日本建築を代表する数寄屋建築において、日本随一の腕を誇るのが『中村外二工務店』だ。初代・中村外二、二代・中村義明、三代・中村公治。日本屈指の数寄屋大工の棟梁が見据えるのは、20年後、50年後の施主に寄り添う数寄屋造りである。彼らの代表作とともに、代々受け継がれる伝統に迫る。
1931年創業の中村外二工務店は、日本を代表する数寄屋造りを手がける工房として国内外に知られている。京都を拠点に茶室、料理屋、旅館、美術館、個人邸と幅広く手がける彼らが、「一流」と呼ばれる理由は、先代から受け継がれた教えがあるからだろう。その教えは「材料」「道具」「掃除」の3つに集約される。
まずは、材料。中村外二工務店はいつも最高の材料を揃えるし、素材についてとことん勉強をする。最高にして最適な素材をいつでも施主に提案できるように準備することに余念がない。
そして技術。「大工の技術は材料から」というのが初代・中村外二の考えであった。大工の上手・下手は道具の扱いを見ればわかる。道具は材料に合わせて生まれるもの。上手い大工は材料に合わせて道具を扱うのである。
建築は、日を重ねるほどに味わいが増し、本来の価値を発揮する。そんな経年変化を実現するには一にも二にも掃除が肝要だ。日々ていねいに清掃することが、後世に残る建物を育てていくのである。
建物は器のような存在だと、中村外二工務店では考えている。どう使い、なにを入れ、どのように手入れをしていくか。それは施主次第なのである。
「つくって半分、育てて半分」
三代にわたる作品を見ると、外二の言葉が心に響く。
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初代・中村外二の代表作 神宮茶室
「300年以上もつ建物」という、松下幸之助の想いに応えた代表作
初代・中村外二が手がけた建物は、およそ300を数える。いずれも精魂込めてつくったことに変わりはないが、あえて代表作を挙げるなら、伊勢神宮の神宮茶室だろう。当時の財界トップにして伊勢神宮崇敬会の会長を務めた松下幸之助が、1985年に寄進した茶室で、伊勢神宮の迎賓館としての役割も果たす。松下の要望はたったひとつ。「300年保ち、歴史的遺産となるもの」、だけだった。風雪に耐えるために、見えない部分にさまざまな仕掛けをすることで、見どころの多い建築になっている。
茶室があるのは内宮に至る宇治橋を渡った左手、紅葉山と呼ばれる木立の中。木々の間から五十鈴川のせせらぎが聞こえる。建坪は108坪で、四畳半の茶室の他、ふたつの広間や、皇室の方々がご参拝の折、お成りになる座敷がある。優れた茶人でもあった松下は、茶の湯を通じた日本人の精神文化の向上を願い、1962年と63年に日本全国10カ所の茶室を外二に依頼。神宮茶室はその最後の一棟で、設計監修は当時の裏千家家元・千宗室。千は自ら原寸大模型をつくり、建材の配置や納まりをチェックした。
神宮茶室
住所:三重県伊勢市宇治館町1
TEL:0596-24-1111(神宮司庁)
※通常は非公開。春と秋に一般公開あり
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二代目・中村義明の代表作 若王子の家
古材と北欧家具を調和させた、生活に根ざす現代数寄屋の提案
京都市左京区、哲学の道近辺に建つ、築150年余りの古い数寄屋造りを増改築したのが「若王子の家」。かつてこの邸宅には、『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られる哲学者、和辻哲郎が暮らしていた。その後、台所を近代的なダイニングキッチンにつくり変える目的で大規模なリノベーションが行われた。その邸宅の新たな住人となったのが、のちに文化勲章を受章する哲学者の梅原猛である。
リノベーション時の施工の責任者は二代・中村義明。そして設計は梅原の娘婿で当時駆け出しの建築家であった横内敏人。義明は横内に法隆寺の古材の柱を使ってほしいと申し出た。その柱は、昭和の大修理の際に初代・外二が入手したもの。『隠された十字架』という法隆寺論を著した梅原の家にこそふさわしいと考えての申し出だった。横内は悩んだ後、直径25㎝の存在感あふれる古材を柱として、テーブルに座る家族の一員のように設えた。この建物で義明は、古いものに学びながらも、現代の暮らしとの両立を目指したのである。
中村外二工務店
住所:京都府京都市北区紫野西御所田町15
TEL:075-451-8012
営業時間:8時~17時
定休日:日、年末年始
※ショールームは完全予約制
※この記事はPen 2022年2月号「日本の建築、ここが凄い!」特集より再編集した記事です。