「大人の名品図鑑」ジャズの巨人編 #6
アメリカのニューオリンズが誕生の地と言われるジャズ。「スイング」「ビバップ」「フリー」など、めまぐるしくスタイルを変えながら何度も黄金期を迎え、その流行は世界的なものになった。今回はそんな歴史をもつジャズ界の巨人たちが身につけた名品を辿る。
もはやジャズというジャンルの範疇を超えた存在と断言できるマイルス・デイヴィス。本人が言うように「マイルス・デイヴィスという音楽」を創った、まさに音楽界の巨星だ。
マイルスは1926年、アメリカのイリノイ州に歯科医の息子として生まれる。本名はマイルス・デューイー・デイヴィス3世。家庭は裕福だった。18歳のとき、ディジー・ガレスビーとチャーリー・パーカーを聴いて「ビバップ」の洗礼を受け、クラシック音楽の名門ジュリアード音楽院に行くという名目でジャズが盛んだったニューヨークに移り住む。
「ニューヨークに出てきたその週に、(チャーリー)パーカーを捜し回って、その月の生活費を全部使ってしまった」と『マイルス・デイヴィスの真実』(講談社+α文庫)で音楽ジャーナリストの小川隆夫は彼の言葉を記す。やがて10代でチャーリー・パーカーのバンドに迎え入れるようになるまでに腕を上げたマイルス。以降、90年代までさまざまな新機軸を提案しながら、ジャズの最先端を常に表現していく。
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マイルスが愛したトラッドスタイル
ジャズだけでなく、音楽の歴史に多くの足跡を残すマイルスだが、今回取り上げるのは彼のファッション。「ARBAN」というジャズを中心にしたウェブサイトで川瀬拓郎は、マイルスがパーカーのバンドに加わったときの話を書いている。
「チャーリー・パーカーを追いかけてニューヨークまで来た、駆け出しのマイルスは、いよいよバードに演奏を見てもらう機会を手にしました。そこで、当時の兄貴分であったデクスター・ゴードンに自分のスーツ姿を見てもらうのです。そうするとデッグスに、こういわれたんです。『そんなスクウェアな(真面目でつまらない)格好で、バードに会いに行くのか? 一緒に行くのも恥ずかしいから、このテーラーでスーツを仕立てこい』と」
実際にデクスター指定のテーラーでスーツを仕立てたと書かれているが、それでも当時、トラッドスタイルがマイルスのいちばんの好み。アルバム『クールの誕生』(57年)をリリースした頃、ジャズプロモーターと一緒にマサチューセッツ州ケンブリッジにある名店アンドーヴァーショップを訪れ、一度に相当数のトラッドアイテムを購入している。店のオーナー、チャーリー・デイヴィッドソンは「マイルスは本物のアイビールックが好きだった。それはとても当時はヒップな装いだった」と述べている。この店はキャリー・マリガンやスタン・ゲッツにも衣装を提供していて、同じプロモーターがチェット・ベイカーも連れて行き、彼をアイビー青年に変身させている。マイルスのファッションについて書かれた『Miles Style』(Michael Stradford著 21年)が海外で発行されたばかりだが、ここでもこのショップが紹介され、オーナーのインタビューも掲載されている。
同じ21年に出版された『BLACK IVY』(JASON JULES/GRAHAM MARSH著 REEL ART PRESS)という本がある。アフリカ系アメリカ人のアイビースタイルをまとめた本で、表紙を飾るのが、グリーンのボタンダウンシャツを着たマイルス。この本ではマイルスのようなミュージシャンだけでなく、作家やアーティスト、政治家、俳優などが取り上げられている。マイルス以外のジャズミュージシャンでは、セロニアス・モンク、ジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィー等のアイビースタイルが掲載されている。
「私にとって、音楽も人生もスタイルがすべて。書くこと、音楽、絵画、ファッション、ボクシング…、何をするにしてもスタイルが必要なんだ」と、この本の中でマイルスは語っている。
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マイルスとイッセイの関係
今年2月にマイルスの2番目の妻としても知られる歌手ベティ・デイヴィスの死が報じられた。2020年に公開された『マイルス・デイヴィス クールの誕生』にも彼女が登場する。60年代後半、マイルスは彼女と運命的な出会いをし、ロックやファンクの人気に対抗し、マイルスもエレクトリック・バンドを結成する話が語られている。彼女の影響は服装にも及び、クラシックなスーツではなく、カラフルで派手なスタイルで彼は演奏するようになった。
そんなマイルスが80年代に着ていた服のひとつがイッセイ ミヤケだ。当時、マイルスは絵画に凝っていて、自分の着る服装にもアート性を求めたのだろうか、ステージでも特別につくられたイッセイ ミヤケの服を身に着けた。『billboard Japan』に掲載されたマイルスの甥ヴィンス・ウィルバーン・Jr.のインタビュー記事(17年)でヴィンスは、「叔父はブランドのイッセイ ミヤケが好きだったんだ。イッセイ本人と一緒にディナーをしたんだ」と答えている。これが本当なら、デザイナーとの交流も楽しんでいたのだろう。
今回紹介するのは、マイルスが実際に着たものではないが、オム プリッセ イッセイ ミヤケを代表するアイテムのパンツ。「製品プリーツ」技術を背景として男性の新しい日常着を提案するブランドで、軽くて快適な着心地をもち、コンパクトに持ち運べる機能性を備えた服。アイテム同士の組み合わせも自在で、自分らしさが表現できる服が揃う。その革新性は常にジャズに革新をもたらしたマイルスの精神に通じるものがあるだろう。ちなみにこのブランドのパリでの2020年秋冬コレクションでは、モデルがジャズの演奏を行うような演出もあった。その中にはカンザス出身のトランペット奏者ハーモン・メハリもいた。彼以外にも13人のプロのジャズミュージシャンがモデルとして登場したという。イッセイ ミヤケとジャズとの関係は、いまも続いているということだろう。
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問い合わせ先/ISSEY MIYAKE INC. TEL:03-5454-1705
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