赤地に白でニューヨークの象徴ともいえる摩天楼の稜線を描いたマークが印象的なカジュアルバッグ。マンハッタンポーテージというアメリカ生まれのブランドのものだ。日本でもひところは電車に乗ると見ない日はないといえるほどのブームだったが、いまでも高い人気を誇るカジュアルバッグの代表格ではないだろうか。
私の手元にあるのは1990年代にアメリカで求めた同ブランドのバッグだ。同ブランドの日本のHPをチェックすると、「1983年にニューヨーク創業」と書かれている。正確な年月は思い出せないが、「あなたが絶対に興味をもちそうなバッグメーカーがある」と、ニューヨークの仕事仲間に案内されて見学のついでに購入したものだ。場所はもちろんマンハッタン。曖昧な記憶で恐縮だが、仲間の事務所から歩いて行ったので、ソーホー近辺だったと思う。工房を兼ねた事務所で顎髭を蓄えたおじさん(その人がオーナーだった)がバッグを縫っていた。

当時、マンハッタンでは「メッセンジャー」と呼ばれる自転車を使った宅配便が大活躍していた。マンハッタンは一方通行が多いので、クルマでは機動力が発揮できない。そこで小回りが効く自転車を使ったメッセンジャーが重宝がられる。それに日本人には信じられないが、郵便がすぐに到着することが少ないので、資料などが相手に確実に届く手段としてメッセンジャーを使うことがこの時代、一般的になっていた。
当時、マンハッタンポーテージはメッセンジャーのためのバッグをつくっていた。工房で他のモデルを見かけた記憶はないので、もしかしたらメッセンジャーバッグだけをつくっていたかもしれない。
本体の素材は撥水加工を施したコーデュラナイロン。USミリタリーなどにも使われ、過酷な環境下にも耐える強度と耐久性を備えている。ショルダーベルトは、ナイフでも簡単に切れそうにないし、ベルトの長さ調整を行う金具もメタル製で屈強そのもの。

オーナーにバッグの大きさを尋ねた。「薄いのはイエローページ1冊用、大きい方は2冊用だね」
もはや死語に近いかもしれないが、イエローページとはアメリカの電話帳のことだ。そもそもイエローページは1878年コネチカット州で始まったもので、黄色の紙に印刷されていることからこの名前が付いた。これは私の勝手な推測だが、メッセンジャーは個人間の宅配以外に、イエローページの配達も請け負っていたのだろう。マンハッタンに限らず、都会用のイエローページはそうとうの厚さで重量もある。それを運ぶのに相応しい素材と仕様を備え、なおかつサイズもイエローページが十分運べるように設計されていたのだろう。それに“イエローページ”というだけで、誰もがその大きさとサイズを連想できたに違いない。それにしてもバッグのサイズをイエローページに例えるとは、ニューヨーカーらしい、洒落た言い方ではないか。
昔、ほとんどのホテルの部屋にイエローページが備えられていた。私も仕事が終わって時間が余ると部屋でイエローページを眺めていた覚えがある。私のいたファッション雑誌の編集部の倉庫的な部屋にも、スタッフがホテルか電話ボックスあたりから失敬してきたと思われる各都市のイエローページが何冊も積まれていた。イエローページは重要な情報源だからだ。個人や会社の電話番号だけでなく、いろいろな企業やショップの広告が掲載されているので、それらを頼りに取材先を探したこともある。パリのカジュアルショップも取材したときにも、古い電話帳を頼りにショップのオリジナル商品を製作してくれるパリ近郊の縫製工場を探したと言っていたので、アメリカだけでなく、ヨーロッパでも電話帳は利用価値が高かったのだろう。

そんな話はともかくとして、当時、マンハッタンポーテージは、日本に本格上陸する前。本当は取材や撮影をお願いしたかったのだが、ちょっと日本で紹介するのには複雑な事情があり、取材は断念した。もっともっと面白い話を聞けそうな予感はあったのだが……。
何度も観た映画でアン・ハサウェイとロバート・デ・ニーロが共演した『マイ・インターン』(2015年)がある。ニューヨーク・ブルックリンでファッション通販サイトを経営している女社長ジュールズ(アン・ハサウェイ)のもとにシニア・インターン制度を使って採用された70歳の老人ベン(ロバート・デ・ニーロ)がやってくる。公私ともどもトラベルを抱えるジュールズに的確なアドバイスを与え、彼女が頼りにしているベン。ジュールズのアパレル会社は元電話帳の会社だった場所にあるが、実はベンはこの会社に定年まで40年近く勤めていた。事務所だけでなく、印刷機が同じ敷地内で並んでいたとベンは話す。つまり電話帳=イエローページをブルックリンで製作していたのである。もしかしたら、当時、ニューヨークのメッセンジャーが運んでいたイエローページの多くもブルックリン辺りで印刷されていたのかもしれない。
私が購入したメッセンジャーバッグは、イエローページ2冊用のサイズ。開け閉めは本体と蓋に付いた極太のベルクロテープのみ。蓋を留めるストラップも付いていない。素早くイエローページや荷物を出し入れするためのミニマルなデザインだろう。本体は1気室のデザインで、仕切りなども設けられていない。これも荷物の出し入れを容易にするために違いない。

実はバッグはこういうシンプルなデザインのものが私は好きだ。機能を考えるあまり、ポケットなどいろいろと加えてしまうと、重くなるし、使い道も制限されるからだ。ましてやメッセンジャーバッグのようないわばプロ仕様のバッグは運ぶ途中で壊れないことをまず考慮すべきではないだろうか。“Less is more.”このバッグはそれを完璧に満たしている。
90年代はこのバッグとトロリーバッグでアメリカやヨーロッパのいろいろな都市を回った。重ね着することが多い、秋冬の取材スタイルではリュックサックよりもメッセンジャーバッグの方が断然使いやすい。いちいち両腕をストラップに通す手間がないし、バッグの斜め掛けは置き忘れもしにくく、盗難されることも少ない。取材が終わった後、ノートやレコーダー、文房具などをガサッと収納し、次の取材に向かう。そんな仕事にこのバッグは最適だった。雨や雪に遭い、ときには汚れた床にそのまま置かれることもあったが、20年以上経ったいまでも、経年変化は見られるが、十分使える。
これは捨てられない。ブランドを運営している人には本当に申し訳ないが、新しいものを買う必要がないほど、ヘビーデューティー。これぞエコというものではないだろうか。コロナ禍が少し収まったら、このバッグを持って旅に出かけてみたい。