「大人の名品図鑑」村上春樹をめぐる名品編 #3
第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』の原作を執筆したのは、日本、いや世界を代表する作家・村上春樹だ。今回は村上春樹の数々のベストセラーに登場する名品、あるいは本人の愛用品について語る。
村上春樹の6作目の長編小説、1988年に発表された『ダンス・ダンス・ダンス』は、『風の歌を聴け』(79年)、『1973年のピンボール』(80年)、『羊をめぐる冒険』(82年)と同じ主人公が登場する作品。三部作の続編であると同時に完結編と言われている。
舞台は『羊をめぐる冒険』から4年後の1983年。翻訳会社を辞めてフリーランスのライターを仕事にする「僕」が、『羊をめぐる冒険』にも登場した札幌の「いるかホテル」を訪ねるところから物語はスタートする。さびれたホテルは「ドルフィン・ホテル」と名を変え、26階建ての立派なホテルになっていた。そのホテルで『羊をめぐる冒険』に登場した「羊男」との再会を果たし、ミステリアスなユキ・アメ親子や、ホテルのフロントで働くヨミヨシさんなどと出会い、さまざまな喪失と絶望の世界を通り抜けていく「僕」を描いている。
80年代に書かれた村上作品同様にこの作品にも多くのキーワードが登場するが、気になるブランド名をこの作品で発見した。「マリメッコ」という言葉だ。
「簡単に説明すると、僕のアパートの部屋は四つの部分に分かれている。台所・浴室・居間・寝室、である。どれもかなり狭い。─中略─本棚とレコード棚と小さなステレオ・セット、それだけだ。椅子もないし、机もない。マリメッコの大きなクッションがふたつあって、それをあてて壁にもたれかかるとなかなか気持ちがいい。机が必要な時は押し入れからおりたたみ式の書きもの机を出してくる。僕は五反田君にクッションの使い方を教え、机を置いて、黒ビールとホウレンソウのつまみを出した。そしてもう一度シューベルトのトリオをかけた」
物語が「僕」の旅先の札幌やホノルルなどで進むので、「僕」の自室の記述そのものが少なく、「マリメッコ」というブランドもこれ以外には登場しない。部屋に置くクッションで、大きくて、しかも「マリメッコ」と名を挙げて書いていることから察すると、村上春樹自身がどこかでそういう場面に遭遇したか、あるいは独自のプリント柄を持つ「マリメッコ」のクッションが彼の印象に残っていたのではないだろうか。
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映画でも描かれたマリメッコの歴史
マリメッコは1951年、北欧フィンランドでアルミ・ラティアという女性によって創業されたライフスタイルブランドだ。ブランド名はフィンランド語で「小さなマリーのためのドレス」という意味で、創業者の名前のアルミ(armi)のアルファベットの順番を入れ替えると、マリー(mari)になる。時代に流されることのない、機能的でわかりやすいデザイン。大胆なプリントや色づかいを通じて、人々を勇気づけ、幸せと喜びをもたらす。これらがマリメッコの設立以来の変わらぬミッションだ。
アルミは創設当初から有望な若いアーティストを集め、「Unikko(ウニッコ)」に代表される独創的なプリントをデザインさせた。60年代に入るとマリメッコは国際的にも注目されるようになり、当時大統領候補の妻であったジャクリーン・ケネディが着用。その写真が『スポーツ・イラストレーテッド』誌の表紙を飾り、アメリカでの知名度が一挙にアップした。70年代には日本での展開もスタート、『ダンス・ダンス・ダンス』が書かれた80年代にはライフスタイルブランドとして確固たるポジションを得るまでに成長した。2022年の春夏コレクションからクリエイティブディレクターを務めるのがレベッカ・ベイ。今シーズンのテーマになっているのは「ボタニカル(植物)」で新しいマリメッコを表現している。
実は2015年にはマリメッコを題材にした映画『ファブリックの女王』が公開されている。監督はフィンランドで唯一のオスカー受賞者、ヨールン・ドンネル。創設者アルミを女優ミンナ・ハープキュラが演じている。つまりドキュメンタリー映画ではなく、プロの俳優を使い伝記映画に仕立てた作品だ。映画の中でもマリメッコの魅力をシンプルでタイムレス、ユニセックスと語られているが、特にタイムレスという点は村上作品にも通じるものがあるだろう。
『ダンス・ダンス・ダンス』に話を戻すと、この作品にはマリメッコ以外にも多くのアイテムがブランド名を挙げて登場する。コンヴァース(以下ブランド表記は原文のママ)、メンズ・ビギ、ミッソーニ、トゥルッサルディ、ポリーニ、カルヴァン・クライン、アルマーニ、ラコステ、ラルフ・ローレン……。ほとんどが80年代に雑誌などのメディアで盛んに取り上げられ、話題を集めたブランドだ。80年代といえば日本はバブル景気で、次々と流行が生まれた時代。『ダンス・ダンス・ダンス』は、そんな資本主義への社会批評が描かれているとみる識者も多い。もしそうであれば、村上春樹はこの時代の象徴としてあえてこれらのブランドを実名で書いた、と考えてもいいかもしれない。
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