空也上人が東京にやってきた! 東京国立博物館の特別展『空也上人と六波羅蜜寺』で祈りたい世の安寧

  • 写真・文:はろるど
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重要文化財『空也上人立像』康勝作、鎌倉時代13世紀、京都・六波羅蜜寺。「市聖」(いちのひじり)と呼ばれ民衆救済に生涯をかけた空也上人は、951年に『十一面観音菩薩立像』の造像を発願すると、六波羅蜜寺の前身となる西光寺を建立した。

日本の肖像彫刻として抜群の知名度を誇る『空也上人立像』。平安時代に極楽浄土を願う阿弥陀信仰をいち早く広めた僧侶・空也上人が、念仏を唱えて歩くすがたを写実的に象ったとされ、とりわけ口から小さな阿弥陀如来像が6体現れ出る様子に心を奪われる。これは上人が南無阿弥陀仏の名号を唱えると、一つひとつの声が阿弥陀如来に変化したことを表したとされているから、大変にユニークな造形というほかない。

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形なき音声を巧みに造形化した上人のすがたが強い印象を与える。「南無阿弥陀仏」と声を出しているような喉ぼとけの造形にも注目したい。

東京国立博物館の『空也上人と六波羅蜜寺』で公開中の『空也上人立像』の像高は117.0センチ。僧侶などの肖像彫刻ではやや小ぶりといわれるも、実際に目にすると大きく感じられるから不思議だ。首からかけた鉦架(しょうか)に吊るした鐘を右手の撞木(しゅもく)で打ち鳴らし、左手に鹿杖(かせづえ)をつきながら歩みを進めている。右斜め上を向いて念仏を唱える痩身の体つきは真に迫るが、目尻の細かい皺の起伏や血管が浮き出た脚、さらに筋張った筋肉などの細部の表現も極めてリアル。足元に目を転じれば草鞋はすり切れ、指足がはみ出ている。まさに市中を歩き回りながら人々を教えを伝えた上人の生写しを見ているようだ。

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上人が世を去ってから200年以上も経って造像された理由はよく分かっていない。ただ平安時代末期より鎌倉時代にかけて、六波羅蜜寺が戦乱に巻き込まれ、炎上しては復興を繰り返していたことに関連するという指摘がある。

上下の着衣は極めて質素だが、衣にしては妙にごわついているように思えるかもしれない。その理由として上人が身につけていた鹿の皮を表していることが挙げられる。かつて上人が親しくしていた鹿がいたものの、殺されてしまい、悲しんだ上人は鹿の角を杖につけ、皮を衣にしたという逸話をもとにしている。なお『空也上人立像』が造られたのは、上人が世を去ってから200年以上も経ってからのこと。仏師運慶の四男の康勝(こうしょう)の手によると考えられている。会場では同像を独立したケースの中にて公開。360度の方向から鑑賞することも可能で、横から見ると意外と厚みがあることも分かる。

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中央:重要文化財『薬師如来坐像』平安時代・10世紀、ともに京都・六波羅蜜寺。ほか:重要文化財『四天王立像』平安時代、10世紀(増長天のみ鎌倉時代・13世紀)『四天王立像』のうち制作当時のまま残るのが持国天、広目天、多聞天の3体。増長天は鎌倉時代になって補われた。
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重要文化財『地蔵菩薩立像』平安時代11世紀、京都・六波羅蜜寺。平安時代を代表する仏師、定朝作とも伝わる。近世では長く本堂の本尊、『十一面観音菩薩立像』の向かって右に安置されていた。

展覧会では『空也上人立像』にあわせて、均整な身体が美しい『地蔵菩薩立像』やインドで樹木の精霊として信仰された鬼神に由来する『夜叉神立像』といった六波羅蜜寺ゆかりの諸像も公開。中でも『薬師如来像』を中心に、上人自らが造像を発願した『四天王立像』がケースなしの露出にて横に並ぶ光景は圧巻だ。また会場横の本館11室(総合文化展)においても同寺所蔵の『吉祥天立像』などが展示されている。上人が教えを広め、貧しい人々や病人に施しをしていた当時、全国では兵乱が相次ぎ、京の都でも伝染病が蔓延し、地震や水害に見舞われていたという。ひるがえって現在、依然としてコロナ禍が長く続き、世界を見ても極めて困難な状況に置かれている人々がいる。そうしたことを省みながら、人々の安寧を願って『空也上人立像』へと静かに手を合わせたい。

特別展『空也上人と六波羅蜜寺』
開催期間:2022年3月1日(火)~5月8日(日)
開催場所:東京国立博物館 本館特別5室
東京都台東区上野公園13-9
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時半~17時 ※入館は17時半まで
休館日:月。3/22 ※ただし3/21、3/28、5/2は開館
入場料:一般¥1600(税込)
※事前予約(日時指定券)を推奨。臨時休館や展覧会会期の変更、入場制限などが行われる場合があります。事前にお確かめください。
https://kuya-rokuhara.exhibit.jp