女子プロサッカー「Yogibo WEリーグ」の優勝チームに贈られる「Women Empowerment Trophy」が2月、公開された。
その制作過程を伝える映像は、見たことのないようなシーンから始まった。
サッカーフィールドに現れた、岡島喜久子チェアと現役3選手。1人ずつ、ゴール前の大きなガラス板に向かってボールを蹴った。砕け散る破片、拍手、笑顔。
これが、トロフィー作りのスタートだった。
なぜガラスを壊すことから始めたのか。コンセプトづくりからたずさわった、電通のクリエイティブディレクター、キリーロバ・ナージャさんに、トロフィーに込めたものを聞いた。
3月8日は、国際女性デー。
創るために壊す
WEリーグ(Women Empowerment League)は、2021年に誕生した日本初の女子プロサッカーリーグだ。既存のプロスポーツ団体と大きく異なるのは、ジェンダー平等への姿勢と行動だ。加盟クラブの女性登用の数値基準を設け、現状の数値も公表。さらにジェンダー平等を阻む課題の解決に向けた「WE ACTION」に取り組み、身の回りの格差を可視化する場を定期的に開催してきた。そんなリーグの象徴となるトロフィーのコンセプトづくりは、2021年6月ごろから始まった。
ナージャ:WEリーグから「私たちの理念や女子サッカー界の想いが込められたオリジナルの優勝トロフィーをつくりたい」という相談を受け、まずトロフィーの歴史を調べてみました。もともとは、戦いで勝った相手の鎧や兜を戦利品として飾る習慣から来ているそうです。従来のトロフィーは「過去の成功」の象徴として扱われてきた。ならば、WEリーグのトロフィーは「未来の可能性」を象徴するものにしようと考えました。
素材はガラスになりました。岡島チェアも「ガラスは透明感があって色々な色があって、そこに多様性を大切にするWEリーグらしさを感じる」とおっしゃっていました。
どんなトロフィーにするかを話し合う中で、岡島チェア自身のお話も伺いました。男子と練習していた頃の話や金融業界で働いていた頃の話、今の女子サッカーを巡る課題。たくさんの壁に阻まれてきたエピソードは、まさに “glass ceiling”(ガラスの天井)でした。
女性であるがゆえに直面する見えない障壁がある状況を変えていく。そんな思いをトロフィーに込めたいと、岡島チェアに伝えました。
ここでナージャさんは、本物のガラスを壊そうと岡島チェアに提案した。
ナージャ:「トロフィーにガラスを使うのなら、本当にガラスを割るくらいでないと」と言いました。言葉にするのは簡単ですが、行動が伴わないと表層で終ってしまう。
岡島チェアや選手の皆さんがぶつかってきた壁を、思いを込めて一度本当に壊す。壊したその先に未来があるし、価値のあるなにかに生まれ変わるというメッセージも生まれてくる。本当に壊すからこそ、メッセージに力が込められ、思いの強さが世の中に伝わるんじゃないか、と。
そう提案したら、岡島チェアはこう言ってました。
「だったら、サッカーボールを蹴って割りましょう」「私も、女子サッカー界も、今までたくさんの壁に直面してきた。WEリーグがそれを壊していきたいんですよ」
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ボールが壊したそれぞれの「壁」
ガラスを割ったのは8月。岡島チェア、荒川恵理子、鮫島彩、田中美南の3選手がボールを蹴った。
ナージャ:チェアから現役の日本代表選手まで、様々な世代の方に出ていただきました。まず、本人たちにどんな「壁」にぶつかってきたのか、どんな「壁」を壊したいのかをインタビューし、率直に語ってもらう中で出てきたものを映像に入れました。
ナージャ:女子選手がほとんどいない時代を過ごした岡島チェアは「女子チームがないという壁」を挙げ、荒川恵理子選手(ちふれASエルフェン埼玉)は怪我をするたびに引退の不安がよぎったころを振り返り「現役を続けるという壁」を挙げました。
ナージャ:鮫島彩選手(大宮アルディージャVENTUS)は「プレーする環境という壁」を挙げ、これからサッカーを続けていく少女たちにも思いを寄せました。田中美南選手(INAC神戸レオネッサ)は世界の女子サッカーのレベルが上がる中で日本代表としてプレーする難しさを「世界で結果を残すという壁」と話していました。
それぞれに深いストーリーがあり、女子サッカーの歴史を聞いているような気持ちになりました。
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割れたガラスで表現したもの
割れたガラスをトロフィーによみがえらせる。このプロセスに参加したのが、菅原工芸硝子(千葉県九十九里町)だった。
ナージャ:ガラスを割ると決めたものの、割れたガラスから本当にトロフィーが作れるのか、最初から確証があったわけではありませんでした。プロダクトのプロデュースを手がけてきた山田遊さんに「ガラスの破片からトロフィーを作りたい」と相談し、ここならきっと実現できると紹介されたのが、菅原工芸硝子でした。
廃棄ガラスのリサイクルという実績だけでなく、ここで働く職人に女性が多かったことも決め手になりました。WEリーグの掲げる“Women Empowerment”の観点からも、女性たちにかかわってもらいたかったのです。意義を理解していただき、職人の桑升桃子さんが制作を担当することになりました。
ナージャ:桑升さんには、トロフィーに込める思いやコンセプトを説明し、後はデザインからお任せしました。細かくディレクションすると、ガラスのプロに制限をかけてしまいます。彼女たちがベストだと思うものが、最高のものだと思っていましたし、見たことのないようなものができあがるのでは、と。桑升さんがどう解釈し、どう表現するか楽しみでした。
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破片を重ねて生まれた「上昇する力」
それまで皿やコップなどを主に手がけてきた桑升さんにとって、トロフィーづくりは「初めて」の連続だった。工程もそのひとつだ。ガラス製品は一般的に、高温の窯でどろどろに溶けきった状態から成形していく。だが、桑升さんはトロフィーのコンセプトを反映させるために、独自の作り方を見出していった。
桑升:コンセプトを伺った後、試作を重ねていきました。選手の皆さんが割ったガラスの破片の痕跡を残したいと思ったのですが、どろどろに溶かしてしまう通常の方法では、その痕跡は消えてしまいます。そこで、ガラスの破片をタイルのように数枚重ねた状態で窯で熱し、1枚1枚が溶け始めてくっついた頃合いをみて竿に巻きつけ、さらに熱を加えて形づくる方法を試していきました。
ガラスとガラスがしっかりくっつかなかったり、割れてしまったりと、最初は失敗が続きました。他の職人たちに相談し「一気に(ガラスの)塊をくっつけるのではなく、1枚ずつくっつけていったらうまくいくのでは」などと助言を受けて工夫するうち、割れずに成形できるようになっていきました。
破片を重ねながら、ひとつの形を生みだしていく。そんなトロフィー作りのプロセスを「形を残しつつ、形を作る」と、桑升さんは表現する。試作を重ねるなかで、過去の痕跡を残しつつ、未来に向かって「上昇」するイメージが立ち上ってきた。
桑升:エッジをつけたいと、ねじった先端を上に引っ張ってみたんですね。そうしたら「上昇」の力強さが生まれてきました。かけらも残しつつ、かけらが積み重なった形跡もしっかり見えていて、この形ならいいのではないか、と思いました。
トロフィーは2月に完成した。完成品を見たとき「グッときた」と、ナージャさんは振り返る。
ナージャ:光の当たり具合によって破片の痕跡が見えることで「過去」の積み重ねが表現され、そこからみんなの力が合わされ、上を目指すエネルギーとして表現されていました。女性たちが乗り越えてきた過去の出来事や気持ちが積み重なって、そこから未来に向かっているのが伝わってきました。
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プロセスに込めるもの
WEリーグのトロフィーは、作るプロセスそのものに意味があった、とナージャさんは振り返る。
ナージャ:WEリーグそのものが「新しいストーリー」を描く存在なのだと思っています。トロフィーも、形や素材にこだわるだけではなく、制作のプロセスそのものが、WEリーグが掲げる「エンパワーメント」に結びついていることにこだわりました。ガラスを壊した選手も、トロフィーを作った職人も、そのプロセスを物語る映像を制作したスタッフも女性に担ってもらうことで、彼女たちが思いを共有して作ったというストーリーが生まれてきました。
ナージャ:最初から、事実を積み重ねていこうと思ってました。だからコンセプトや方向性を考えた後は、むやみに脚色せず、シンプルに事実(ファクト)を積み重ねていきました。
「ガラスを割る」ということをメタファーのまま語ることもできますし、ただただ想いを描くこともできる。でもそれだけだと本質的な意味が宿らないままになってしまうかもしれない。今回は事実が一番強い。そう思ったから、事実をストーリーテリングしたんです。だから、ガラスも本当に割ったんです。
様々な人の思いを共有して作り上げてきたという事実から、自然と意味や力が生まれ、トロフィーに受け継がれていく。だからこそ、未来を変える象徴になっていくのではないかと思いました。
キリ―ロバ・ナージャ
ロシア、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、日本の6カ国で暮らした経験を持つ。電通に入社後、2015年には世界コピーライターランキングで1位になったほか、クリエーティブディレクターとして国内外のプロジェクトを担当。WEリーグでは社会事業「WE ACTION」の企画運営を担当。身近に感じるジェンダー課題について、チーム、クラブ職員、パートナー企業の社員、メディア関係者たちが語り合い、発見・共有する「WE ACTION MEETING」などを手がけている。