絶対に終電を逃さない女による、ドラマ『おいしい給食 season2』全話レビュー連載。今回は第5話「冷やし中華はじめました」を振り返る。
午前中の交通教室から始まった第5話。バブル感満載の教材ビデオを観た神野は、講師の警察官に疑問をぶつける。
「被害者のお母さんは何歳の設定なんですか? 被害者の少年はおそらく僕らと同じ中学生だと思います。だとしたらあのお母さんは若すぎるんじゃないですか?」
肩パッドの入ったショッキングピンクのスーツに濃いメイクというド派手な出立ちで息子に付き添う母親は確かに、今にもディスコに繰り出しそうなイケイケの20代に見えた。
警察官は「そんなことどうでもいいだろ」と一蹴する。それもわからなくはない。が、神野は屈しない。
「どうしてもそれが気になって、お話の中身が頭に入ってきませんでした」「形が間違っていると、中身も伝わらないと思うんです」「そしてラストシーンでは、加害者夫婦が笑っていたのはどうかと思いました」
警察官相手にガンガンに反論する神野。終了後、警察官に「彼は屁理屈で大人を困らせるタイプだ。要注意ですよ」と釘を刺された甘利田は、「確かに神野にはその気がある」と前置きしつつも、「確かにあのラストシーンは蛇足だ。演じた役者もあそこで笑えと言われて困惑したことだろう。作り手の薄っぺらい意図が見え見えで萎える」などと痛烈な批判を展開。普通の大人ならヘコヘコしてしまうところ、神野への尋常ではない肩入れである。現実であれば即座に教育委員会にチクられてしまうだろう。
一つメタ的な視点を交えることが許されるならば、この一連の場面は本ドラマの制作陣の作り手としての矜持が、神野と甘利田を通じて表現されていると見ることもできるかもしれない。
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形が間違っていると、中身も伝わらない
実は甘利田がわざわざ喧嘩を売るようなことを言ったのは、その日の献立のメインである冷やし中華を迎え入れるためのウォーミングアップの一環に過ぎなかった。いつも以上に激しく校歌を歌い、汗だくになり息を切らしながら、「日本発祥の中華料理にして、夏の風物詩、冷やし中華」を迎える甘利田。個包装の麺を後入れする方式のため、麺の上に各種具材が放射状に乗った盛り付けでないことを惜しみつつも、勢いよく麺を啜る。麺があらかじめ冷やされていることに気づき、配膳室の細やかな気配りを労うことも忘れない。最後にデザートのスイカを一瞬で吸い込むその姿は、志村けんを彷彿とさせる。
season1の4話ではミートソースが白シャツに飛ばないよう細心の注意を払っていた甘利田だが、今回は汁が飛び散るのもお構いなし。その回でミートソースを撒き散らしながら豪快にソフトめんを啜った神野を見た時の、「食いたいという衝動を全面に出してこそ食は美味い」という反省を生かしてのことなのだろう。甘利田は、給食バトルの中で確実に進化している。
だがやはり神野はまたしても一枚上手。どこからか持ってきたガラスの透明皿に、美しく盛り付けられた麺と具材。本格的な冷やし中華を目にした甘利田は、「なんとうまそげなんだ! まったく同じものなのに、こうも違うか!」と驚きを隠せない。
見た目が綺麗だとより美味しく感じるものである。形が間違っていると、中身も伝わらない。それは料理も同じなのだ。料理に相応しい良い食器と、目を喜ばせ食欲を刺激する綺麗な盛り付け。神野は給食バトルを通じて、もはや食文化の本質に迫ろうとしている。
さらに追い討ちをかけるように懐からマヨネーズを取り出し、にやつく神野。“マヨネーズビーム“を撃たれ、「何だそりゃあああ!」と松田優作風に倒れ込んだ甘利田は、盛り付けもマヨネーズも、同じ発想がありながらひと手間を惜しんだことを後悔する。
私もどちらかというと甘利田に似た人間なので、グサッと来る。そういった少しの手間が、食事だけでなく生活全般において大事だったりもするし、その積み重ねで人生に差が出てくるのだろう。好きなものをより楽しむために努力を惜しまない神野の姿勢は、きっとこの先、彼の人生のあらゆる局面に生きてくるに違いない。

絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。Webを中心にコラム、エッセイ、取材記事などを書いている。『GINZA』(マガジンハウス)Web版にて東京の街で感じたことを綴るエッセイ『シティガール未満』、『TOKION』Web版にて『東京青春朝焼恋物語』連載中。
Twitter: @YPFiGtH
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