訪れる春に向けて、前向きな気持ちになりたい3月。3月公開予定の映画のなかで、Pen編集部のおすすめを紹介する。
タイの鬼才が初めて国外でつくった、音に導かれ、記憶を旅する物語
過去と現在、あの世とこの世、睡眠と覚醒。カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『ブンミおじさんの森』をはじめ、タイの鬼才、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の作品の中では、さまざまな境界線が溶け合い、ごく当たり前のように両方がスクリーンのなかに存在する。
美術作家としても活動する彼の最新長編作は、初めてタイを離れ、コロンビアで撮影された。頭のなかで響く謎めいた音に悩まされるジェシカを主人公に、音と記憶を探す不思議な旅の物語が描かれる。驚くことにこの映画をつくるきっかけは、監督自身が頭内爆発音症候群を患ったこと。監督は「音の物質的側面、振動や音波にも興味がある」と言う。
「コロンビアの山の尾根や小川を見て脳のしわや音波のカーブを思い浮かべ、何世紀にもわたる人々の記憶の表現と捉えました。同じように大切なのは沈黙。空間を強調し、期待をつくり出します」
ジェシカを演じるのは、多彩なジャンルと役柄に挑み続けているティルダ・スウィントン。ジム・ジャームッシュやウェス・アンダーソン、ポン・ジュノをはじめとする映画作家たちに愛される女優について、「彼女がもつ熱い精神とエレガンス、ユーモアをたたえたいと思います」と話す。
「撮影では『自分は単なる俳優ではなくチームの一員であり協力者なのだ』という彼女の言葉の意味を理解しました。その存在は共演者だけではなくカメラや照明、セットにまで及びます。ティルダにはまるで水中を歩くように、普段の彼女よりもゆっくり動くように頼みました」
そうして生まれた動きの連続が導いてくれるのは、不穏でありながら魅惑的な旅。彼女とともに感覚を研ぎ澄ませ、音を聴くことで、原始や大地の記憶を手繰り寄せるようなアピチャッポンの世界と共鳴することができる。
『MEMORIA メモリア』
監督/アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演/ティルダ・スウィントン、エルキン・ディアスほか
2021年 コロンビア・タイ・イギリス・メキシコ・フランス・ドイツ・カタール合作映画 2時間16分
ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
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記憶喪失をもたらす奇病を通して、「新しい日常」を表現する寓話
舞台となっているのは、記憶喪失を引き起こす奇病が流行っている世界。リンゴが好きなことだけを覚えている男は、治療のための回復プログラムに参加し、自転車に乗ったり、ホラー映画を観たりと数々の指令に応えてポラロイドに記録していく。監督はケイト・ブランシェットが惚れ込んだという新たな才能、クリストス・ニク。リチャード・リンクレイターの助監督を務めた経験をもち、オリジナル脚本を自ら執筆。ありふれた日常を新しい角度から見つめ、現代性に満ちた寓話を生み出した。
『林檎とポラロイド』
監督/クリストス・ニク
出演/アリス・セルベタリス、ソフィア・ゲオルゴバシリほか
2020年 ギリシャ・ポーランド・スロベニア合作映画 1時間30分
3月11日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開。
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
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ギレルモ・デル・トロが描く、ショービジネス界の光と影
ショービジネスの世界で夢をつかもうとする野心家の青年が出会ったのは、謎の生き物を見せて回る一座。やがて彼は興行師として成功していくが……。かつて映画化されたこともあるノワール小説『ナイトメア・アリー 悪魔小路』の実写化に挑んだギレルモ・デル・トロのもとに、ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェットをはじめとするスターが集結。どこか古典的でエレガントな映像に異形の者の存在が描かれる、デル・トロ監督らしい迷宮のような世界観を味わえる。
『ナイトメア・アリー』
監督/ギレルモ・デル・トロ
出演/ブラッドリー・クーパー、ケイト・ブランシェットほか
2021年 アメリカ映画 2時間30分
3月25日より全国の映画館で公開。
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。
※この記事はPen 2022年4月号より再編集した記事です。