フジテレビ系列「土ドラ」で放送中の『おいハンサム!!』が、新しい感覚のホームドラマとして注目を集めている。手掛けたのは、恋愛ドラマから社会派ドラマ、アウトローな世界を描いた作品まで、数多くの話題作を世に放ってきたヒットメーカー・山口雅俊だ。本作で描かれているありきたりな“家族の風景”の描写に、なぜ私たちは惹かれるのか。主演の吉田鋼太郎が「天才」と呼び、アドリブを封印するほど信頼をおく演出は、一体どこから生まれるのだろう。全8話の脚本を書き、監督、さらにプロデューサーとしても本作に携わる山口の言葉から、そのひみつを探る。
名優がアドリブを封印するほどの、天才的な演出
『おいハンサム‼』のキャスティングは、山口が前作『新しい王様』の主演・藤原竜也と二人でささやかな打ち上げをしていたところに吉田鋼太郎が合流し、藤原が二人を引き合わせたところから始まったという。その時吉田は藤原から、山口のことを「すごい人」と紹介された。
こうして『おいハンサム‼』で主演を務めることになった吉田は、今作でアドリブを封印。「監督の繰り出す様々な演出や要求を一つ一つクリアしていけば、ふっと面白いシーンができあがるはず」。そのような制約の中で「また違う自分を発見できるんじゃないかという気がする」と考えたからだ、とインタビューで語っている。
吉田が「天才」と評する山口の演出の技法は、どのようなものなのか。
さまざまな食のシーンが登場する本作で、ひときわ印象的でSNSでも大きな話題となったのが、吉田演じる情に厚く頑固な父親・伊藤源太郎が、取引先の新人と一緒に蕎麦屋を訪れるシーン(1話)だ。昼のかきいれ時、きびきびと注文をさばきながら客と真摯に向き合う女将の働きぶりが、新人の心を静かに打つ。
「今回、一番難しかったのが、あの蕎麦屋のシーンでした。吉田さんや梅沢昌代さんなどメインの4人はもちろん、客を演じるたくさんのエキストラを同時に動かさなきゃいけない。一歩間違えれば失敗するな……と、すごいプレッシャーを感じていたんです」
撮影場所となった蕎麦屋について「場所を探すのにかなり苦労しました」と山口は言う。「作品全体の成否がかかっている重要なシーン。失敗できない」と、最もプレッシャーを感じていたこのシーン。山口の頭の中のイメージどおりの画を撮るために、店の造りや雰囲気を求めロケ物件を探し回ったそうだ。
「役者さんたちは、ドラマの中で“その人”として生きるわけですから、シーンごとに“その人”らしい場所をちゃんと選んであげないと、ドラマが成立しません。たとえば中居正広くんで実写化した『ナニワ金融道』で言えば、一口に裁判所のシーンといっても、最高裁の法廷と簡易裁判や手形・小切手訴訟の裁判所とではまったく違うし、裁判官もぜんぜん違う経歴だったりするのです」
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想像だけでは限界がある。だから観察する
これを聞いて思い出したのが、山口の監督作『闇金ウシジマくん』シリーズに登場する食堂だ。いつもがらんとしていて、店が客に一切干渉しないであろうその食堂で、山田孝之演じるウシジマは毎回オムライスを注文し、ケチャップを大量にかけてガツガツと頬張る。
「ウシジマは外食するときにどういう店に行くんだろう、と考えたときに、ああいう場所には好んで行くかもしれないなと思ったんです。できあいの惣菜、270円とか320円とかで売っていて、客はその中から好きなおかずを選び、ごはんと味噌汁のサイズを選ぶ。オムライスや麺類は注文を受けてから作ってくれる。昔からある大衆食堂ですね」
アウトローの金融業者・ウシジマは外食するときどういう店に行くか? リアルに描くためには、想像するだけでは限界がある。この食堂の選び方を聞いただけでも、山口がアウトローな世界に生きる人々をよく観察し、作品に反映していったことが窺える。
「演出というのは、人がどう動くか、どう話すか、どういうときに体勢を変え、どんなものを飲むか、食べるかを考えて再現する仕事です。だから、人の言動や、身の回りで起きる出来事は、なるべく観察しようとします。例えば、ある芸能事務所のマネージャーが独立し、そのとき連れて出た俳優が大化けして、自社ビルを建てるまでになる。すると腰の低かったその人がどういうふうに変わるか。逆に、『俺を誰だと思ってるんだ』なんて偉そうにしていた事務所社長が、俳優やタレントに次々と独立されて追い込まれる。そういうとき人はどんな酒を飲むのか、とか、そういうことも見ています」
想像力の起点には、かならずこうした観察があるのだ。
「事業に出資して一千万円損したお金持ちはどんな顔をするか。実際に見れば、彼らにとって一千万円とはどういうおカネかわかります。では一億円、百億円はどうか、を考える基準点となる。そのカネが会社のカネか、個人のカネかによっても違ってくる。こういうことを想像だけで演出するのは、なかなかむずかしいですから」
日本の演出家や脚本家は、もっと取材を
以前、アジアのスラム街を取材するジャーナリストから「現地の人と仲良くなっても、異端として入り、異端として出てくることを意識している」という話を聞いた。これは、観察者としての山口にも共通する視点のように感じる。
「ドラマ『新しい王様』では、莫大なお金を動かしている人たちの姿を描きました。アキバ(藤原竜也)や越中(香川照之)の人物造形のヒントとなったモデルは何人もいますが、何代も続くエスタブリッシュメントと違って新興の金持ちは、パーティーにタキシードなんて着ていかない。Tシャツ1枚で行ったり、会員制の豪華なバーで、わがままでフライドポテトとケチャップを頼んでシャンパンで流しこんだりする」
そういうリアルな金持ちの生態は、日本のエンタメ作品では意外と描かれてこなかった。
「テレビの演出家が、取材をしていないからです。演出家だけではありません。おカネをあつかったドラマを書いた著名な脚本家と話しているうちに、彼が実は「投資」と「融資」の違いをまったく理解していないことに気づいて驚いたこともあります。観察や、実体験からしか生まれないリアリティがある。だから人間の執着とか愚かさとか、なにか欠落している部分がある人間の悲喜劇とかは、自分で脚本を書き演出しよう、自分でそのおもしろさやバカバカしさやいとおしさを描こう、と思うようになりました。そういう思いをすべて注ぎ込んだ『新しい王様』は、すごく愛着のある作品です」
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人生には制約や飢餓感が必要。それが幸せにつながる
同作の中には、「制約は大事だよ…生命にも人生にもね」というセリフがある。このセリフの背景を、山口はこう説明する。
「毎晩、一本何十万円もするシャンパンを飲んでどんちゃん騒ぎをしていたら、必ず飽きるはずなんですよ。それより千円札を数枚握りしめて、これであと何杯呑めるか、あと何本串焼きが食べられるか考えながら飲んだほうがうまかったりする。でも、では庶民的ならいいかと言うとそうでもない。東京の下町にあるもつ焼きの聖地みたいな店には、毎日お昼の開店と同時に並ぶおっさんたちがいるんです。並べば稀少部位にありつけるからなんですが、もはや毎日並んで呑むことがルーティンになっていて、そうなると彼らだってもう、一杯の酒を楽しむ喜びを見失っているのかもしれない。そういう観察を経て、人生にはある程度の制約や飢餓感が絶対に必要で、それこそが幸せにつながるんだろう、と考えるようになったんですよ」
『おいハンサム!!』の伊藤家の人々は、派手な暮らしとは無縁の“名もなき庶民”だ。それぞれ小さく傷ついたりあれこれ悩んだりすることはあっても、帰る場所があり、一緒に食卓を囲む家族がいる。食パンの厚さの好み、納豆の付属のタレを使うか、薬味はなにを入れるか、お店で400円払って冷たいウーロン茶を頼む不思議……。そんな、記憶に留まらないほどささやかで他愛ない日常のシーンがすくい上げられる。
「おカネがたくさんあれば幸せか。おカネで買えないものがあるか。子どもたちにそう聞かれたらどう答えますか。アキバと越中の価値の相克を通じて『新しい王様』で追及したテーマを『おいハンサム‼』は引き継いでいます。納豆をそれぞれの好みで食べたり、ああでもない、こうでもないと言いながら食パンや目玉焼きを焼いたりする伊藤家の朝ごはんの風景は、もはや失われつつあるかも知れない、しかし確実に幸せの象徴だと思います。色々なジャンルの作品を作ってきましたが、いまはそういうものを画に残しておきたいという強い気持ちがあります。そういう、幸せのありようみたいなものを描いていきたいです」
「つくり手」視点・山口雅俊。後半ではドラマ作りの技法をさらに深堀りする。記事で紹介した『新しい王様』はAmazonプライムやParaviにて配信中。