ニューヨークのメトロポリタン美術館(通称:「The MET(メット)」)が誇る、200万点もの膨大なコレクションの多くは、アメリカでも指折りの資産家たちによる破格の寄付や寄贈の賜物という。地元っ子にも意外と知られていない、その功績に迫る。
ルーヴルやエルミタージュと並び称されるメットだが「公立」ではないという点で、これらの美術館とは根本的な違いがある。200万点を超える所蔵品の大半が、寄贈や寄付金で購入されたものというから驚きだ。
1870年に数点の作品でスタートしたメットは、有志からの金銭的な援助や作品の寄贈で規模を拡大。たちまち世界の一流美術館の仲間入りを果たした。その急速ともいえる発展は、当時は新興国だったアメリカが、欧州列強に追いつこうと経済的・文化的成長を急いだ時期に重なっていた。
質の高い所蔵品の背景には、アメリカ経済の成熟を担った成功者たちの存在がある。桁違いの資産をなした富豪のなかには、芸術を愛し、一流品を収集し、それを惜しげもなくメットに託した者がいた。たとえば、アメリカンリッチの象徴であるロックフェラー一族も強力なサポーター。第二次世界大戦後は寄贈も減ったとはいえ、現在でも富豪コレクターたちの財力と審美眼は、メットを唯一無二たらしめる重要なファクターなのである。
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莫大な財力でメットを支える“コレクター”とその作品たち
ベンジャミン・アルトマン
執念さえ感じる、圧巻のオランダ絵画群
「メットのコレクションがヨーロッパの一流美術館に比肩するレベルに飛躍したのは、アルトマンの秀逸なコレクションのおかげです」と、メトロポリタン美術館副館長のアンドレア・ベイヤーは語る。購入作品に関して一切の妥協をせず、悩み抜いて購入するアルトマンが遺した珠玉の作品群は、1000点を超える。そのなかには、アルトマンの執着さえも感じられる13点ものレンブラント、ボッティチェリなどのオールドマスターの貴重な作品や、寡作ゆえに残された真作の少ないフェルメールなどが含まれている。「死後、所蔵品の遺贈が発表されると、大きな話題となりました。特にオランダ絵画の量と質は、圧倒的なものでした」
オランダ絵画に執心していたアルトマンが手に入れ、寄贈した名作。現存作品数が少ないフェルメールだが、メットはそのうちの5点を所蔵している。そのなかの1点『信仰の寓意』は、アルトマンの跡を継いだ甥による寄贈。
旧約聖書の人物を描いた作品。皮膚のたるみの描写など熟練の筆致が見どころ。バロック絵画を代表するレンブラント作品13点は、驚きをもってメットに迎え入れられた。アルトマンのお気に入りは、レンブラントの自画像。
潤沢な資金を背景に美術蒐集を続けたアルトマンの対象は、絵画だけにとどまらず、中国の陶器や織物などにもおよんだ。この清時代の壺は不老長寿を描いたもので、おめでたい席などに飾られたものであるという。
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ハヴェマイヤー夫妻
印象派を青田買いした、確かな審美眼
ルイジン・ハヴェマイヤーは、アメリカ人で初めて印象派の作品を買った人物ともいわれている。夫のヘンリーは、自ら興した砂糖会社で得た富を、20世紀初頭の新興メガリッチの憧れであった、重厚なオールドマスター作品の蒐集に充てていた。「しかしヘンリーは、妻の強い勧めで印象派に目を向けるようになります。特に、夫人が好んだドガに関しては100点を超える作品が当館に寄贈されました」とベイヤー。ルイジンは当時まだ新しく、評価も定まっていなかった印象派のアーティストたちに注目。活動の震源地パリに滞在した経験から、先見の明とネットワークで、のちにアメリカ随一となる印象派のコレクションをメットにもたらした。
ルイジンが初めて購入した印象派はドガの作品だったといわれている。ドガの死後に発見された無数の蝋製彫刻からつくられた72体のブロンズ像のうち、A品質とされる70体をルイジンが購入、のちに寄贈した。
ロマン派に対して生まれた写実派の代表といわれるクールベ。ありのままに女性のヌードを描いた作品は、当時、万人に好まれる作風ではなかったが、ルイジンの瑞々しい感性は、その素晴らしさを見逃さなかった。
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ネルソン・A・ロックフェラー&ジョン・D・ロックフェラー・ジュニア
名家の財力が与えた、新たな“強み”
ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアは、父から託された資産を文化事業に費やす。メット別館の「クロイスターズ」も、彼の後ろ盾で誕生した。息子のネルソンは政治家としても活躍。南米の原始アートに惚れ込み、美術館を建てるほどのコレクターとなる(のちにメットに寄贈)。「ロックフェラーは、三人三様の深い美術への造詣をもち、古代アッシリア、南米の原始アートなど、他の美術館にはない新たな強みをメットに与えてくれました」とベイヤー。ネルソンの息子マイケルは、文化人類学を学びオセアニアの骨董を蒐集していたが、事故で早世。死を悼んだネルソンは、所蔵品をメットに遺贈。のちにマイケルの名を冠した展示室が設けられた。
ロックフェラー・ジュニアが寄贈したレリーフは、古代アッシリアのニムルド遺跡にある宮殿の一部。翼のある人間像は、繊細な細工が秀逸。有名な「人頭有翼獣(ラマッス)像」なども彼の寄付により購入が可能に。
1982年にオープンした「マイケル・ロックフェラー・ウイング」に展示されているアフリカ少数民族の彫刻。文化人類学を専門としたマイケルは、アフリカなどの辺境の地を巡り、さまざまな民族の美術品を持ち帰った。
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ロバート・リーマン
大富豪のこだわりを、特別室で再現
セントラルパークに隣接するメットの「ロバート・リーマン・コレクション」のセクション。そこにはゴシック期の絵画から、20世紀最後の巨匠バルテュスの作品に至るまで、実に七世紀分の厚みをもつ、2600点の作品が展示されている。実業家として多大な実績を残したリーマンは、その辣腕ぶりを美術蒐集でも発揮した。リーマンのコレクションを取得するために、当時の館長が条件として提案したのは、オーナーの望み通りの作品展示を館内で実現することだった。ベイヤーは語る。「リーマン・コレクションを訪れた人は、彼の自宅に招かれたような気分になる。展示方法へのこだわりから、彼独自の美術品の愉しみ方を知ることができます」
ゴシック期の代表的な画家であったマルティーニの作品は、ウフィツィをはじめ、名だたる美術館に収められている。5枚連なったパネル式の祭壇画である同作のうち2枚が、リーマン・コレクションに展示されている。
フランス古典派の画家として、精細な筆致の肖像画を多く残したアングル。この絵は、完成直後にはかなく世を去ったブロイ公妃を描いたもので、ロバート・リーマンが購入するまで遺族の館に飾られていた作品。
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ジェイコブ・S ・ロジャース
愛ゆえに、空前絶後の高額寄付を実施
最後に挙げるジェイコブ・ロジャースの貢献は、他の寄贈者とは性質が異なる。父親が始めた蒸気機関車製造会社は19世紀後半、鉄道網が完成したジェイコブの代で大きく躍進、彼も富豪実業家の仲間入りを果たす。しかし、ジェイコブは生涯、自らのコレクションを持つことはなく、メットに足繫く通う美術ファンであったという。その彼が1901年に亡くなった際に、遺産から500万ドルを越える大金が寄付されることに。これはメット史上最大級の寄付であり、新聞でも報道される騒ぎとなった。「莫大な寄付金の利子は、ハトシェプスト女王の像やイスラム戦士のヘルメットなど、メットの重要な作品購入の資金源になっています」とベイヤー。
多くのメットファンに人気が高く、アメリカ最大の所蔵品数を誇る古代エジプトエリアに展示されている、ハトシェプスト女王の像。館内には、同女王の像が数点展示され、考古学的な観点からも価値の高い作品群だ。
イスラムの戦士の戦闘用ヘルメット。15世紀頃のイスラムの甲冑は権力の象徴として、当時の最高級素材が用いられ、丹念な細工が施されていた。一流職人によるデザインは、芸術的側面においても優れたものが多い。
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※この記事はPen 2022年3月号「メトロポリタン美術館のすべて」特集より再編集した記事です。