撮りたいから誰かカットかけて!」と言うこともあったそうだ。
「従来の映画の撮影現場ではカメラが1台で、『いまは寄りの画を撮って、次は引きを撮ります』と指示されるのが主流で、撮られ方に合わせて演技も変えていました。でも『シン・ウルトラマン』はどこから撮られているかわからず、シーンの頭からお尻まで、誰かがセリフを嚙んでも撮り切ることを繰り返していく。僕たち演者の意識も如実に変化しましたね」
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特撮には現実の問題をメタファーとして描く伝統がある
その他にも、普段なら立ち入れない場所をロケ地として特別に貸し出してもらえたり、自衛隊全面協力のもとで戦車が来たり。撮影隊だけではなく、協力してくれた全員の思いが結集した作品になっていると西島さんは言う。
「特撮スタッフたちが『これはCG、これは実物じゃないとダメ』と判断していく様子から経験と知識の蓄積も感じられて、撮影が楽しくてしょうがなかった」と少年のように目を輝かせて語る西島さんの姿からは、憧れた世界の一員となった喜びが伝わってくる。そして、クリエイターへの敬意も。
「特撮には現実の問題をメタファーとして描く伝統があって、そこに僕はつくり手の志の高さを感じます。『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』を観ていても、明らかに怪獣たちの哀しみにフォーカスして撮っている。子ども向けのフィクションであっても、根底にはシビアなリアリティや、正義と悪の二元論ではないというメッセージが流れているんです」
『シン・ウルトラマン』にも、もちろんその伝統は流れている。
「この作品には、僕たちがこの20~30年間で経験した傷が盛り込まれていて、その中で日常をていねいに生きてきたんだという想いまで感じられる。僕自身も東日本大震災を題材にした映画『風の電話』に出演しましたが、当事者のことを思うと本当に苦しかった。そういった現実へのまなざしを、特撮のつくり手はずっともち続け、次世代に受け継いでいる。本当にすごいことです」
西島秀俊
1971年、東京都生まれ。ドラマ・映画に多数出演。主演映画『ドライブ・マイ・カー』が、第94回米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。今秋には、映画『グッバイ・クルエル・ワールド』が公開の他、配信ドラマ『仮面ライダーBLACK SUN』が今秋配信予定。
※この記事はPen 2022年6月号「ウルトラマンを見よ」特集より再編集した記事です。