2022年の5月公開映画は、国内外の話題作が目白押し。その中でも異彩を放つのが『流浪の月』(5月13日公開)だ。2020年に本屋大賞を受賞した凪良ゆうの同名小説を、『悪人』『怒り』の李相日監督が映画化。広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子といった実力派が集結し、撮影監督として『パラサイト 半地下の家族』のホン・ギョンピョが参加した。
孤独感を抱えた小学生の更紗(白鳥玉季)と大学生の文(松坂桃李)。雨の日の公園で出会った二人は、文の部屋で共に過ごすように。しかし世間では文が誘拐犯とされ、警察に逮捕されてしまう。その15年後。街の片隅にひっそりと佇むカフェ「calico」を訪れた更紗(広瀬すず)は、カウンターの向こうでコーヒーを淹れる文と再会するのだった――。
観る者によって感じ方が変容するであろう本作に飛び込むにあたって、過酷な減量や肉体改造、内面の深掘りに挑戦した主演の広瀬と松坂。Pen Onlineでは、過去作も踏まえた二人の役者としての凄みを考察しながら、本作の演技について語り合った対談をお届けする。
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是枝裕和と李相日、二人の名監督との共闘
広瀬すずの役者としての魅力はいくつもあるが、その中でもとびぬけているのは“純度”ではないだろうか。テクニックを駆使して外堀から役を作っていくというよりも、自身が役とシンクロすることによって内側から嘘のない感情や思考が染み出してくる。つまりは、作為性が皆無なのだ。本人は「器用ではないから」と謙遜するが、彼女が魅せる領域は、深く深く役とつながることでしか達せない場所。『流浪の月』で演じた更紗は、まさにその真骨頂といえるだろう。
本作で我々観客が目の当たりにする“到達点”、その道に不可欠だったと感じられる作品が2本ある。2015年に公開された『海街diary』、翌年公開の映画『怒り』だ。前者で是枝裕和監督、後者で李相日監督と組んだ広瀬は見事な存在感を発揮。その後、是枝監督とは『三度目の殺人』、李監督とは本作『流浪の月』で再共闘した。
ちなみに『海街diary』では「台本を渡さず、シーンごとに心情の説明を行って撮影する」スタイル(是枝監督が子役に対して行う手法でもある)を経験し、『怒り』では1200人のオーディションを勝ち抜いて映画デビューを飾った佐久本宝と共に、入念な稽古期間を経て撮影に臨んだ。まずは、この2本から本作に至るまでの歩みをひも解いていこう。
広瀬:是枝さんも李さんも、初めてお会いしたのは私がまだ10代のとき。演じるとは何かはもちろん、自分のことすらよくわからない「何も着地していない」状態でした。そんななか、おふたりには本当に色々なことを教えていただきましたね。いまの私にとって、重要な出会いだったのは間違いありません。
『海街diary』のときは台本は渡されなかったのですが、『三度目の殺人』のときには是枝さんに「読まないとできない役だから読んで」と言われて台本を読みました(笑)。
松坂:確かにそうだね(笑)。
広瀬:『怒り』のときは、もうずっと必死で何かを考える余裕もなかったです。ただ、事件に遭遇する以前と以後で心身の状態が一気に落ちてスイッチがパンッと切り替わるので、ある意味では演じやすかったのかもしれません。それに対して『流浪の月』では、私が演じたのは現代の更紗。でも文と過去を共有しているからこそ、再会したときに温度差が生まれてはいけない。自分が自分の目で見られていなかった“穴”をどう埋めていくか、どう想像で実感を作っていくかが大変でした。
松坂:ただ僕からすると、(広瀬)すずちゃんから(白鳥)玉季が演じていた10歳の更紗の面影をたくさん感じられて、同じ更紗として見ることができました。すごくありがたかったです。
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今作が30代前半のターニングポイントになる
対する松坂桃李は、作品ごとにガラリと印象が変わる希有な役者だ。本人はオンラインゲームや漫画を愛してやまない朗らかな人柄だが、そのフィルモグラフィを見ると『娼年』『孤狼の血』『新聞記者』『空白』と、性格も背景もまるで違う人物に肉体を提供してきた。
白石和彌、藤井道人、𠮷田恵輔といった人気実力派監督と次々組み、メッセージ性の強い作品を送り出すのも彼の特長。『流浪の月』での李監督との初コラボは、松坂桃李の歩んできた俳優道に完全に合致している。「『流浪の月』は、僕の30代前半のターニングポイントになる感覚が強くあります」と語る彼が、李監督との二人三脚の日々を振り返った。
松坂:文が更紗と再会するまでの15年間をどう過ごしていたのか、断片的には描かれますが、自分の中で埋めなければならない部分がたくさんありました。どんな想いで文が日々を過ごして、更紗にどんな気持ちを抱いていたのか……。日記をつけたりもして感じ取ろうとしたのですが、なかなか明確に提示できるものが上がってこなかった。考えれば考えるほど霧の中でもがいているような感覚になり、その時間がずっと続いているのが苦しくて。
ただ、心強かったのは李さんの存在。僕がそういう状態になっても急かすことなく、落ち着いて一緒に待ってくれました。李さんがどんと構えてくれていたから、僕は安心してもがき切ることができたんです。本当に大きかったですね。
他の現場にいても、李さんが役と一緒に接してくれた時間がまだ心に住み着いている気がしますし、「あれ以上大変なことはない!」という感覚が自分の中にあるから(笑)、乗り越えられるという自信にもなりました。
広瀬:わかります。『怒り』のときは李さんが「自分がむき出しになるところまで来て」という正解を提示して導いて下さったから、その後にほかの現場に行くと何が正解かわからなくなってしまって。しかもその時の作品が学園青春もので、『怒り』とはテンションやテンポもまったく違ったから、(空を仰いで)「李さーん! 一言だけでいいからアドバイスください!」って感じになっちゃいました(笑)。
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撮影現場を離れても役を引きずる?
どんな濃い役にも染まることができるのは、俳優・松坂桃李の凄み。それは裏を返せば、役柄のイメージに飲み込まれることなく、きっちりと漂白して、まっさらな状態で次の役柄に挑んでいるという証明でもある。
立つ鳥跡を濁さずではないが、本人の清廉さとも呼応するメンタルのしなやかさを感じさせる松坂。以前彼に話を聞いた際にも「役を引きずることはあまりない」と語っていたが、『流浪の月』においてはこれまでとは一味違ったようだ。更紗と“同化”に近い状態まで没入していた広瀬すずも交え、撮影中にどう過ごしていたかを明かしてくれた。
松坂:今回は幸いなことにほとんど地方ロケで、撮影期間中に自宅に帰ることが少なかった。だから、完全にスイッチを切るよりはややスイッチオンの状態で宿泊先のホテルに帰っていました。それだけ濃密な時間だったからこそ、撮影が終わった後のブランク期間は廃人のようになってしまいましたね(笑)。1週間後に別の現場に行かなければならなかったのですが、すごくきつかったです。「無理かも……」と思ったくらい。
撮影期間中で覚えているのは、calicoのシーンで一旦撮影が中断し、スタッフさんが帰った後にリハーサルをして最終的に李さんから「これ、宿題だな」と言われたこと。その日はホテルに帰ってからもずっとそのシーンのことを考えながら寝落ちした記憶があります。まぁ、悪夢を見ましたね(笑)。
広瀬:(笑)。
松坂:大体、その日の撮影が終わって「お疲れさまでした」となると、ある程度は解放された気分になるものなんです。でもその日は「お疲れさまでした」が全然「お疲れさま」になってない(笑)。ホテルにいても現場にいるような気分でしたね。そういうことが何日かあったなぁ。
広瀬:私は、現場を出たら割と忘れていました。「忘れよう」とするというより、現場から離れることで感度が自然と薄れていく感覚です。本当は一人のときも想っていたいけど、そこで感情の整理が付けられるから立っていられるという部分もありました。ずっと張りつめていたら、体力がもたなかったと思います(笑)。
松坂:わかる。
広瀬:ただ、目の前に人がいたり、その人を想うとなかなか離れるのは難しかったですね。声を聴いて、触れると温度が伝わってきて苦しくなるというのはありました。それもあって、落ち着かせる時間を作らなきゃと思い、ホテルをスタッフさんのほうに変えてもらったんです。そっちはちょっとお家みたいな感じで、そこで“生活”をしながら現場に行くことでバランスが取れました。
あとは現場にいる間、ずっと原作の小説をもっていたんです。考えすぎたり前日のシーンを引きずっている状態を切り替えるために、原作の該当シーンを読んでいました。更紗の思考のヒントになるというか、私にとって道しるべのような存在でした。
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人によって受け取り方が違うからこそ、世に出す意味がある
一歩ずつ着実に前に進み、『流浪の月』にまで辿り着いた広瀬と松坂。その目線は、それぞれの手を離れて観客に届く日を向いている。公開を前に、それぞれの想いを聞いた。
松坂:一枚の絵画があったとして、見たときの印象は人それぞれで変わると思います。感動する人もいれば、嫌悪感を抱く人もいる。僕は、それに近い感覚を抱きました。更紗と文の関係を「気持ち悪い」と思う人も中にはいるかもしれないし、きっとすごく救われる人もいる。僕はこの二人の関係をうらやましいと思いますし、賛否両論含めて違う意見が多数出る作品だからこそ、世に出してちゃんと届ける意味があると信じています。
広瀬:そうですね。とにかく、観てほしいです。みんなそれぞれ受け取り方は違うかもしれないけど、人と人が通じ合ったことや、交わしたものに嘘はない。ひょっとしたら、それがすべてなのかもしれません。私自身は「それでも最後のシーン、私は幸せだった」と思っています。
広瀬すず●1998年、静岡県生まれ。「幽かな彼女」(13/KTV)で女優としての活動を開始。『海街diary』(15)で第39回日本アカデミー賞新人俳優賞ほか数多くの新人賞を総なめにする。翌年『ちはやふる』で映画単独初主演。第40回日本アカデミー賞において、『ちはやふるー上の句ー』で優秀主演女優賞、『怒り』で優秀助演女優賞をダブル受賞した。19年、100作目となるNHK連続テレビ小説「なつぞら」でヒロインを務める。近作に『SUNNY 強い気持ち・強い愛』(18)『ラストレター』『一度死んでみた』(20)『いのちの停車場』(21)などがある。李相日監督作品へは、『怒り』に続き2度目の出演となる。
松坂桃李●1988年、神奈川県生まれ。「侍戦隊シンケンジャー」(09/EX)で俳優デビュー。以降、映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍。12年、『ツナグ』で第36回日本アカデミー賞新人俳優賞、19年、『孤狼の血』で第42回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、20年、『新聞記者』で第43回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞をそれぞれ受賞する。その他の近年の主な出演作に、『彼女がその名を知らない鳥たち』(17)、『不能犯』『娼年』(18)、『居眠り磐音』『蜜蜂と遠雷』(19)など。最新作に『いのちの停車場』『孤狼の血 LEVEL2』『空白』(21)などがある。公開待機作に『耳をすませば』(22年10月14日公開予定)がある。
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