文化・芸術運動や社会情勢など、さまざまな影響を受けて発展してきたイタリアのモダンデザイン。そこには自由な発想が生まれる土壌があった。その歴史を詳しくひも解いていこう。
古代ローマまで遡るイタリアの椅子の歴史は、ルネサンス、バロック、ロココ、アール・ヌーヴォーといったさまざまな文化・芸術運動に影響を受けながら、20世紀にはファシズム政権下の建築に合わせて発展を遂げていく。
第二次世界大戦で敗戦国となったイタリアは、住環境の整備が急務とされ、建築家たちは集合住宅とその内装に携わり、さらには椅子や日用品まで手がけるようになる。つまりは、建築家でありながら、インダストリアルデザイナーでもあった。その幅広さが、かたちや素材の使い方に新鮮な視点をもたらし、既成の枠にはまらない発想を生み出していった。
なおかつ、職人の国でもあるイタリアには、自由なアイデアを具現化する気質が根づいている。たとえば、ミラノが属するロンバルディア州は家具づくりが盛んな地域で、ルネサンス時代からの伝統技術が受け継がれている一方、プラスチック製椅子で有名なカルテル社の創業地でもある。伝統と革新が融合してきた土地といえる。
そして、デザインを発表する場が比較的多いことも特徴だ。戦前から続く「ミラノ・トリエンナーレ」、1961年にスタートした「ミラノ・サローネ」といった大型イベントや、専門的な雑誌の数々。「イタリアンモダンデザインの父」と呼ばれるジオ・ポンティが1928年に雑誌『ドムス』を創刊して初代編集長を務めたように、デザインの向上を目指す社会全体の意識が、奔放な個性を尊重する土壌を育んだ。
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スーパーレジェーラ/1957
「超軽量」を意味する名前の通り、指先で持ち上げられるほどの重さ。イタリア北部の港町で1800年代初頭からつくられていた「キアヴァリチェア」がアイデアの源。軽くて頑丈なこの椅子の構造と技術を活かし、ポンティとカッシーナ社の職人が開発を進めた。挽物加工で断面が円形だった前脚は軽量化のため三角形に、フレームはダボ接ぎやホゾ組みなどで強度を保ち、無駄のない洗練されたかたちを実現した。
ジオ・ポンティ/1891-1979
メッザドロ/1957
カスティリオーニ兄弟が共作したカンティレバータイプのスツール。農作業用トラクターの座席を転用し、脚には列車の荷物棚を支えるスチールフレーム、それを支えるウッドパーツは帆船の帆を張るための部品を組み合わせたユニークな一脚。アノニマスなものに美を見出し、レディメイド(既製品)を積極的に取り入れる手法は、アキッレの「デザインは観察力から生まれる」という理念に裏付けられている。
アキッレ・カスティリオーニ & ピエル・ジャコモ・カスティリオーニ
アキッレ:1918-2002
ピエル・ジャコモ:1913-1968
キャブ アームレスチェア/1977
スチールパイプのフレームを1枚のコードヴァンで覆った姿は、一見すると革だけでできているように感じられるかもしれない。脚の裏側から座面へ向かって強い力にも耐えられるファスナーで留めてあるが、目立たないように工夫されている。背もたれの上部、笠木にあたる部分にスチールパイプは入っておらず、使い込むほどに革が馴染み、その味わいも深まる。多くのモダニストが挑戦してきた、鉄と革の椅子におけるひとつの進化系といえる。
マリオ・ベリーニ/1935-
※この記事はPen 2022年4月号「名作椅子に恋して」特集より再編集した記事です。