椅子の基本形は、古代エジプトの時代に出来上がっている。そう解説するのは、椅子の研究者であり木工技術に関する著作を数多く手がける西川栄明さん。デザイナーが自らの名前で発表するようになるモダンデザインの時代よりはるか以前から、椅子にはいくつかの原型が見られるという。
西川さんによると、まず押さえておきたい椅子の原点は、古代エジプトの「X字型スツール」、古代ギリシャの「クリスモス」、中国明代の「圏椅(クァン・イ)」、イギリス発祥の「ウィンザーチェア」、そしてアメリカで広まった「シェーカーチェア」の5つ。
X字型スツールは現代にもそのままのかたちが残る、腰掛けの原型のひとつ。クリスモスは現存せず、壁画の状態でのみ残っているが、背もたれから脚の先に至るまで流れるような弧を描くラインは、椅子の基本的な構造そのものだ。西川さんが言うには「何千年も前から完成されたフォルム」であり、モダンデザインでもたびたび洗練された解釈が重ねられてきた。
14世紀から17世紀まで長きに及んだ中国の明朝。その時代に生まれた圏椅は、権威や地位を示す象徴としてヨーロッパへも伝播した。西洋家具においては過剰なまでの装飾が施されるようになるが、モダニズム以降、多くのデザイナーが意識的にリデザインするほど奥深い形状だ。
17世紀後半からイギリスでつくられるようになったウィンザーチェアと、18世紀後半にイギリスからアメリカへ渡ったシェーカー教徒によってつくられたシェーカーチェアは、地元で入手する木材を用いて分業で製作するという共通点がある。特にウィンザーチェアは現代でも参照される木製椅子のお手本となった。民藝運動とも親和性が高く、日本の暮らしに定着した。
こうした原点を踏まえつつ、モダンデザインの展開とデザイナーズチェアを俯瞰してみれば、新たな発見があるのではないだろうか。
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X字型スツール/古代エジプト
古代エジプトに原型を見つけられる椅子の中でも、注目すべきは、おもに上流階級が使用していたX字型の折りたたみ式スツールだ。軍人が戦地で陣頭指揮を執るために持ち運んだという説もある。ツタンカーメン王の墳墓からは埋葬用につくられた特別仕様のスツールも出土している。下図は復元した姿をイラストにしたもの。高貴な人物のために考案されたX字型の形状は、古代ギリシャ、古代ローマから現代まで受け継がれた。コーア・クリントの「プロペラスツール」をはじめとするモダンデザインで繰り返し引用されている。
クリスモス/紀元前5世紀頃
民主主義の基礎が築かれた紀元前の古代ギリシャで使われていたクリスモス。現代にも通用する機能性と構造美を備えたフォルムが見て取れる。木製椅子は現存せず、大理石製の椅子がわずかに残るほかは、墓碑のレリーフや陶器に描かれた図像、文芸作品に登場する叙述だけが手がかりである。こちらも下図は復元された椅子をもとにイラストにした。18世紀に生まれたミヒャエル・トーネットの椅子にも見られる曲線を描く脚、革ヒモや麻を編んだ座面、座り心地に配慮した背の湾曲など、椅子の原型ともなる要素が確認できる。
圏椅(クァン・イ)/14世紀後半〜17世紀前半
中国の明代、一般庶民にも椅子座の生活が定着した時代に登場した圏椅。カーブした笠木が肘掛けへとなめらかにつながり、一枚板の背が支えるという構造が特徴で、比較的大きめの平らな座面が組み合わされる。全体的に調和のとれた形状と、整った木目を活かした仕上げなどに、当時の技術力の高さがうかがえる。後年、ハンス・J・ウェグナーはこのスタイルを参考に「チャイニーズチェア」を発表し、後に「ザ・チェア」へとつながっていく。
ウィンザーチェア/18世紀初期
イギリスの農民などが、地元で入手できる木材をろくろで挽いて脚や貫をつくったのが始まりとされるウィンザーチェア。分厚い木製の座板を尻型にくぼませ、その座板に直接、背もたれとなる細い棒を差し込んであるのが基本構造。時代や地域によって少しずつデザインが異なる。イラストはウィンザーチェアのなかでも背の棒が櫛形(コムバック)になっているもの。18世紀前半まではこのスタイルが多く見られた。
シェーカーチェア/18世紀後半
キリスト教プロテスタントの一派であるシェーカー教徒が、自分たちの暮らしの中で使っていた椅子。軽くて機能的、無駄を削ぎ落とした構成は、質素倹約や清潔を信条とする信仰心がかたちになって表れたものだ。1770年代後半から自分たちの手でつくり始め、外部へも販売するようになり、教団運営の収入源ともなった。メープル(かえで)材やバーチ(カバ)材などを用い、背もたれが横に組まれた「ラダーバック」が代表的な形状だ。
※この記事はPen 2022年4月号「名作椅子に恋して」特集より再編集した記事です。