絶対に終電を逃さない女による、ドラマ『おいしい給食 season2』全話レビュー連載。今回は第7話「赤飯はめでたいときに」を振り返る。
給食を食べる喜びを全身で表現しながら校歌を歌い、普段の険しい表情が嘘のような笑顔で食べ、神野のターンの時には机から身体を乗り出し、まるで攻撃を受けたかのように倒れ込む。給食の時間の甘利田はかなり目を引く異様な動きをしているはずなのに、1組の生徒たちは誰も見ていないというシュールさも、『おいしい給食』の面白さの一つだと思う。
season1の視聴者の間では、甘利田の心象風景だという解釈もあったが、season2以降、宗方先生にも見えていることと矛盾する。私は、甘利田が自身の給食好きを必死に隠したがっているのを察した生徒たちが気付かないふりをしてあげている、という解釈をしていた。中学生にしては大人の対応すぎる気もするが、他には「なぜか神野と宗方先生だけに見える」くらいしか思いつかない。
season1から見てきた人なら、7話の校歌斉唱のシーンは目を疑ったことだろう。いつも通りハイテンションで校歌を歌う甘利田を、生徒たちが見ている。しかも真似している。必死に隠してきた給食マニアっぷりがバレる危機だというのに、完全に自分の世界に入り込んでいる甘利田は、まったく気付かない。むしろ甘利田の方が、生徒たちを見ていないのかもしれない。
なぜ生徒たちが甘利田を見ていたのかは、終盤の合唱コンクール選考会で明かされる。給食前の甘利田の動きを真似をしながら、生き生きと校歌を歌う3年1組。音楽の島田先生が、1組だけの秘策として、「給食前の甘利田先生を見てください」とアドバイスしていたのだった。
ということは、今まで生徒たちは本当に甘利田の奇行に気付いておらず見ていなかったことになる。あれだけ激しい動きに気付かないというのも無理がある気もするが、実はみんなそれくらい給食に向き合っていたということなのだろうか。次回以降、生徒たちは給食の時間の甘利田を見るのか、見て見ぬふりをするのかも気になるところだ。
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「人のめでたさは、人それぞれでいい」
給食バトル以外の部分にだいぶ文字数を割いてしまったが、今回の献立は赤飯。せっかくなら何かを祝おうと必死でお祝い事を探し、内心はどうでもいい校長の還暦を祝いながら食べた甘利田に対し、神野は赤飯を美味しく食べる自分を自分で祝った。
放課後、いつものように負けたショックを引きずりながら麩菓子を買い食いする甘利田に対し、駄菓子屋の店主が思い出話を始める。
「昔は麩菓子がご馳走でねえ。家に菓子なんてなかったけど、何かお祝いがあると、父親が大量の麩菓子買ってくるんだ」
「お祝いの時ですか」
「なんだっていいんだ。あ〜今日は楽しく過ごせたってだけで、十分お祝いだよ」
戦前生まれであろう老婆が言うと重みのある言葉だ。本物の駄菓子屋のおばあさんのようなリアリティ溢れる木野花の名演により、さらに説得力が増す。
「あんたも今日は何かお祝いかい?」
「いや、特に」
「なんだ、つまんないねえ」
「そんな毎日、祝い事なんてないですよ」
「人のめでたさは、人それぞれでいい」
お祝いといえば誕生日や七五三など、何らかの記念日だという固定観念に縛られていた甘利田。しかし、日常の些細なことを祝ったっていいのだ。それも自分で自分を祝ってもいい。宗方先生のように「洗濯物を取り込むのを忘れている夢を見て、慌てて起きて窓を開けたら取り込んであった」ことを祝ってもいいし、神野のように赤飯を食べられること自体を祝ってもいい。もしかしたらそれこそが、神野が毎日楽しそうにニコニコしている秘訣なのかもしれない。

絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。Webを中心にコラム、エッセイ、取材記事などを書いている。『GINZA』(マガジンハウス)Web版にて東京の街で感じたことを綴るエッセイ『シティガール未満』、『TOKION』Web版にて『東京青春朝焼恋物語』連載中。
Twitter: @YPFiGtH
note: https://note.mu/syudengirl
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