襟に名前、背に家紋の入った印半纏を羽織る姿が板についている。スウェーデン生まれの村雨辰剛は、日本庭園の庭師だ。2021年3月には、兵庫県の淡路島にあるイングランドの丘に、日本庭園「国生みの庭」を作庭した。日本神話をモチーフに、黒松や淡路瓦を取り入れた壮観な庭だ。
一方、タレントとしても注目を集めている。NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』にも出演したばかり。
「自分の軸になっているのは、庭師の仕事です。日本国籍を取得して、名前を村雨辰剛にしたのも、日本人としてこの仕事に本気で取り組んでいこうと決めたから。タレントの仕事での経験も、庭師の仕事に活かしています」
そのひとつがコミュニケーションスキルだ。作庭では、施主の要望を聞き出して、それをもとに図面を書き、プレゼンをする。
「たとえば、芝は手入れが大変だから人工芝にしたいとお客様から言われた時に、こうすればそれほど手間はかかりません、と説明することも私の仕事の大切なプロセスのひとつ。演技の仕事に取り組んだことで、伝え方がうまくなりました」
いまでは、施主から「すべてお任せします」と言われることもあるという。
「庭師の仕事は、相手から信頼されることが大切です。信頼を築くためにもコミュニケーションスキルが欠かせません」
そしていったん作業が始まれば、黙々と目の前の仕事に打ち込む。技術力だけではなく忍耐力も要するのが職人の世界だ。
村雨が造園関連の仕事に就いたのは、来日してから5年が経過した11年、23歳の時。最初は、剪定された枝や葉を集める掃除のアルバイトだったが、8カ月後に愛知県の加藤造園に採用され、弟子という立場で庭師としての本格的な修業に入る。
「手取り足取り教えてもらうことはほとんどなく、親方の仕事をじっくり観察することが学びの基礎となります」
そこで5年間、修業を積んだ。単調な日々に、くじけそうになることはなかったのだろうか。
「同じ作業を続けていくなかで、今日は早くできた、少し上手になってきた、と自分で気づくこと、そういう感覚を身につけることが大事です。他人から評価されることを原動力にするのは持続可能ではない。自分で原動力を生み出せないと、続けていけないんです」
親方の大切な教えとして村雨が心に刻んでいるのが、「もう1回」の習慣だ。
「完成したと思っても、もう1回見直すことが必要なんです。常にもっとよくできないかと作業を振り返ること。自分の仕事にこだわりをもつこと。熟練職人の仕事が評価されるのは、その精神にあるのではないでしょうか」
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職人の心意気を胸に、より高みを目指す
自分の技術に謙虚だからこそ、さらに技術を深められるのだ。
「黒松が好きな理由もそこにつながります。高度な剪定技術が必要で、ひとつ間違うと枯れてしまう。とても奥が深く、日本の美が詰まった樹木です」
多忙ないまも、休日には日本庭園を訪れる。今回の撮影場所となった清澄庭園もそのひとつだ。
「西洋庭園が完成された美を目指すのとは対照的に、日本庭園は、四季や樹木の成長などの変化を想定して作庭します。移ろいゆく自然と対話するのが醍醐味で、まさに生きている空間なのです」
村雨に、いちばん好きな日本庭園を訊いた。
「素晴らしい日本庭園はいくつもありますが、ひとつ挙げるとしたら、愛知県西尾市にある華蔵寺の庭園です。それほど広くはなく一般には公開されていないのですが、近くの山を借景にしていてとても迫力があります」
日本庭園の需要は減少傾向にある。その素晴らしさをどうすれば伝えられるのかと、村雨は日々考えを巡らせている。
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WORKS
著書『僕は庭師になった』 クラーケン
スウェーデンで生まれた村雨が、なぜ日本で庭師になったのか。日本に興味を抱いたきっかけから、来日して庭師という職業に出合い、親方から独立した時のことまでをていねいに振り返る、自伝的エッセイ。
YouTubeチャンネル『村雨辰剛の和暮らし』
床の間のある自宅を紹介したり、庭に建仁寺垣をつくったり、竹を切って門松をつくる過程などをレポートする動画が人気のチャンネル。所有する車や飼っているネコ、筋トレの様子など、ありのままの村雨の姿を伝える。
NHK連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』
昭和、平成、令和と100年にわたり「ラジオ英語講座」とともに生きた、3世代の女性たちを描く。村雨は進駐軍の将校、ロバート・ローズウッドを演じる。日本で英語が通じず困っているところを主人公の安子に助けられる。
※この記事はPen 2022年2月号「日本の建築、ここが凄い!」特集より再編集した記事です。