【Penが選んだ、今月の音楽】
『Warm Chris』
ソーシャル・メディアを通じて自分をアピールすることが当たり前になった現在、ミステリアスであることは貴重になった。情報は事細かに提示され、すぐにインターネットで拡散されやすい「分かりやすいもの」へと整理される。
そんな時代にあっても、オルダス・ハーディングを名乗るハナ・シアン・トップのフォーク音楽はどこか謎めいた佇まいを崩さない。ニュージーランド出身で、フォーク・ミュージシャンの母の影響から自然とギターを持って歌うようになったことなどいくらかの情報はあるものの、なにより彼女の音楽自体が特定の時代や土地を想起させにくいものだ。アフリカン・パーカッションによる軽快なグルーヴ、トロピカルなテイスト、ディープなアシッド・フォークといった要素が自然と一堂に集められている。生楽器の響きを活かしたやわらかな聴き心地、穏やかなメロディといった一貫したトーンはあるが、曲ごとに声色も歌唱も変化し、歌い手の正体が見えてこない。動物や植物がなにかを象徴するかのように登場する歌詞もシュールで、解釈するのが難しい。
名プロデューサーのジョン・パリッシュと再び組んだ新作でも、そんな彼女の複雑な魅力が存分に味わえる。特に今回は声と音の遊びがよりユーモラスになっており、一曲の中でも彼女の声が複数のトーンで聞こえてきたり、ピッチを外したギターの上で脱力しながら歌ってみたりと、無邪気な実験が繰り広げられている。それでいて、全体としては風通しのよいリラックスした作風に仕上げるバランス感覚も見事である。
歌われているモチーフも相変わらず抽象的で不可解だが、明るい曲調も相まって、なにかに縛られることのない気持ちよさが感じられる。別れの曲も本作では呪縛からの解放として綴られているように、彼女の飄々とした存在感は自由であることの喜びを醸し出す。
※この記事はPen 2022年6月号より再編集した記事です。